全国高校自転車競技会編

第33話 入学式

 凍えるような冬が終わり、新緑が美しく、自転車に乗りやすい季節になってきた。

 入学式の日だというのに、自転車のジャージを身にまとい、リュックに着替えを入れて学校へ向かう。

 入学前から神崎高校自転車競技部でトレーニングを重ねてきた青山冬希に、もはや新鮮さは無かった。


 学校の自転車競技部の部室の前につくと、いつもの通り自転車ラックに自分のロードバイクを置き、部室の取っ手を回す。

 扉は空いているが、中にだれもいない。そこは勝手知ったる我が部室。リュックから制服を取り出し、手早く着替える。

 神崎高校の制服は、中学の頃と同じ学ランで、着替えるのも慣れたものだった。


 自転車がトラブった場合とか、部室が開いてなかった時に職員室へ鍵を取りに行く時間とか、着替えの時間とかを考慮した結果、なんだかんだで1時間半も早く着いてしまった。

 仕方がないので、入学式が行われる体育館へ向かう。


「手が空いてるならこっちを手伝ってくれないか」

 声を掛けられ、そっちを向くと、見たことがある先生が立っていた。

 入学前、自転車競技部の監督でもある神崎理事長に連れられて校舎を歩いている時や、職員室に部室のカギを取りに行く時に、すれ違いざまに何度か挨拶をしたことがある。

 確か、昨年度の1年の体育の先生だ。

「あ、はい」

 多分、在校生だと思われているんだろうなぁと思いつつ、他にやることも無いので承諾し、体育館の中へ入る。

「おお、青山か。手伝ってくれるのか」

 冬希の良く知っている声がする。自転車競技部のエース、船津だ。

 船津は、他の何人かの在校生と共に、パイプ椅子を並べていっていた。

 在校生から名前を呼ばれた冬希を見て、満足そうに体育教師は体育館から出ていった。間違いなく在校生だと思われているだろう。

「はい、何をすればいいでしょう」

「1クラス、椅子の数が間違っていたようなんだ。足りない椅子を用意する必要がある。2脚だけだが、もう体育館には残っていない」

「それでしたら、自転車競技部の部室にあるパイプ椅子をもってきましょう。校舎から持ってくるより近いですし、ちゃんと拭けばきれいになると思います」

「そうだな、時間もないし。ただ、部室から持ってきた椅子は、片づける時にわかるようにしていてくれ」

「わかりました」


 冬希は部室に戻り、比較的綺麗な椅子を選ぶと、洗濯済みのタオルで軽く水拭きした。

 部室から持ち出す前に、椅子の脚に目印として黒いビニールテープを貼る。

 冬希は、新入生である自分が、同じ新入生の座る椅子を自分で用意するという滑稽さに笑いそうになった。

「船津さん、持ってきました。脚に黒いテープを貼っています」

「ああ、ありがとう。助かったよ」

「他に何か手伝うことありますか?」

「これを受付にもっていってくれ」

 船津から渡されたのは、新入生の名簿。人数を確認するために、受付から借りていたようだ。

「わかりました」

 冬希は受付に名簿を持って行った。

「これ、船津さんからです」

「ああ、ありがとう。すまないけど、ちょっと受付代わってくれないか、お腹が痛くて・・・」

「あ、はい」

 受付にはもう新入生がちらほらと見え始めている。急病なら仕方ないと、冬希は受付に座り、新入生から氏名を聞き、名簿にチェックするという作業を行う。

「ご入学、おめでとうございます。自分のクラスのプレートのある席にご着席の上、お待ち下さい」

「ご入学、おめでとうございます・・・」

 結局、腹痛で席を外した先輩は戻ってこず、冬希の担当したクラスは全員体育館の中に入って行ったことを確認した。


 先ほどの体育教師が戻ってきて

「情報システム科で、1名まだ来てないらしい。もう来ていないか?」

「あ、多分それは自分です」

「え?」

「え?」


 体育館の中では、もう入学式が始まっている。

 体育教師は、平謝りしながら、新入生の入り口からではなく、舞台側の入り口からコッソリ入るように、冬希にお願いをした。


 冬希も、言い出さなかったことを謝りつつ、体育館の横を迂回し、舞台横に向かう。

 そこに、色素の薄い、ショートカットの女子生徒が座り込んでいることに気が付いた。

 冬希が立ち止まると、女子生徒も冬希を見上げる。

 そのあまりの美しさに、冬希は言葉を失った。

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