第20話 深夜の彼女達
渡瀬美織は自分の家のある階で降りると、そこで足が止める。
目を閉じて一呼吸すると再び歩き出し、玄関のドアを開けるとなるべく物音を立てように中に入った。
しかし、すぐにリビングのドアが開き、母親が出てくる。
「みーちゃんおかえり〜♪ ご飯食べて来たんでしょ? だけど一応みーちゃんの分も作ってあるからお腹空いたら食べてね」
「ただいま。うん、ありがと」
ニコニコと話しかけてくる母に美織はそれだけ言って自分の部屋に行こうとするが、それは阻止された。
「あ、そう言えばこの前のテストどうだった?」
「えっと……」
「まぁ、お母さん達の娘だから心配はしてないけどね」
「は、はは……」
心配無いどころか赤点ギリギリだった美織はそんな母親の言葉に辟易する。
出来ないことをしかる訳でもなく、過度の期待をする訳でもなく、ただ娘の事を信じて疑わないのが美織達の両親の特徴だった。
それは他の子達からすれば羨ましいのかもしれない。だけど美織はそれがたまらなく嫌だった。
悪い点を取っても「私達の娘だから」
いい点を取っても「私達の娘だから」
叱るわけでも褒めるわけでも無い。信じると言えば聞こえはいいが、干渉しすぎる無干渉と言った方がいいかもしれない。
「もっと怒ってよ。もっと褒めてよ。もっと……」
美織は部屋に入るなり小さく呟くと、ベッドに腰掛けてそのまま倒れ込む。制服のポケットからスマホを取り出してゲームを起動──だけして放り投げた。
「赤坂拓真。私の事を怒ってくれて呆れてくれて守ってくれる人。絶対に……彩音には渡さない」
そう言って、彩音の部屋がある方の壁を睨んだ。
◇◇◇
藤宮伊月は鍵を開けて自宅に入る。
リビングからは父と母と妹の談笑の声。
「ただいま〜」
伊月がそう声をかけると、部屋に沈黙が走った。
「お母さん。買ってきてた食材持って行っちゃってごめんね」
「ほらみんなご飯食べに行きましょ。お母さん買ってきたやつスーパーに忘れてきちゃったみたいなの。だから今日はレストランに行くわよ。三人で」
「っ!」
伊月の母親はそう言って伊月の横を通り過ぎる。目も合わせずに。父親も申し訳なさそうな顔でそのあとをついて行き、妹は伊月にぶつかりながら玄関に向かう。
そして三人の姿が消え、扉の閉まる音が伊月しかいない室内に響いた。
「なんで怒らないの? ボク、悪いことしたのに」
伊月は明かりの付いたままのリビングを通り過ぎると、浴室に向かう。既にお湯の抜かれた浴槽を見るとすぐにドアを閉めて、廊下の先の妹の名札の付いた部屋の隣の部屋に入る。そこには引っ越しで使ったダンボールや、今の季節では着ない服等が置かれていた。
伊月はその中を歩いてクローゼットを開けると、その中に入って電気を付ける。ここが伊月の部屋。ここだけが伊月の居場所。
制服を脱いで下着姿になると、すぐに下に敷いていた長座布団の上に寝転がり、獅虎怜央のイラストがプリントされたカバーをつけた掛け布団を体にかける。
「お風呂は……みんなが寝たらシャワーにしよ」
充電器をスマホに挿してゲームを起動。オープニングを見て、スタートせずにまた同じオープニングを眺める。僅かに指が画面に触れてタイトルコールが獅虎怜央の声で流れた。まるで伊月に呼びかけるように。
「…………。昨日までは怜央きゅんがいればそれで良かったのに。今は……」
伊月はゲームを終わらせ、メッセージアプリを開くと一つの名前をタップする。
その相手は赤坂拓真。
「拓真くん……もっとボクを見て。構って。かまってかまってかまってかまってかまって。愛して。なんでもするから。お金も全部あげるから。だから、私の事をずっと考えていて……あっ」
気がつくと伊月は拓真に無数のスタンプを送っていた。
「既読、付かないな。いつ見てくれるかな」
伊月の目は、メッセージ画面から離れない。
◇◇◇
日高奈央は買ったばかりの布団に身を包み、拓真が自分の服が乾くまでの間に来ていた姉のスウェットを抱きしめて、顔を擦り付けていた。
「んっ……ふぅん……っ! はぁ……。この匂い、好き。おねぇの彼氏の弟さん。今日初めて会ったのにこんな……。ダメ。この匂いを嗅ぐともう……」
奈央の手はゆっくりと下におりていく──。
◇◇◇
そしてそんな事を思われているとは知らない赤坂拓真。
彼は自室で頭を抱えていた。
「しまった。母さんに食パンとジャム買って来るように頼まれたのにジャムだけ買ってパン買うの忘れてた……。明日ご飯にジャム塗られて出てきたらどうしよう」
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