第133話 千葉地区 女子自転車競技部 新人戦 ③

 レースも進み、残り5周となったころ、先頭の3人、浅輪春奈、大津幸子、大島百合子の3人はきれいにローテーションして逃げ続けていた。

 選手たちと同じように周回している冬希の見立てでは、逃げが3人、その後ろの追走集団が10人ぐらい、その後に3人ほどのグループが2つほどあり、ここまでが同一周回に見えた。

 そして、冬希の見立てでは、春奈以外の二人、幸子と百合子はかなりの経験者で、春奈に勝ち目はなさそうに見えた。春奈は自走で来たので、レース前に随分長い距離走っている上に、初のレースで体力の消耗も他の二人に比べると激しそうだ。

「ちゃんと帰れる体力を残しておいてくれるかな」

 冬希の心配は、レースで何位になるかではなく、無事に家にたどり着けるかどうかだった。


 残り3周となったところで、春奈が先頭交代で牽く順番になった。春奈の後ろは百合子、幸子と続く。

 春奈はだいぶ疲れており、あまり周りを見る余裕がなくなってきていた。それが災いした。

「あっ……」

 幸子が小さく声を上げた。ガリガリと音を立て、ペダルについている前のギア、チェーンリングの内側にチェーンが落ちてしまった。

 幸子は、慌てて自転車を止め、外れたチェーンを必死に直そうとする。

「もう、残り周回も少ないのに!」

 焦ってしまい、なかなかチェーンが掛からない。幸子は泣きそうになった。


 幸子の後ろを走っていた百合子は、幸子のチェーンが外れたことに当然気が付いた。だが、幸子の前を走っていた春奈は、幸子のメカニカルトラブルに気がついていない。

 ここで問題になってくるのは、自転車ロードレースに於ける「紳士協定」だ。

 有力選手がメカトラブルで遅れが発生した場合、復帰するまで待つのが望ましいとされている。当然百合子は知っており、春奈もTVで全国高校自転車競技会を見ていたので、一応その辺の知識はあった。だが、後ろを走っていた百合子は気づいて、前を走っていた春奈は気づけなかった。

 百合子は、止まった幸子を気にしているうちに、春奈がどんどん先に行ってしまったため、宙ぶらりんの状態となった。

「もう!」

 百合子は、スピードを落としつつ、走りながら幸子を待つことにした。


「掛かった!」

 手が真っ黒になりながら、なんとかフロントギアにチェーンをかけた幸子は、自転車に跨った。

 しかし、春奈も百合子もすでに遠く走り去っており、さらには、追走していた10人の集団、3人のグループ2つにも抜かれ、残りの周回数からすると、すでに勝利は絶望的だった。

「もう、止めようかな・・・」

 棄権という2文字が頭に浮かんで俯いた時、幸子の横で誰かが止まった。

「お嬢さん、最終列車に乗ってくかい?」

 幸子の心を掴んで離さない「光速スプリンター」青山冬希だった。


「他の二人がいなくなっちゃった。ボク一人でゴールまで走らなきゃならないの?」

 春奈は、先頭交代をやろうとして、初めて後ろに誰もいないことに気がついた。自分が単独先頭という喜びより、このままずっと単独で走り続けなければならないことに、少々気が重くなっていた。


「美しいフォーム、安定感のある走り」

 強力な牽きを見せる冬希に、うっとりした視線を向けながら、幸子は冬希の後ろを走っていた。

 幸子の脳裏には、TVで見た全国高校自転車競技会で、冬希に牽引された立花の姿が思い浮かんでいた。

「立花選手もこの背中を見ながら走ったのね」

 TVで見たシーンの再現に幸子は夢中になり、レースのことをしばし忘れていた。

 まず、3人の集団が2つ、冬希と幸子に抜かれていく。

「あ、青山選手だ。いいなぁ。私たちも!」

 冬希と幸子の後ろに、6人がくっついた。

 そして、10人ほどの追走集団にも追いつく。

「何あれ、私たちも一緒にいきましょう!」

 冬希の後ろに16人の集団がついた。

 そして、幸子を待ちながら走っていた百合子は、自分を抜いていく巨大な集団を見てギョッとした。

「何これ」

 だが、百合子とてこの集団についていかなければ、勝ち目がなくなってしまう。

 冬希の牽引するトレインは、冬希と百合子を含めると、実に19人もの集団になってしまった。


 カランカランとベルが鳴り、計測ラインで最終周となったことが告げられた。春奈は、辛そうだがなんとか一定のペースを保って走り続けている。

「おい、あれ……」

「うわぁ、あれ、すごいな」

 春奈が通過してから30秒ほど後に、冬希の牽引する集団が唸りを上げながら計測ラインを通過する。

「最後の最後であの牽引についていっているとは、いい経験をさせてもらってるな」

 各校の顧問の先生たちは、自分の生徒たちが優勝争いに絡む経験をさせてもらおうとしていることに対して、冬希に心から感謝した。

 一度でも優勝争いに絡めれば、それは次回以降の強いモチベーションとなることを、先生たちは知っていた。


 冬希が牽引するトレインが春奈の後ろ姿を捉えたのは、最後の直線の、上り坂の入り口あたりだった。

 スプリンターのアシストが牽引を外れるように、冬希は集団をリードアウトした。

「頑張って、勝てるよ」

 冬希は、引っ張ってきた18人を一気に発射した。

「え、えええええ?」

 動揺する春奈に、スプリント集団が襲いかかる。あっという間に春奈は飲み込まれ、集団は団子のままゴールに雪崩れ込んだ。

「やった!!」

 幸子が片手を高々と挙げ、2位に入った百合子が悔しそうにハンドルに突っ伏した。他の選手たちも、喜んだり悔しがったりしているが、一様にみんな楽しそうだった。

 後ろからその様子を見ていた冬希自身も、ゆっくりゴールラインを通過する。

「いやぁ、いい仕事したな」

 うんうん、と満足げに頷いていると、頬を膨らませた春奈が寄ってきて、冬希に言った。

「もう、いじわる」


 レース後、事情を聞いた春奈は

「そうだったんだ。じゃあ、あのまま勝ってたら申し訳ないことをしちゃうところだったね」

 と、状況を理解して、納得してくれた。

 春奈は、12位でゴールしていた。

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