第132話 千葉地区 女子自転車競技部 新人戦②

 午前10時にスタートした、千葉地区の女子自転車競技部による新人生は、青く澄み渡る空の下、千葉県を代表する2名の男子選手の牽引のもと、しっかりした隊列が形成され始めていた。

「なんか、背中にすごい視線を感じるんだけど」

 冬希は、背後からのプレッシャーに怯えつつ、昨年国体自転車ロード総合8位の今崎健の後ろで一緒に、ペース作りに取り組んでいた。

「確か、大津幸子選手だったかな。レース経験も豊富らしい」

 事前に今崎から聞いていた、有力選手の情報を思い出していた。

 1周走って、選手たちも緊張がほぐれてきたと見た今崎は、一段ペースを上げた。47人いる参加選手たちの隊列は、少しずつ縦長になっていく。

 脚に自信がある選手たちは集団の前の方に位置し、自信がない選手たちは邪魔にならないように集団の最後尾に固まっていた。

 1周半ほど過ぎたあたりで、今崎が牽引から外れて、下がっていく。今崎に代わって先頭に出た冬希は、集団の様子を見ながら、少しだけペースを上げる。これにより、一部選手たちが密集していた中段あたりが1列に伸び、接触による落車の危険性が減ったことを確認した。

「いい感じだ。新人戦と言いつつも、結構みんな上手いなぁ」

 冬希が感心していると、集団前方でアタックをかけた選手がいた。

「あれは、確か大島百合子選手か・・・」

 百合子は、冬希を抜いて一気に逃げようとしている。

 冬希は、邪魔にならないように、静かに集団の牽引を終えた。


「ああ、青山選手が下がっていってしまわれる・・・」

 冬希の背中を見ながら走っていた大津幸子は、幸せな時間を奪われて憤懣やる方ない気持ちに見舞われていた。できれば、地平の果てまであの背中を見ながら走って行きたかった。

「空気を読まずにアタックするなんて、許せない」

 幸子は、怒りに任せ、逃げた百合子を捕まえに行った。

 百合子を捕まえに行くために、ペースを上げた幸子にそのまま春奈はついて行くことにした。

 自転車歴は短いが、ここ1~2ヶ月ほどは、冬希と共に土日両方で江戸川の往復120kmを走っている。脚にも呼吸にもまだ余裕があった。

「えっと、15周のレースだから、あと13周か。1周1.5kmぐらいだから、あとおおよそ20kmだ」

 江戸川で例えると、野田から関宿ぐらいで、そんなに苦にならない距離だから、まだ頑張れる、と春奈は計算した。


 レースは、3人の逃げが形成され、その後は10人ほどの集団はあるものの、基本的には、小集団が複数存在するような展開になっている。本当の初心者も含まれるため、少しずつ周回遅れになる選手たちも出てきた。

「今崎さん、お疲れ様です」

「青山、今のところ平和だな」

 序盤のレースを作った二人は、初心者ばかりで心配な集団の後ろについたり、落車やトラブルが発生した選手がいないか、見てまわったりしていた。

 今崎は、冬希の後ろについてしばらく走る。

「青山、予選会の時とは、まるで別人だ」

 今崎は、真後ろから冬希の走りを見て、驚いた。体もより絞られているが、走りの安定感が以前とは比べ物にならない。体幹がしっかりしたのか、左右にフラフラすることが全くなく、綺麗に一直線に走っている。路面が悪いところでも、走りに一切ブレがない。

「全国で、どれほど過酷な戦いをしてきたのか」

 自分が出れていたら、自分ももっと実力が上がっていたかもしれないと思うと、神崎高校に敗れて全国高校自転車競技会に出場できなかったことを、心から残念に思った。

「坂の下で落車です!」

 スタートライン付近で、女子選手が冬希たちを追い抜いていく時に声を掛けていった。

「ありがとう」

 冬希と今崎は、教えてくれた選手に礼を言う。

「今崎さん、俺がいってきますね」

「ああ、頼む」

 冬希はペースを上げた。


「こんな大切なレースの時に……」

 坂の下で落車した日高真由美は、泣きそうになっていた。

 TVで見た『光速スプリンター』と一緒のレースを走れる。それを知った時は、何がなんでも先頭を走る冬希について行こうと思った。しかし、実力不足は否めず、真由美はすぐに呼吸が苦しくなり、集団から千切れてしまった。

 せめて、同じ学校の友人と一緒に走ろうと、後ろから来るのを待っていた。下り坂の途中で後ろを振り返ったため、そのまま曲がりきれずに、下りきったところにあるカーブの土手に突っ込んでしまった。

 土手は草が生えており、クッションになってくれたお陰で、真由美は怪我一つなかったが、ブレーキレバーがハンドルの内側に曲がってしまい、前輪もハンドルとは明後日の方向を向いている。さらには、チェーンまで外れてしまい、とてもレースを再開できる状態ではなかった。

「怪我はない?」

「あ、はい、え?」

 真由美は振り返ると、そこには、T Vで見た青山冬希が立っていた。

 真由美が固まっていると、冬希は自分の自転車を土手に立てかけ、真由美の自転車を起こした。

「ブラケットが曲がっている。フロントフォークの向きと、後チェーンも外れてるね」

 冬希は、トントンとブラケットを叩くと、ブレーキの向きを戻し、両足で前輪を挟んで、力任せにハンドルの向きを矯正する。そしてフロントギアにチェーンをかけて、ペダルを回して真由美の自転車を、あっという間に走れる状態にした。

 真由美は、魔法のように自転車を直す冬希の手際の良さに、ぽうっと見惚れていた。

「よし、じゃあ乗ろうか」

「あ、はい」

「あ、ごめん、バーテープが汚れちゃったね」

 チェーンを触った、黒く汚れた手でハンドルを持ったため、バーテープに冬希の指の形の跡がついてしまった。

「いえ、いいんです!!ありがとうございました」

 真由美は、全力で首をブンブン振る。

「じゃあ、頑張って」

 冬希は、自転車に跨った真由美の背中を、汚れていない方の手で押して送り出した。

「きゃー、このジャージ洗濯したくない。あと、このバーテープは、家に帰ったら、額縁に入れて部屋に飾る!絶対飾る!」

 真由美は、立派な額縁を買おうと心に決めた。

 

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