あなたの首がほしい
藤ともみ
序章
――時は戦国。
群雄割拠の世において、天下は治まらず、もののふどもが合い争い、戦果として首を取り合うのが当たり前だった時代。
稲刈りが終わり、秋空が澄み渡って、吹き付ける風が冷たくなってきた頃。戦に出陣した小松家当主、
主様のお帰りでございます――その言葉を聞いた姫は、急ぎ足で屋敷の玄関へと向かった。
彼女は他家から嫁いできた小松家の人質で、芳長の妻である。九歳の、美しくはあるが、まだあどけなさが残る姫は、人質ではあるが、五歳年長の見目麗しき若武者である芳長をいたく気に入り、芳長も姫を大切にしていた。
浮き立つ心を抑えながら、姫は宣義の妻の後ろに控えて頭を垂れた。芳長の声がかけられるのを待った。
「……面をあげられよ」
しかしかけられたのは宣義の声だった。姫が顔をあげると、宣義のほか、配下の男達数人の姿があったが、芳長の姿が無い。
「よしなが様は……?」
姫の問いに、配下の男たちが無言で、大きな箱を、前面に差し出した。彼らがゆっくりと蓋を開けると、そこには、首のない武者の胴体が納められていた。身につけた甲冑は見違えるはずもない、芳長のものであった。
配下の者いわく「芳長様でございます」とのことだった。
「芳長様は勇猛果敢に戦われましたが、お討ち死にされました。首は敵将に持ち去られまして、せめてお身体だけでもと、我ら必死でお持ち帰りした次第……」
小松の奥方は、息子の最期を聞き「よくぞ身体を持ち帰ってきてくれました」と配下を労ったが、姫は話を聞いていなかった。
「返せ……返せ……!!あの方の首を返せ!!」
姫は慟哭し、顔をおおって膝をついた。
「姫様、おいたわしゅうございます」
従者の一人が思わずかけた言葉に、姫は、ばっと顔をあげた。
「なにゆえ……」
その瞳には激しい怒りがこめられている。
「なにゆえ、よしながさまが死して貴様が生きておるのじゃ!」
姫は扇子を男に向かって投げつけた。
男は眉間を抑えてうずくまる。一同は騒然とした。
「姫様、お静まりください!」
「黙れ! この役立たずども!よしながさまの代わりに貴様らが死ねばよかったのじゃ!」
「お控えなされ
蟷子は数人に押さえ付けられ、自室へと運ばれていった。よしながさま、よしながさまと喚き散らす。姫は悲しみのあまり気が狂ってしまったのだと、小松家の人々は幼い姫を憐れんだ。
――夜も更けた頃。
蟷子の部屋に、主の宣義が尋ねてきた。
蟷子はすでに寝入っていたが、侍女たちに起こされた。
泣き腫らして真っ赤になった蟷子の目を、宣義は憐れんだ目で見つめ、彼女に言った。宣義も寝巻き姿だった。
「蟷子殿。芳長は死んだ。言ってしまえば、貴女に人質としての価値は無くなってしまったも同然だ。」
蟷子は宣義の言葉にうなずいた。きっと生家に帰されるのだろうと思った。
しかし――宣義は予想外の言葉を続ける。
「だがそれはあまりにも忍びない。そこでだ。貴女は私の側室に迎え入れよう。」
「は………?」
宣義はいきなり蟷子の寝巻きに手をかけ、衣服を剥ぎ取ろうとした。
「きゃあああ! なんと恥知らずな……! 誰か! 誰かある!」
「無駄だ。蟷子殿の侍女らには話を通してある。妻もわかってくれるはずだ」
宣義が下卑た目で蟷子を見て舌舐めずりをする。義父として敬ってきた宣義が、このような振る舞いをするなど信じられなかった。
それに、蟷子の純潔はまだ芳長にも捧げていないのだ。
「ふざけるな……わらわはよしながさまのものじゃ!」
蟷子は、隠し持っていた懐刀をさっと抜き、宣義の首筋に瞬く間に突き刺した。
夜の帳に鮮血の花が咲く。
宣義はひゅうひゅうと喉を鳴らして絶命した。
返り血で白い寝巻きを真っ赤に染めた蟷子は、ふらふらと立ち上がった。侍女が悲鳴をあげて人を呼びに走ったが、蟷子は無視した。光が差す廊下に出る。
悲鳴を聞き付けた従者たちに取り押さえられた蟷子は、憑かれたようにぶつぶつと呟き続けた。
「首を、よしながさまの首を探さねば……首を探してお身体につけて差し上げねば……」
――翌朝。小松家の邸は全焼し、芳長の体が入った箱が忽然と姿を消した。
火をつけたのは狂った蟷子だと噂された。
蟷子は小松家の者どもと共に焼け死んだのだろうと皆が思ったが、芳長の甲冑が跡形もなく無くなっていたのを人々は不思議がった。あれこれ噂が飛び交ったが、どれも確証を得られず、消えた芳長の身体は、後世、地元で語り継がれるおとぎ話じみた伝説となったが、やがてそれすら語り継がれることはなくなり、人々の記憶から忘れ去られていった――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます