私がもし明日死んだら

夏野彩葉

私がもし明日死んだら

 私がもし明日死んだら、この人は子供達とちゃんと生きていけるのか――夫を見ながら私は時々そんなことを考えていた。


 夫と出会ったのは1986年の初夏、短大の先輩達に連れられて行ったディスコだった。有名大学の学生だという六、七人男の子達に、先輩は私達一年生を次々に紹介していく。「Show me」がうるさく流れていたのをよく覚えている。その中で二番目に背が高く三番目に顔の格好良かったのが、後の夫だ。

 よく考えてみると、私はディスコなんて行くような柄じゃなかった。実際、ディスコに行ったのはそれきりだ。ただ先輩に誘われただけ、ちょっと興味があっただけ。しかし、そこで出会った人と結婚したのだから、――それはそれで運命だったのかもしれない。

 三回ほどデートに行って、告白されて秋に交際が始まった。別に、彼に恋していたわけではなかったように思う。あの頃の独特な雰囲気と、周囲の恋愛ムードと、高身長・高学歴で将来きっと高収入になるの相手だというのと――恋に恋していただけだったのだ。たぶん。

 その後も交際は続いた。父は恐らく娘がディスコで出会った相手と交際しているという点で少し渋い顔をしたが、彼が直接挨拶に来ると多少は態度を軟化させた。彼の実家では親切にもてなされる一方で、後の義母から料理を習うこともしばしばあった。決して厳しいものではなく、「和彦はあれで甘いものが好きなの」と茶目っ気たっぷりに笑う義母と過ごす、楽しい時間だった。

 就職はそこそこの企業の一般職にすんなり決まった。男女雇用機会均等法が叫ばれていたとはいえ、うちの短大の卒業生は一般職が当たり前で、総合職として入社した大卒の女の子とは少し壁があったように思う。お茶くみやコピー取りを三年ほどやって、丁度バブルがはじけた年に退職――いわゆる寿退職だ。両親、特に母は「これで恵子は安泰ね」と大袈裟に喜び、旦那様は三高だと友人達には羨ましがられた。

 結婚と同時に都内のファミリー向けマンションに引っ越して、1993年に長女の有里、1995年に長男の隆司を出産した。二人ともそれなりにできた子で、それなりに手を焼かせる子だった。母がたまに来て手を貸してくれたのが幸いだったが、泣き出すたびにお乳を与えたりおむつを替えたり、ぐずるとあやしたりなだめたり、とにかく一人でてんてこ舞いをしていた。

 巷でイクメンがもてはやされるようになっても、夫は我関せずとばかりに昭和の男を貫いた。かつて私の結婚を羨んだ友人の一人が、中学時代の同級生と結婚して家事や育児を分担しながら保育士を続けていると聞いたときはひっくり返るようなショックを受けた。うちの夫では考えられない。外出先でベビーカーを押したりミルクを作ったりはしてくれたが、子供の前で平気で煙草を吸うし、おむつは見て見ぬ振りで、泣き出したら私にパス。咎めるように視線を送るたびに、「余所より稼いでいるんだから、これ位いいだろう」とでも顔に書いてあるようだった。

 この人、私がもし明日死んだら何にもできないんじゃない――そう考えてしまって、ぞっとした。泣く娘と息子を前にして何一つ出来ない父親に。そして、そんな恐ろしいことを考えてしまった自分に。

 ことある毎に「もし」は私の目の前に顔を出して、そのたびに私はそれを振り払うかのように家事と育児に取り組んだ。食事の準備に幼稚園や習い事の送り迎え、洗濯や掃除、買い物。夫と子供のいないうちにやっと録画したドラマを見る。忙しくしていれば、余計なことは考えずに済む。夫が育児に積極的でないことに対して、私は完全に目をつぶることにしたのだった。


 2012年、有里は第一志望の私立大――夫の母校――に落ちて、第二志望に落ち着いた。

「お母さんの頃とは違うよ」

 有里はこの頃、何かにつけて私を刺すようなことばかり口にする。進路を選ぶ時も、受験に落ちた時も、彼氏の話をする時も。シャカイシンシュツ、ジョセイカツヤク――そう言うときの有里には決まって若さと力がみなぎり、どこか得意げだった。

「あたし、専業主婦なんて絶対無理。ずっと家にいて家事だけやってるなんてさ。やっぱ仕事しないと」

 そう言われても、私の頃は専業主婦それが普通だった。そもそも結婚しないことは考えられなかったし、会社も女性は30歳になったら定年扱い。だから普通の女の子は高卒か短大を出たら一般職で入社して、三、四年働いて寿退職。大学へ行くような子はよほどの勉強好きで、卒業したら総合職として脇目も振らずバリバリ働くことを目指している。

 有里の言うことは正しい。私の若い頃と今は違う。今は結婚のために仕事を諦める必要も、仕事のために結婚を諦める必要もない。むしろ共働きが当たり前になりつつあるし、子育てしながら働く女性もたくさん――十数年前に家を買った、この住宅街にもいるのだ。それくらいは私も理解している。

「結婚するなら、家事とか分担してくれる人がいい」

 分担なんて一丁前に言いながら、有里もまともな家事が出来るわけではない。隆司にもまるっきり同じことが言える。料理は調理実習で作ったカレーくらいしか出来ないし、ボタンも取れたら「付けておいて」と私に寄越す。掃除機すら自分からは掛けない。電子レンジは使うくせに、洗濯機の使い方も分からない。高給取りになって家事を全て外注するならともかく、普通に考えて、身のまわりのことくらい自分で出来ないのは困りものだ。もし将来二人が結婚したら、結婚相手に全て負担させるつもりでいるのだろうか。


 あなた達、主婦わたしをなめてるの? 家事は必ず誰かがやらなきゃいけない仕事よ。共働きは家事から逃げることじゃないって分かってる?

 そう言いたくてたまらない瞬間が、時折私を襲う。


 私がもし明日死んだら、この人達はどうなるのか――夫と二人の子供を見ながら、私は時々そんなことを考える。

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