第168話 春奈の相談

 春奈は、結局自分の考えをまとめられなかった。

 先日の、大観衆の中の国際馬術大会は、本当に春奈の夢見た世界だった。

 だが、ドイツに行くということは、簡単なことではない。

 冬希に相談する前に、自分の意見というものを持ちたかった。自分の考えを持たないまま、人に意見を求めるのはよくない気がしたからだ。しかし、現実にはそう簡単にいかなかった。

 終業式の日、午前中で生徒は解放される。放課後に春奈は、冬希と図書室で待ち合わせをしていた。

 

 冬希は、終業式の後、教室で通知表を受け取った。

 5段階評価の3が並んでいる。部活で忙しくしていた割に、いい結果だと思った。

 図書室で、春奈と待ち合わせをしている。

 愛の告白をされるのでは、などという妄想は微塵も持っていない。

 最近、ずっと何か悩みを抱えているようだった。ようやく話してくれる気になったのは、何か踏ん切りがついたのか、何かしら期限が迫っているのか、夏休みに入って会う機会が減ってしまうからなのか。

 インターハイにエントリーしていない冬希は、船津たちのサポートのため、大会初日から手伝いに行く予定になっていた。郷田は先行して今日から行っているが、本来はチームプレゼンテーションと呼ばれるチーム紹介で、冬希も郷田も出番がない。

 冬希が図書室に入ると、春奈は座って待っていた。

 周りを見渡すと、生徒が多い。普段は、本の貸し出しは3冊が上限だが、夏休みに限っては6冊まで上限が引き上げられる。そのため、誰かが借りる前に、なるべく面白そうな本を借りたいという生徒たちが多く訪れていた。

 冬希と目が合うと、春奈は立ち上がって荷物を片付け、冬希に近づいてきた。

 流石にこれだけ人が多い中で、相談を持ちかけるのは無理だろう。

「屋上に行こうか」

 春奈が小声で言ったので、冬希は黙って頷いた。


 筑波のホテルで調整を行っていた船津たちだが、ここにきて大きなトラブルに見舞われていた。

「39.5℃」

 船津は静かに首を振った。

 インターハイにエントリーされている平良柊が、寝起きからふらふらしていた。

 様子が変だと思った船津は、倒れそうになった柊を支えたときに、体が熱いことに気がつき、体温を測ることにした。すると、ご覧の通りの高熱だった。

「郷田、柊が熱を出したということは・・・」

「ああ・・・」

 郷田と船津は、いまだに起きてこないもう一つの布団、平良潤の方を見ていた。


 屋上には、春奈と冬希以外は誰もいなかった。

 いつもは明るい春奈だが、今の表情を見ると、かなり深刻な話なのだろうと冬希は思った。

「あの・・・」

 逡巡しながら春奈が口を開こうとした時、冬希のスマートフォンが鳴った。

 冬希は、一瞬スマートフォンが入ったズボンのポケットを見るが、無視することに決めた。

「冬希くん、鳴ってるよ」

「いいんだ」

 冬希にしては、少し強い語気で言った。春奈に対してではなく、こんな時に電話をかけてくる誰かに対して、冬希は苛立ちを隠せなかった。

 しばらくすると、着信は止まった。

「それで、相談っていうのは・・・」

 冬希が言いかけた時、今度は校内放送が流れた。

『自転車競技部の青山冬希君。神崎理事長より外線が入っていますので、至急事務室までお越しください』

「・・・」

「冬希くん、行った方がいいよ」

 そしてすぐにまた冬希のスマートフォンに着信があった。

 神崎理事長からだ。

 冬希は、大きくため息をつくと、諦めたように電話に出た。

「はい、青山です。熱?郷田さんがそちらにいるんじゃないですか?え、2人とも?自転車はあります。承諾書・・・1時まで?わかりました。すぐに行きますから」

 電話を切ると、もう屋上には春奈はいなかった。

 冬希は、座り込んで頭を抱えた。


「青山君と連絡が取れたよ。直ぐに来るって」

 神崎は、船津、郷田、そして無理にサイクルジャージに着替えようとしていた柊と潤に言った。

 高熱にうなされながらも、潤も柊も、這ってでも自分達が出ると言って、きかなかった。

 冬希が来ると聞いて、ようやく2人は落ち着いた。

 潤が風邪を引くと、なぜか柊も必ず風邪をひき、柊が風邪をひくと、潤も必ず風邪をひいた。

 理由はわからないが、いつもそうだった。船津も郷田も神崎も、そのことを知っていた。

 まさか、このタイミングでそれが来るとは思っていなかった。

「じゃあ船津君、僕はエントリー変更の連絡をした後に2人を病院に連れて行ってくるから、プレゼンテーションの方は頼んだよ。チームジャージとリザーブ選手用の出場承諾書は、部の荷物の中に含まれてあるから、青山君がきたら承諾書を書いてもらって、郷田君の分と合わせて提出を頼むよ。締め切りは13時だから」

「わかりました」

 郷田は、既に出場承諾書への記入を始めている。

 選手の他に、補欠選手の登録もあり、神崎高校は当然郷田と冬希をリザーブとして記入していた。

「まぁ、仕方ないな」

 郷田も、サポートだけのつもりで来ていたので、今回はのんびりとレースを見て楽しもうと思っていただけに、突然の出場は、青天の霹靂だった。

 冬希にしても同じだろう。

 だが、このままではあの双子は無理してでも出場しようとしていただろう。

 流石にそんな無茶はさせられない。

 冬希と連絡がついたことで、一応3名体制でちゃんと出場できそうなので、潤も柊も引き下がったが、間に合わなかったらどうなっていたことか。

「間に合うかな」

 船津は、時計を見ながら言った。

 冬希は、全くなんの準備もしていないだろう。なんだったら、チームプレゼンテーションと車検の後は、自宅に帰って準備を整えてくることだってありえる。

 今は、ともかく出場承諾書を書かせて提出させることだ。


 冬希は、学校最寄りの柏たなか駅まで来ていた。流石に自走で筑波まで行っていては間に合わない。

 だが、自転車のまま電車に乗るわけにもいかない。輪行バッグも準備してきていない。

 仕方なく、冬希は駅前のドラッグストアで、柏市指定のピンクのゴミ袋と養生テープを買い、前後のホイールを外した後にゴミ袋を自転車とホイールに被せ、養生テープでぐるぐる巻にした。

「俺のOltre XR4が・・・」

 どう見ても変な形をしたゴミを抱えて、冬希は改札を通り、筑波駅を目指した。

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