硝子の宝石

@manta100

白黒1:それは、余りに真っ黒で。

思わず声をかけた事、私は後悔していない。

だって、その胸にある"それ"が、余りにも。



僕が"それ"を見たのは確か、秋が去り寒さをいや増しに増していく10月の半ば過ぎだった。

その日の僕は何時もの如く大学の隙間を縫い、バイトへ行き、そして。


「お世話になりました」

「あーはいはい、お疲れ様だったね。でもそんな根性じゃ社会やってけないよ?」

「…はは」


…コンビニの店長、"元"上司の罵倒を軽く受け流しつつ薄ら笑いでその場を辞した所である。

知らねーよボケが、と言う言葉を呑み込むことに苦労した。


僕は多少他人より変に繊細で、無駄に勘ばかり鋭く、少しばかり"視え"すぎて、しかも頑固らしく、幼い頃から社会生活と言うのが苦手である。


有り体に言うと、他人と話(大概においてそれはその場にいない誰かへの悪口である)を合わせたり。

云われもない同調圧力を察していながらそれを無視したり。

揉め事が起こる気配を察知して、仲裁せずさっさと逃げる事も何時ものことで。


…まあ、きっと僕が悪いのだろう。

僕にだってそれくらいは既にわかっている。

それはこの女一人、凡そ23年程度の人生経験で言われ続けてきたから。


面倒だから悪口から逃げれば、当然僕が言われる対象となった。無視していたら自然に消えた。

僕が反応しなかったのがつまらなかったのだろう。

察してくれず"鈍感"と言われたが別に気づいていないわけではない。僕は察してちゃんなど嫌いだ。

目の前の喧嘩を眺めていたら"薄情物"と罵倒された気もする。

それで関わらないですむならと粛々と受け入れた所、此方まで巻き込まれてしまった。これは失敗だったように思う。


…そんな僕の自業自得に関してはどちらでも良い。

どのみち止めるつもりが無いのだ。

こう言う所が頑固なのだと自分ですら思う。

ただその結果として、または当然の帰結として、僕は世界に居場所が無かった。


「…寒い、またバイト探さなきゃな…」


ばさり、と夜の如くに真っ黒なコート…を着る。

元々は白衣だったのだが、色々あり、真っ黒にしたり所々改造したり、繕って長々と使っている。


さて、思いもかけず暇になってしまった。

今日の講義は五限だけだからバッチリ入れておいたのだが。

架けられたアナログ時計を見やれば凡そ12時と言う所。


「…」

冬を感じさせる風に、はたはたとコートが翻る。

ぼんやりと空を眺めつつ、とりあえず駅に向かう。


何かをしたかったわけではない。

ただ、僕はどこにも行けないから、それを忘れたいが為に歩き続けていた。


「………」

ばさばさ。寒風が強まる。

よろよろと、歩く、歩く。


「……………」

辛い。

…具体的に何が、と聞かれると困るのだが。


「…………………」

ただ、漠然とした辛さと、身体を吹き付ける風と、零れそうな涙の感覚だけが自分を苛んでくる。

泣いたことも殆ど無いのだが、それは"泣きたくない"と言うわけでもない。


「……………………寒い」

仕方無い、仕方無いのだ。

きっとこれは仕方の無い事だ。

そうでなければ、もしかしたら人類全てが"こう"なのかもしれないが、僕の"眼"にはそうは視えなかった。


……駅に着く。

昼間だと言うのに、いや昼間だからか、がやがやと騒がしくも人々が行き交っている。


ピッ、がごん。

自販機から暖かく、目茶苦茶に甘ったるい事で有名なMINコーヒー500ml缶を見つけ、迷わず購入。

冬は苦手だ。けれど暖かいコーヒーを楽しめるのだけは良い。


「…」ぽすり、と改札前の広場にある広告塔に寄りかかる。掌だけはコーヒーで暖かい。

『冬の始めにはやっぱり冬服!初冬の大感謝!』と言った僕にはどうでも良い広告を背負いながら、人々をぼんやりと眺めていく。


「…あっちは石。こっちも石…」

ずず。コーヒーをキメながらまたぼんやりと"視て"いる。


