第166話 清須高校コーチ、藤堂政秀
現在、インターハイ3連覇中の愛知県清須高校自転車競技部のコーチ、藤堂政秀は厳格な男だった。
強力な指導力と、日本一を誇る練習量で、どんな選手も一定の成績を残せるまでに成長させた。その結果、長い期間結果を残せなかった古豪、清須高校を見事に復活させた。
厳しい練習を課す結果、30人入部して残るのは毎年5、6人だった。現在でも、部全体で18人しかいない。
だが、練習に耐え抜いた選手たちは、どこに出しても恥ずかしくない力を持っていた。
藤堂には、インターハイで4連覇しなければならない理由があった。
清須高校自転車競技部は、全国高校自転車競技会に出場したことがない。全日本選手権についても同じだ。
全国高校自転車競技会の第1回が開催される年に、清須高校の理事長は、不参加を決めた。永久に不参加というわけではなく、生徒に無理をさせないために、あくまで1年間様子を見るというつもりの決定だった。
しかし、翌年を待たずして、理事長が急逝した。
跡を継いで理事長になったのは、旧理事長の妻だった。
彼女は、翌年の全国自転車競技会への参加を許さなかった。夫である前理事長が「許可していなかった」というだけの理由だった。
現理事長は、良くも悪くも保守的で、前理事長である夫の決めた決定を、徹底的に守り続けた。
その結果、全国高校自転車競技会を目指す若者たちは、清須高校を目指さなくなり、有望な選手たちが集まらなくなってしまった。
弱小化した自転車競技部を立て直したのが藤堂であり、学校の上層部にも一定の発言力を持ちつつあった。
3連覇後、藤堂は理事長に、全国高校自転車競技会へ参加したいと言った。
理事長は、来年もインターハイで優勝したら考えると言った。
確約ではない。だが、藤堂はそこに賭けるしかなかった。4連覇しても聞き入れられなければ、辞めるだけだ。
大人のくだらないこだわりで、生徒たちの晴れ舞台への道を閉ざすなど、あってはならないことだと思っていた。
藤堂は、今年もインターハイは勝つつもりでいた。そのための準備もしてきた。
エースは、3年の岡田敏彦。昨年はエースアシストとして活躍し、今年は無事にエースに昇格した。苦しいトレーニングに3年間耐え切った3年生の中でも、能力は頭ひとつ抜けている。
アシストは、2年の山賀聡で、全体的な能力値が高く、監督である藤堂の指示を忠実に守るため、大切な場面では藤堂はこの男をよく使った。
最後に、1年生の赤井小虎。藤堂が次期エースとして育てるつもりの選手だ。各学年から1名を選出するのは、藤堂の昔からのやり方で、1回だけ勝てればいいのであれば、3年3人という組み方をするが、勝ち続けるためには、各学年のエース候補に経験を積ませなければならない。
全国高校自転車競技会という、10ステージもあるレースに出られないことで、選手たちに経験を積ませるのも、藤堂が苦労しなければらない課題だった。
藤堂は、部員が帰った部室で、インターハイのエントリーリストを見ていた。先ほどのミーティングで藤堂が部員たちに配ったものだ。ホワイトボードの前のパイプ椅子に座り、足を組む。
部室には、3本ローラーが18台並んでいる。1名に対して1台用意されている。誰かが使用中で練習できないという言い訳にさせないためだ。
1年生たちが綺麗に床を清掃しているため、汗1滴落ちていない。
藤堂は、あまり他校に合わせて作戦を立てたりということはしない。自分の生徒たちが最強であると信じているからだ。
だが、今年は露崎隆弘という、1人の天才がインターハイにエントリーされている。
藤堂には、ここで露崎をエントリーしてくる理由がわからなかった。
慶安大附属は植原という1年生エースがいるので、それを育てればいいのではないかと思っていた。まだインターハイで優勝する実力はないかもしれないが、ここで露崎をエースとすることで、植原という選手は、プライドを傷つけられるし、またエースとして戦う経験を得る機会を失わせてしまうことになる。
