4.兄からの手紙

「ティア。お前に伝えておくことがある。アダスティア王国での事だ」


港に着いて皆船から降りているため、船の中はかなり静かだった。

閉められた扉の向こうから、薄らと外の喧騒が聞こえてくる程度だ。


船長室の奥にザックさんと向き合う私に、彼はじっと視線を向けてくる。

今までここまで真剣な彼の表情を見たことがなく、私は何事かと身構えた。


黙ったまま彼を見上げる私に、彼は真剣な面持ちのまま口を開いた。


「アークライト家の愚息がマディライト家へ乗り込んだらしい」


彼の言葉に、私ははっと息を呑む。

マディライト家に乗り込んだ。それがどちらの意味なのか、私は黙って彼の言葉を待つ。


「ロベルト様が伝えに来てくれた。どうやらを手籠にしようと、媚薬まで用意して明け方に部屋へ忍び込んだらしい。ティアが家を出た翌朝、明け方だ」


彼の言葉に、背中をゾクリと寒気が走り私は思わず両手で自身の体を掻き抱いた。


間に合って良かった──。


心からそう思った。

そして安堵の息を吐こうとして、ふと気が付いた。

私が家を出た翌朝、…?

それはつまり、あの手紙をあいつも見た…?

一気に血の気が引く私に、ザックさんは一通の封筒を差し出す。


「ロベルト様からだ」


私は急いで封筒を受け取ると、その場で手早く開封した。


『愛する妹へ

 君は、上手くどこかへ逃げられただろうか?

 く先を聞いていない私には、君に連絡を取る術がない。

 ザック殿に託して、いつか君がこの手紙を受け取る頃にはどれ程の時間が経っているだろう。

 君がこの手紙を受け取るまでに、ルーファスの奴に捕まっていない事を祈る。

 君が家を出た後、明け方にルーファスが君の部屋へ侵入した。

 君に媚薬を飲ませて襲うつもりだったらしい。

 それで君からの手紙を見られてしまった。

 勿論、君が死ぬつもりだと書いていたお陰で父と母は君を死んだものとして届け出てくれ、無事婚約も無効となった。

 けれど、ルーファスは君の死を信じていない。

 伯爵家の力を以って君を探し出そうとするだろう。

 どうか十分に気を付けて欲しい。

 可能であれば、奴が君に辿り着くまでに、君を守り抜いてくれるような相手と巡り合っていてくれることを願う。

 私達はアダスティア王国の屋敷を処分して、ダグナーへ移住することにした。

 私達の心配はしなくて良いから、どうか君が幸せであるように。君自身の為に生きて欲しい。

 幸せを願っているよ』


読み終わると私は手紙を元のように二つ折りにする。

その手紙に一粒雫が落ちた。


「ロベルト兄さん…」


大好きだった兄に迷惑をかけてしまった事だけが悔やまれる。

駄目な父と母だと思っていたのに、娘の最期の願いだけは聞き届けてくれたんだと僅かな嬉しさもあった。


「どうやら、アークライトのバカ息子が、家の力を使ってを捜しているらしく、先日アダスティアへ寄った時にこの船の奴等もセレスティア嬢を見かけなかったかと訊かれた」


私が手紙を読み終わるのを見計らって、ザックさんが零す。


「勿論、誰一人を見かけた者はいなかったがな」


彼の大きな手が、私の頭を優しく撫でる。


「ティア。困った事があれば、ギルを頼るといい。あいつはああ見えて腕も立つし、色々な所に顔も利く」


彼の言葉に思わず胡乱うろんな目を向けてしまう。

ギルが腕が立って、顔が利く?

あんなチャラい男が?

…顔は好いけど。

でもチャラいけど。


思ったことが顔に出てしまっていたのか、ザックさんが苦笑する。

「あー。あいつはな、ちょぉっと捻じ曲がってるだけで、悪い奴じゃないんだよ?」

…捻くれてるんじゃなくて、捻じ曲がってるのね?

「そう。分かったわ。ギル以外頼る人がなくなったら、その時は仕方ないからギルを頼ることにするわ。ありがとうザックさん」


私の言葉を受けて、彼は何とも言えない表情をするものの、すぐに何かを思い出したように声を上げ、上着の中へ手を突っ込んだ。

引き出された手には一枚の折りたたまれた紙が握られている。


「これ、やるよ。セレスティア嬢の人相描きだそうだ」

笑いを我慢するように言いながら渡された紙を受け取り、丁寧に開いていく。

「──は?」

私が間の抜けた声を漏らすと、彼は堪えられないとばかりに腹を抱えて笑い出した。


なんだこの子供の落書きは。

五歳児でももう少し上手く描けないか?

