第64話 聖女が聖女である理由。

 シルヴィアは翡翠色の瞳に怒りを宿らせて言う。



「あんたが憎いの」



 この台詞、二度目だ。

 一度目はそう。あの雪崩の直前だった。



「私が奇跡にすがってようやく手にしたものを、生まれながらにして何もかも持っていて、それでいておごらないあんたがね」


「……まだそのようなことを仰っているのですか」



 生まれや育ちは自分にはどうしようもないことだ。


 そもそもここは小説『救国の聖女』の世界。

 すべては主人公であるシルヴィアのために整えられた世界だ。


 当て馬である悪女役である私に、有利な状況などなにもない。


 婚約破棄はされるし、辺境に移住せざるを得なくなったし、災禍にもみまわれるし……。


 この人生はかなりハードだ。

 もう一度選べるならば、もっと気楽に生きる道をとりたかった。



(創造主の意向なんだもの。どうしようもないわ)



 悪役令嬢は物語の盛り上がりに必要なだけだ。



「あんたが陥れたんでしょう? 私とウィルヘルムを」


「シルヴィア様。根拠もないことを仰らないでください。あなたは聖女であり、選べる立場でした。それを放棄したゆえの、この状況ではないですか」


「私が選べる? 冗談じゃない」



 シルヴィアは粗末なスカートの裾をつまみ、



「こんなことになるのを望んだわけじゃないわ。聖女というなら、私は尊ばれなければならない存在でしょ。絹と宝石で飾られるべきだったのに、こんなボロ着なきゃいけないってありえない」



(もしかしてシルヴィアはこの現状を、私のせいだと思っているの?)



 愛欲に溺れ、処置を怠り、多大な損害を出し、皇帝の怒りを買ったのも、全てシルヴィア自身が選んだものだ。

 自ら招いたものなのに……。


 たとえ創造主の創り上げた世界であっても、それを選択したのはシルヴィア本人なのだ。



(異性が好きというシルヴィアの個人的な趣味は否定しないけれど……)



 自業自得だ。



「災禍を取り除ける力はあなただけのものです。優先すべきものを違えて大事おおごとにしてしまったのは、あなた自身です」



 私は両手を広げた。



「ごらんなさい。この有様を。あなたが役目をおこたったせいで、豊かな森は不毛の大地に変わってしまったわ。メルドルフは古から引き継がれた宝を失ったのよ」


「私には関係ないわ」



 心底興味なさそうにシルヴィアは顔をそむけた。



「関係ない?」


「そうでしょう? そもそもメルドルフは私のものじゃないし、私はここに住むわけでもないから、正直この地がどうなったって良いもの」



 自分にはかかわりがないから何をやっても、どうなってもいいと?



(なんて幼稚なのかしら……)



 まるで子供ではないか。

 こんな主人公シルヴィアに振り回され、大損害を受けざるをえなくなってしまったのか。


 異性と好きなだけ恋愛し楽しむだけ楽しんで、あとは放り投げる。

 なんという愚行。



「シルヴィア様。自らの行いには責任が付属するものです。身を持ってお知りになられているはずですが?」



 そのためにウィルヘルムは死に、シルヴィアは女修道院に収監されているのではないか。



「責任? 私は聖女よ。大儀の前のそんな些事さじ、許されることでしょ。それに神の啓示にしたがっているだけなのだから罪はないわ」



 シルヴィアは両手で自らの身体を抱きしめる。

 以前よりも痩せた身体は今にも消え入りそうなほどに細く儚く見えた。

 男性ならば駆け寄って抱きしめたくなるだろう。



「私に自分の考えなどいらなかったわ。神の声に従えばいいだけだった。神の思し召しのままにやるだけだったのよ」



 でも男達と寝るのは好きだったから悪くなかったわ、とシルヴィアは笑う。



「もしかして男性と関係を持ったのも……? ウィルヘルムを選んだのもの創造主の指示だったの?」


「当然、ウィルヘルムは神のお導きよ」



 シルヴィアは私にだけに聞こえるように声をひそめ、



「だけど全員に指名があったわけではないの。でも声をかけて断る男なんていなかったわ。自分の好みの男と寝ている時は相手から愛されているって実感がわいてね、私は必要とされているって思えたのよ。コンスタンツェさんは残念ね。そんな悦びを知らないのだから」


「……知りたくもないわ。あなたのその自己肯定感を充たすために、この世の全てがあるわけではないのよ」



 めまいがする。

 主人公の自己肯定感のために、これほどまでの代償を払うことになるとは。


 男性にではなく、聖女として大地を浄化することに生きる意義を見出して欲しかった。

 全力を注いで欲しかった。


 全てが遅いけれど。



「シルヴィア様、あなたが聖女としてもっと自覚をもってくれさえすれば……」


「この大地はダメージを受けなかったって?」


「そうです」


「それはないわね。神の意向だもの。私が早く来たところで被害を受けることは定められていたわよ」



 さすが主人公としか言いようがない。

 高慢で、無遠慮で無知。


 けれど許されるのが小説の主人公。

 特にラブロマンスというジャンルでは無条件に女主人公は愛されるのだ。


 多少の波はあるかもしれないが、それは物語の演出に過ぎない。



(何をいっても届かない、ということね)



 主人公とエキストラは決して交わらない人生、なのだ。



「でもね、コンスタンツェさん。何故だか分からないけれど、私にはもう神の声は聞こえないらしいわ。さっき神に言われたの。これで最後だって」


「え……」



(シルヴィアが聖女でなくなったということ?)


 それは何故?


 ここは『救国の聖女』の世界。

 主人公が聖女だ。

 物語の最後は皇太子と結婚しハッピーエンドで幕が下りた。


 だが現実のシルヴィアは皇太子と結婚することもできず、皇帝に捕らえられ命を狙われている。

 原作の筋書きとは大きく逸れてしまった。


 つまり、創造主の思惑から外れてしまったシルヴィアが、神の寵児である聖女である必要がなくなってしまった、ということか。


 シルヴィアは身体に巻きつけた自らの腕に力をこめた。



「あんたの考えどおり。きっと私はもう聖女ではなくなった。力も消えてしまってるはずだわ」

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