理由はおそらく、上からの無理な命令でも受けたのだろう。自分も似たような境遇なので、慶安大附属附属の監督を責める気にもなれない。
次に、静岡の洲海高校の尾崎が強敵だろう。前年度の全国高校自転車競技会で総合優勝した選手だ。同大会には露崎という異色の選手がおり、第1ステージから第4ステージを制覇するという、強烈なインパクトを残していたため、尾崎自身は多少影が薄くなってしまっているが、露崎を除けば間違いなくトップクラスの優秀なクライマーだ。総合争いでは侮れないだろう。何よりもアシストで前年度国体優勝者の丹羽、そして今年のインターハイのリハーサル大会で植原を破った1年生、千秋秀正を従えており、侮れないと藤堂は見ていた。
千葉の神崎高校のエース、船津も尾崎と同等にかなりの能力を持っていると見ていた。ただ、洲海高校と違ってアシストの平良潤、平良柊については、あまり実績がないため、洲海高校の丹羽、千秋ほどは脅威だとは思っていなかった。
他にも、福岡産業高校の近田、舞川、立花も侮れないとは思っているが、慶安大附属、洲海、神崎らより脅威になるとは思えない。
藤堂は、福岡の次の、佐賀中央高校の選手に目を留めた。
昨年の全日本チャンピオン、坂東輝幸、その弟の坂東裕理、そして1年生の天野優一。今年の全日本選手権と同じメンバーだ。
全日本選手権は、藤堂もテレビで見た。
藤堂は、坂東に対して、ふざけた戦い方をする、という印象を持っていたが、その状況に応じて的確な判断ができるという点を、実は高く評価していた。
今年の全日本選手権では、神崎高校の2人と佐賀大和高校の2人が激しい空中戦のような戦いを行なっていた。
無線機の使用が許されない高校生の自転車ロードレースでは、選手の状況判断力がレースを決定付けることが多い。藤堂は、このレースで天野優一と青山冬希という2名の1年生の動きを注視していた。
天野は、パンクした坂東に自らのホイールを差し出した後、レースを諦めるのではなく、新しいホイールをニュートラルカーから受け取り、そのまま神崎高校や先頭集団を追走し続けた。
追いつける可能性は高くなかったにもかかわらず、追いつけば坂東のために何かできるかもしれないという、エースのための自己犠牲的な追走だった。
自分の立場だったら、追走しなかっただろうと藤堂は思う。しかし、最終的に天野は追いつき、坂東が青山のマークを引き剥がす一助となった。
そして、青山冬希だ。
自らも強力な決定力を持つスプリンターでありながら、チームの勝利を優先するために、郷田を先行させ、自らは坂東のマークに徹した。
坂東が郷田を追うために脚を使ったら、青山がゴールスプリントで坂東を差す算段だったのだろうが、郷田を勝たせる計算と両方を考えなければ行動に移せないはずだ。自分がいかに勝つか、それだけを考えるスプリンターが多い中、この判断は藤堂を驚かせた。
こういった実践の場で、自分の判断で行動できる選手たちは、残念ながら藤堂の教え子達にはいない。
文句ひとつ言わず、愚直に日々の練習をこなし、レースで何がなんでも逃げに乗れと指示を出したら、力尽きるまで逃げ集団を追い続けるような選手たちばかりだ。
それが悪いとは言わない。だが、それでは勝てなくなる時代が来つつあるのだ。
青山冬希は、1年生にして高校自転車界最強のスプリンターとなっている。そして天野や彼は、どちらも全国高校自転車競技会で10ステージ完走している。これは1年生にしてとんでも無い実戦経験だ。
藤堂がインターハイにエントリーした1年生の赤井は、現在の1年の中では突出した能力を持っている。だが、それでも青山冬希に彼が勝てるとは、藤堂にはどうしても思えなかった。
だが、今回は赤井が勝つ必要がない。何か実戦でしか掴み得ない物を掴んで帰ってきてくれればいいと思っていた。
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