10日 弟月町小史② 戦中~終戦 オコちゃんの話

 戦時中の話なんか面白うもないよ。

 でも、あの子のことは話しときたい。私もいつボケるかわからんからね。


 私、名前が織子おりこいうもんで、オッコとかオコとか呼ばれとったね。生まれは見可島みかじま。港から定期船が出とろう。

 島は良かったよ。みぃんな顔見知りで、なんでも分け合うて。家に鍵なんかしたことなかった。泥棒したって港で御用になるもん、逃げる先なしよ。


 戦争が始まっても最初の頃はのんきなもんでね。なんもない島に爆弾なんか落ちるかい。空襲警報が鳴ってもああまたか、ちゅうもんで。ラジオも勝った勝ったと景気の良いことしか言わんし。

 それがあんた、だんだん雲行きが怪しうなって。島の真ん中に大きな横穴掘って共同防空壕ができた時には、これは本当に怖いことになったと。

 憲兵が島にも来て、あやしい奴がいたらとなり組で見張り合って通報せいと言われてね。嫌だったわあ。顔見知りどうしで何を見張るのやら。


 私ら子どもが毎日学校でするこというたら運動場を畑にして芋植えて。退避訓練やら竹槍やら……ああ長刀なぎなたは好きだったけどね。ま、勉強なんぞロクにできやせん。面白うない、授業中に警報鳴らんかしら、そしたら防空壕で本が読めるのにとか思ったもんよ。


 疎開の子は可哀想だったなあ。疎開てわかる? 空襲から守るために子どもだけ田舎に預けるの。親元から離れて集団でお寺に住んで。島には共同風呂があったけど、疎開児童はシラミがおる、最後に入れ、て怒られて。ほんと、可哀想だった。

 ミツちゃんはちょっと別の事情で疎開してきた子だった。乙尽の、ああ弟月のね。端出はしで岬になんやら陸軍が造るというて家が取り壊しになったらしい。

 あの子はちゃんとした育ちのお嬢さんで、色白さんでね。言葉も「わたくし」ときた。私ら島の子も弟月の子も、そんな上品なしゃべり方なんぞしたことがないからびっくりしてね。そしたらいじめる者もおるわけよ。どこのお公家さんぞ気取るなちゅうてね。私はよく手を引っ張って悪童どもから逃がしてやった。

 私は男みたいな性格なもんで、服も青だの水色だの、襟まで水兵さんみたいなのばっかり着せられてたのよ。嫌だったんだけど、その水兵服をミツちゃんは褒めてくれた。あれは嬉しかったなあ。


 島に空襲はなかったけど、一度だけ海に爆弾を落とされたことがあった。そりゃあ怖かったよ。でも空襲警報が解除になると、それっとね、みんなバケツ持って海岸に走るわけ。爆弾のせいで魚が浜にいっぱい打ち上げられとるのを捕まえるのよ、大漁、大漁いうてね。とにかく食べにゃいかんから。

 まあとにかくひもじかった。うちもだけど、どこの家も子どもが多かった。配給だけで足りるわけがない。大人たちは向かいの弓張ゆみばる大町まで船で買い出しに行って、なんとか食糧を手に入れてたなあ。


 その弓張が……焼夷弾で焼かれてね。

 夜だった、まだ覚えとる。海の向こうが真っ赤な火の海で。

 私らは島に居るからどうすることもできん。

 ただ見ることしかできんかった。


 もうね、その頃になると誰もラジオの言うことなんぞ信じてなかった。なにが勝った勝ったじゃ、頭の上にはB29が飛びよろうがと。それに引き換えこっちはなんじゃ。鉄の供出というて鍋やら鍬やら、しまいには学校の鐘から床の釘まで出すように言われて、もうむちゃくちゃよ。ああこれは日本も負けるなと子どもでもわかる。でもそんなこと口には出せん。憲兵に引っ張っていかれるもの。


 終戦になった年の暮れに、ミツちゃんは親元に帰っていった。

 帰り際に変なこと言うとったなあ。

「小さい頃、弓張で助けてくれたのはオコちゃんね」て。

 そんな覚えないから返事に困ったよ。

 あれは、どういう意味だったんだろね。


 ミッちゃん、生きてたらもう数えで90かね。

 元気だろうか。




 








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