第32話 卒業式

 冬希という名前は、単にカッコいい漢字を並べただけだったと父は言った。母は、1月生まれだから、冬という漢字が入っていてもいいんじゃないの?と、同意した。

 1月になって、寒さが厳しくなると、名前に冬という字が入っているからと言って、また1月生まれだからと言って、寒さに強いわけではないという事を感じる。


 周囲は塾だ、受験勉強だと勉強するもの、勉強せずに自然体で入試に臨もうとするもの、それぞれだ。

 だが、みんな同様に思った事は、なぜ受験生が1月にマラソン大会を行わなければならないかという事だった。

 誰にも理由がわからないマラソン大会は実施された。距離は5km。

 体育の時間に赤沼が、マラソンなのに42.195km走らないのかと体育教師に質問し、じゃあ職員会で再検討すると言ったときは、さすがの赤沼も袋叩きにあった。

 無事に5㎞で実施された。

 冬希は、ロードバイクで心肺が鍛えられていたので、ちょっと自信があった。陸上部の面々は、部活を引退してから、トレーニングはしてないはずだ。今なら優勝できるかもしれない。

 

 だが、現実は甘くなかった。

 心肺は平気だったが、足の裏とか、足首とか、膝とか、色々痛くなった。冬希も、自分の脚で走るの自体、かなり久しぶりだったのだ。

 だが、男子126人中10位。これはかなり好成績と言える。

 小学校の頃から持久走が苦手で、本気で走っても、いつも下から数えて20番以上になった事が無かったのだから大躍進と言っていいだろう。


 周囲が私立高校の入試を受け、合格発表があり、公立高校の受験を終える。

 卒業式は、公立高校の合格発表前に行われるので、専願の推薦で既に進学先が決まっている生徒や、最初から公立を決めている生徒以外は、卒業式というイベントそのものに、まったく意識を持っていくことが出来なかった。


 卒業式の日、冬希は母親と一緒に中学校へ行き、校門で写真を撮って、体育館の、卒業式の保護者席へと消えていった。たまたま通りがかった副担任の橋口先生が、母親と冬希のツーショット写真を撮ってくれた。

 親が卒業式に来るというのは、気恥ずかしさはあるものの、生んでここまで育ててくれた恩を考えると、それを我慢するぐらいは何でもないと、冬希は思っていた。


 卒業式を終え、教室に戻ると、冬希の周囲に屯っていた「大人しい男子生徒軍団」が集まっていた。

「青山くんと離れ離れになると思うと、寂しいです・・・」

 みんなで「青山くんと一緒の学校に行こう同盟」とか言っていたが、冬希の進学先が神崎高校に決まっていると聞いて、その同盟は発足後、秒で解散になった。

 今では各々地元の公立校の合格発表待ちとなっている。

「もう、このメンバーで集まることも無いんだろうな」

 冬希がふと思ったことを言うと、みんな寂しそう顔をし、何人かは泣き始めてしまった。

 冬希もそうだが、あまり友達がいなかったのかもしれないし、最後の数か月はみんなで集まって嬉しかったのかもしれない。もう少し早くこの集まりが出来ていたら、みんなで色々遊びに行ったりできたのかもしれない。


「みんなでグルチャのID交換しよう」

 冬希も含め、グループチャットアプリのID交換をすることになった。

 今まで、冬希はスマートフォンを持っていなかったが、神崎高校入学が決まり、買ってもらうことが出来た。冬希的には、持っていなくてもあまり困ったりはしなかったのだが、自転車で先輩方とトレーニング中に、はぐれた場合の連絡手段がなく、やっぱり必要だと思ったのだ。

 チャットルーム「ほのぼの会」が結成された。命名は冬希。


 その後、職員室へ行き、副担任の橋口先生、学年主任の浜池先生へ挨拶を行う。担任の安田先生には、挨拶を行わない。向こうも求めていないし、冬希も積極的に関わろうとは思わない。卒業後は、一切関係なくなるのだから。


 昇降口を出る。もうここに来ることは無いだろうが、寂寥感はない。これからの事で手一杯だ。

 日差しの向こうに、冬希を待っていた女子が居た。


 荒木真理、冬希の想い人。しかし、冬希は彼女に不義理を働いた。

 真理の志望校が神崎高校であると先に聞いておきながら、真理が神崎高校の受験をする前に、冬希の方が先に合格するという、抜け駆けともいえる行為を行ってしまったのだ。

 一般入試では、冬希が合格する確率は極めて低かったので、スポーツ推薦による入試に頼るしかなかった。その結果、真理より先に合格が決まるのは、仕方ないことだった。

 だが、それが真理にとって気分のいい話ではないであろうことは容易に想像できた。


 冬希のイメージでは、真理の合格したという話を聞いて、「実は俺も・・・」という展開をイメージしていたのだが、実際には真理が合格どころか、受験する前に、真理の担任からその情報が漏れていたらしく、それ以降、まともに口を利く機会が無かった。


「私、合格したよ。神崎高校」

 真理は、胸の奥から込み上げるものを言葉にするように言った。

「うん、おめでとう」

 真理が落ちてたらどうするつもりだったのか、冬希は盲目的に行動した自分が恥ずかしくなった。だが、それに気づいていたとしても、きっと行動は変えなかった気がする。

「私、怒ってるからね」

 真理は、本当はそんな事が言いたかったのではない、冬希が神崎高校に受かってくれていたから、諦めずに済んだ。勉強が頑張れた。それを伝えたかったのだが、口から出たのは、それと同じぐらい大きな、冬希への不満だった。

「・・・うん」

 冬希は次の言葉を待つ。

「・・・冷戦だ!」

「・・・うん、あ、え?」

「しばらく、口利いてあげない!」

 真理は、背を向けて去っていく。


 しばらく。そう言った。

 他の同級生とは違い、同じ学校に通うのだ。気持ちの整理がつけば、また話すことが出来る。

 仲が良くても、別の学校になれば、疎遠になることの方が多かっただろう。

 冬希は、自分の行動が、一定の成果を上げたのではないかと、ぷりぷりと去っていく真理の後姿を見て思った。

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