ーーきっと僕が"こう"である最大の原因。

それは、私には、何故か。


「…石、石、石…あ、あっちのは入ってる…」


ーー人の胸、心臓の辺り。

そこに、"鉱石いし"らしきモノが視えるのだ。

その人の心…のようなモノらしい。


…これに気付いたのはいつ頃だったか。

何時からだったかは判然としないが、まあきっと生まれた時には既にあったに違いない。


そうでなければ、きっとあの時に。


…嫌な事を思い出しかけ、すぐさま頭を降って忘れる。

ずず。コーヒーの甘ったるい味だけがあの頃とまるで変わらない。


分かったことは、あまり無い。

けれどこれは本当にその人を表しているようだ。


イラついている人はバチバチ、と火花が出る。

落ち込んでれば黒く濁り。

他人を罵倒するときには飛んで相手の石にぶつかる。

スポーツの才能があるらしき男子の心は青白の宝石…の原石が飛び出ていた。


多少の興味と共に鉱石の種類を調べ始めたのはそれから。結局何だったかは分からなかった。

じっくり視られるわけでもなかったし、どうも現実にはあり得ない種類もあるようで。


「………何やってんだろ、僕…」

からん。横にあるゴミ箱に空き缶をそっと入れてひとりごちる。


こうして生きてきて23年と6か月。

役にたったことは只の一度だけ。

精々が調べた鉱石の知識で、大学の進路には迷わなかった位か。


「………」


それでも"これ"を止められない。

何故だろう、何故だろう。

みしり、みしりと心が軋む音が聞こえる気がする。


ーーこの眼は、自分の事だけは分からない。

視えないのだ。視ようとしても。

だから、僕は何時も恐れている。


…視えないだけで、僕の心も、あんな石塊ごみなのかもしれないと。


「…一寸ちょっと、其処の。黒ずくめの貴女」

「…んぇ?僕のこーー」


ーーだから、それを視た時には眼ン玉飛び出るほど驚いた。


視界に飛び込んだのは、白。

髪も白。服も白。眼の色も白。

ーー宝石こころまでもが真っ白で、透き通っていて。


眼を奪われる、と言うのはこう言う事なのだなあ。と、そんなことを思える暇すらなく。


「…貴女の宝石こころ、」

びくり、と身体が震えた。

何故、とか何、とか考えが纏まらないうちに。


「…真っ黒で、傷付いていて、磨かれてて」

ーーぼろり、理解より前に、眼から雫が一滴。


「とても、視ていて落ち着…わ」

「…ッ…!ーーーー…!」

その声はなんだか、自分がここにいて良いのだ、とそう思わせてくれて。

僕は人目も憚らず、その子にすがり付いて泣き出した。

一回り位小さい身体にすがり付いて。


ーーそれが、"私たち"の出会い。

"クロ"と呼ばれる僕と、"シロ"と呼ぶあの娘との、恥ずかしいけど、とても大切な時間。



ーーそれを視た時には、一寸ちょっと人生でも無いくらい驚いた。


視界に飛び込んだのは、黒。

髪も黒。服も黒。眼の色も黒。

ーーそして、宝石こころの色までも。


眼を奪われるとはこの事か。

思考の間も無く私は動いていた。


「…一寸ちょっと、其処の。黒ずくめの貴女」

思わずそう言ってしまった事、私は悪くないと思う。

だって、その胸にある"それ"が、余りにも。


それが、余りに真っ黒で。

夜の闇を集めて束ねたようで。

それが、余りに傷付いて。

夜の帳に走る稲妻のように視えて。

それが、余りに磨かれて。

歳を経た鉱石いし年月まるみと、秘めた優しさを思わせて。


ーーそれが、余りに澄んで、綺麗で儚くて。

ひびの稲妻が自分を砕く、硝子がらす宝石こころだと視えて。


それを、放っておけなくて。



そう、これはきっと。

皆にとっては大したお話ではないけれど。

私たちにはとても大切なお話。


この世界に居場所のない"私たち"がーー

それを見つけるまでのお話だ。

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