「…もしかして、これってルーファスが描いたの?」

「そうらしい。…ぶふっ」

私の言葉に答えてはくれるが、彼はだいぶ限界らしい。


「これ、私、見つかる心配なさそうね」

「そう…だなっ」

もう既に笑い過ぎて涙まで出てきたようで、彼は目尻に浮かんだ涙を指で拭っている。

一応子供の落書きより酷いソレの下には、文字で特徴が書き加えてある。

プラチナブロンドの長髪。アンバーアイ。15歳。

…該当する人間が一体どれ程いると思っているんだ、あいつは。

馬鹿で愚かで下衆な奴だとは思っていたけど、本当に救いようのない人間だったのね。

探せば、私のことを知っている人間でもう少しまともな絵を描ける人間がいたでしょうに。

あ、でも、私のことを知っている人間に、あいつに力を貸そうという人間がいないかもしれないわね。


「まあいいわ。笑い話のネタにギルにでもあげておくわ」

言って私は小さく折りたたんだそれをバッグの中に詰め込んだ。

「ところで、ザックさん。申し訳ないのだけど、兄に手紙を書きたいので、何か紙とペンを頂けないかしら?」

この機会を逃すと、次彼に会えるのがいつになるか分からないので、無理を承知でお願いしてみる。

「ああ、それなら──」

そう言って、彼はまた懐から折りたたまれた紙を取り出す。

そして紙を丁寧に開いて、折りたたまれていた外面にあたる方を表にして渡してくれる。

何となく想像は出来たけれど、一応確認すべきなのだろうか…。と思いつつ裏面を見る。

「……」

「否、メモ用紙くらいにはなるかと思って」

笑いを堪えて彼の口端がひくついている。

私は敢えてそれに応えず、渡されたペンを受け取って、側にあった机で兄への手紙を書き始めた。


書き終わったソレを折りたたみ、兄からの手紙が入っていた封筒へと入れる。

「ザックさん、ダグナーへ行くことがあれば、これを兄へ渡して頂けませんか。兄妹揃って手間をかけさせますが、どうぞお願いします」

「ああ、任せろ」

差し出された封筒を彼はいとうことなく受け取ってくれる。

受け取った封筒を懐へしまうと、彼は私へ手を差し出した。

「さあ、もう戻ろうか」

彼に手を取られ、私達は外へと戻った。


船を降り、ザックさんに見送られ、私は出店の立ち並ぶ中へと戻った。

目新しい物がないか見てから帰ろうと、ぐるぐると出店を見て回る。

通りがかった出店に、アロマオイルに並んでアロマキャンドルと書かれた蝋燭が置かれているのを見つけて足を止める。

アロマオイルは既に結構色々な種類が出回っていて、うちの雑貨屋でも取り扱っているが、アロマキャンドルというのは今まで見たことがない。

並んでいるのはラベンダー、ローズ、ジャスミンの3種類。

店員に説明を聞こうと一歩足を踏み出した瞬間、トンっと誰かと肩がぶつかった。


「あ、すみません」

慌てて顔を上げ謝ると、相手も「こちらこそ申し訳ありません」と謝ってくれる。

視線を上げたその視界に入ってきたのは、ブラウンの髪。そして黒いシャツの上に白に赤のラインの入った上着、白のズボンに黒いマントという騎士の出で立ちだった。


休日のこの出店には多くの人が集まる。

人が集まれば犯罪や争いが起きることもある。

そのため騎士が巡回しているのは知っていたが、こうして出遭うのは初めてだった。

アダスティアではこんなふうに騎士が治安維持に動いてくれることも少ない。

ウェルネシアは本当に良い国だと思うし、この国の騎士も素晴らしいと思う。

そんな思いで見上げると、ぶつかった騎士が改めて「お怪我はありませんか?」と聞いてくれる。

「大丈夫です」

そう返しながらふと視線をずらすと、ぶつかった騎士のすぐ後ろに、銀髪をてっぺんで結った長身の騎士が反対を向いて立っているのが視界に入る。

どうやら二人組で巡回にあたっているらしい。

ぶつかった騎士は私に怪我がないと知ると「では失礼します」と言って歩き出し、銀髪の騎士もこちらには顔を向けないまま歩き去っていった。

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