四百三十二話 その領域に立ったと思ってはいけない

「あ、が…………」


夕食の会計時、ディックスは顎が外れた? と思うほど大きな口を開けて硬直。


店員から伝えられた金額は、決して払えない金額ではない。

払えない金額ではないのだが……如何せん、予想以上過ぎる額であり、変な汗が止まらない。


「ふぅ~~~、結構食べたね」


「そうですね。良い感じに腹が膨れました」


ディックスをある意味死の淵に追い詰めた二人の腹は……腹七分目といったところ。

元々平均以上の食欲を持ち、昼前から夕方手前まで動き続けた成果が出ていた。


「次はバーですよね」


「そうだよ。あのバーはカクテルだけじゃなくて、料理もまたこの店とは違った美味しさがあるんだ」


「へぇ~、それは楽しみですね」


絶望するにはまだ早く、バーへ移ってから、二人は早速カクテルとつまみを注文。


ラダス一のバーということもあり、一杯でそれなりの値段を取る。


(うん、美味い。どのカクテルも……生意気言えるほど呑んだ経験がないけど、深みがあるな)


水を飲んで休むことはなく、つまみの料理を食べながら既に四杯のカクテルを呑み干している。


アラッドが飲み終えたカクテルはアルコール度数十パーセントから三十数パーセントと、決して低くなく……アルコール耐性が低い者であれば、一杯目で潰れる寸前に追い込まれるものもあった。


「マスター、アレキサンダーを」


「かしこまりました」


五杯目のカクテルに、一人の騎士が反応した。


「アレキサンダーか……アラッド君にぴったりのカクテルかもしれないな」


「? どういうことですか」


「アレキサンダーのカクテル言葉は、完全無欠だ」


騎士の言葉に、店内で同じくカクテルを呑んでいる騎士たちの多くが、納得いく表情で頷いていた。


当然、アレキサンダーのカクテル言葉を知らなかったアラッドの頬に、酔いとは関係無い赤みが入る。


「俺はそんな完璧な人間じゃないですよ」


「……そうだな。君は君で思うところがあるかもしれない。しかし、強さに関しては……恥ずかしながら、私は君に勝てるイメージが浮かばない」


カクテル言葉をアラッドに伝えた男性騎士の年齢は二十五。

アラッドと丁度一回りの差がある。


一般的には、戦闘経験の年数から男性騎士がアラッドに劣ることはまずない。

だが、あまりにも例外過ぎる強者と自身の差を認められない程、彼のプライドは凝り固まっていなかった。


(……もう、あの時の様な思いをすることがなければ、その四文字に近づけるのかもな)


思い浮かぶは、自分を庇おうとしたクロがトロールの一撃によって瀕死に追い込まれた過去。


「でも、俺にも悔いる過去はありますよ。まぁ……それのお陰で今の俺があるとも言えますけど」


「相変わらずアラッドは謙虚だね。そこが格好良いところだと思うけど」


「うちの家系的に、謙虚じゃない方が少ないですよね?」


「ん~~~……確かにそうかもしれないね」


当主であるフールは言わずもがな、次期当主であるギーラスも父と似て謙虚さが滲み出る雰囲気を持つ。

長女であるルリナは落ち着きがあり、よっぽどの状況でなければ強気な部分が表に出ることはない。

次男のガルアは……元々自信が表に出るタイプではあったが、怪物の出現によって自分なんてまだまだという思考が生まれ……それは今も消えず残っている。


アラッドと一方的な因縁があるドラングはガルアと似ており、己の実力をひけらかしている時間が惜しいという考えを持ち、今も一歩ずつ前進している。

五男のアッシュに関しては、そもそも圧倒的な才を持ちながらも己の実力に感心が薄い。


一家の中で強いてを上げるのであれば、次女であるシルフィーがやや謙虚寄りの性格ではなかった。


「というか、よくよく考えれば個人的には、完全無欠には至りたくないですね」


「ほぅ、それは何故だい?」


「完全無欠ということは、つまり成長の余地はないということじゃないですか。いずれは限界が来るかもしれませんけど……自分がそこまで自信を持てる領域に至ったと思ってしまえば、自分の成長が本当に止まってしまう気がして」


「……なるほど。いや、真理と言える答えだな。私の考えが浅いと言うべきか」


その後も静かな空間に時折楽し気な笑い声が響く中……ディックスは一人、隅っこで許容量を無視しながらテキーラのショットを吞み続けていた。

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