外篇4 聖女は霧刃を走らせる
古流剣術霞流、現代へ継承されたその剣技は優美にして鋭利である。
霞流は、あらゆる武術を習得し、その上で剣技に磨きをかける。なぜなら彼らの剣技は精神修練のためにあるのでもなく、肉体の鍛錬や技の継承のためにあるのではない。敵を殺すためにある危険な技術なのだ。
霞流の剣技が人を効率良く殺すことに特化している理由はたったひとつ。この技術は暗殺者たちによって作られたものだからだ。
はるか戦乱の時代でも天下太平の時代でも、常に暗殺者は必要とされた。そこで暗殺者たちはその技術を磨き続けるためにいくつもの血族を作り出し、そこに技を継承させたのだ。
そして、暗殺者たちの世界の中で唯一暗殺者を裏切った血族、それが霞流だった。
現代に生きる霞流の剣士にして、汐巻家の当主でもある
彼女と道を共にする者は少なかった。家族はすでに死に耐え、数少ない仲間たちも次々に殺されてしまった。
だが、彼女だけがしぶとく生き残り、追っ手の暗殺者と戦い続けたのだ。
追っ手は、全員が暗殺の達人だ。
拳で人を殺める暗殺格闘術の使い手や、忍者として隠密とさまざまな道具を使うのに通じる闇の暗殺者たちがシズクのことを殺そうと追いすがる。だが、歴代でも最上とされる剣技によってシズクは辛くも生き延びていた。
だが、たった1人での抵抗にはやがて終わりが訪れる。
孤軍奮闘し、暗殺者から身を隠し、泥を啜ってでも生き延びる。そんな生活を続けているが、シズクはまだ二十歳にもならないのだ。友も仲間もなく、信頼できる人間がいなくなって数年。彼女は孤独だった。
だから、一瞬も気の抜けない生活を続けた彼女は、いつしか疲弊し摩耗し、敵の罠に捕らわれてしまったのだ。
周囲は全て敵が包囲している。
逃げる隙は無く、秘策も奧の手も使い切ってしまったシズクは、静かに覚悟を決めていた。
両親から受け継いだ愛刀とともに、たったひとりでも抗って、ひとりでも多くの暗殺者を道連れにしてやる。
そう思って彼女は死地に踏み込んだ。
斬って斬られて、そして最後の瞬間が訪れると思ったその時、彼女の視界は不思議な光に包まれた。
――――――
視界が晴れた瞬間、思わず戦いの興奮のまま、シズクは人影に斬りかかってしまった。
だが、それは自分を召喚した異世界の魔法使いで、そこは剣と魔法の世界だと、シズクは知らされた。
それからは驚きの連続だった。
暗殺者の世界しか知らないシズクには、友達ができた。聖女と王女が彼女の仲間となったのだ。
そして、多くの敵を倒し、初めて大勢の人に感謝される経験をする。
これまでは、ひとり逃げ続け、孤独に戦い続けた。賞賛はなく、得られる報酬はただ生き延びたという事実だけ。
だが、シズクはこの世界で英雄となった。
人の命を奪うしかない剣技は、人々を救う聖女の技となり、なんと弟子まで出来てしまった。
全ての技を継承することはできなかったが、彼女の技は確かに異世界に根付いていった。
そして、彼女の伝説は物語となってその世界に残ることも知った。
だから、彼女はその全てに感謝して、その思い出を胸に、かつての世界に帰ることを決めたのだ。
決着を付ける。そして、今の自分なら道が開ける。そう確信して、彼女は元の世界への扉を潜った。
――――――
いくつもの刃が迫る。暗器に毒薬、なんでもありの殺意が迫る。
その刃や兵器たちが、シズクの体に当たったと思われたその時、シズクの体は霧となって吹き散らされた。
『幻霧の女神』の加護。それこそが、シズクに与えられた加護だ。
霧と幻惑を得意とする幽玄なる女神の力、それをシズクは刃に込めて、戦うための武器に仕立て上げたのである。
身に纏う霧で敵を幻惑し、愛刀は自在に霧の刃を伸ばして敵を撃滅する。
こうして、異世界から帰ってきた霞流の剣士シズクは、霧と幻を纏う『霧刃の聖女』としての力で、あっというまに自分の追っ手を全員戦闘不能にするのだった。
殺さずに、戦闘不能にする。それが今のシズクと追っ手たちの実力差だった。
「……世界を救うことに比べれば、追っ手を倒すことは何て簡単なんでしょう」
一瞬前までは死地にあったシズクが、何十倍の敵を撃退したことに驚きを隠せない追っ手たち。彼らにシズクはにっこりと笑いかけて。
「何度でも私の命を狙っても構いませんが、私は新たな力を身につけました。これからは反撃させていただきますので、お覚悟を」
宣戦布告、それがシズクの決断だった。
こうして、世界中の暗殺組織を敵に回したシズクは、再び逃亡生活を開始した。
だが、孤独に沈み、生きる意味すら見失いかけていたあのころとは違う。彼女は、他の世界に帰っていった聖女の友達たちを思い浮かべ、この世界での自分ができる最高の人生を過ごすことを決めたのだ。
もう彼女に怖れるものはなにもなかった。
霧と幻を武器とし、暗殺者の世界を一掃する。そうして彼女の新たな冒険が始まったのだ。
それは、世界に広がる裏社会に大きな変動を起こす大きな物語の始まりとなった。
あらゆる大陸に潜む裏社会の猛者たちと時に戦い、時に手を結び、シズクは自分が正しいと思うことを選択し続けた。
闇に住む霧の剣士、それは彼女の世界での最強の暗殺者の名前となる。
なぜなら、どんな暗殺者も彼女には及ばず、彼女の知る聖女たちもまた、この世界のどんな者たちよりも強かったからだ。
どんな恐ろしい軍人が挑んでこようが、硝煙の聖女エルに比べれば実力不足。
いかなる格闘の達人だろうが、鉄拳の聖女リューコよりは遙かに格下。
超能力だろうが霊能力だろうが、どんな科学者、発明品も戦闘機械も、シズクには恐ろしくなかった。
「……戦って戦い続けたら、いつのまにか誰も私に逆らわなくなってしまいました……そんな物語かしら?」
世界を裏から牛耳る最強の剣士、その名はもちろん――、だがこれはまた別の物語。
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