第65話 さようなら。聖女シルヴィア。

「そんな……」私は絶句した。



(ここまで原作が変わってしまうだなんて思いもよらなかったわ)



 エキストラだけではなく、メインの中のメイン。主人公の立場すら失ってしまうことがおこるなど、想像もしなかった。


 シルヴィアが聖女でなくなること。

 これは『救国の聖女』の巨大な渦の中心が、物語の柱がすっぽり抜けてしまうと同意だ。聖女とそれを巡るこの世界の構造が根底から覆されてしまったということになる。



「シルヴィア様、あなたが聖女でなくなるなど信じられないわ。あなたは唯一の神の愛し子で主人公だったのに」


「呆れた。コンスタンツェさんってさ、ハイデランド侯爵の姫君で頭がいいって評判だったよね? 馬鹿なのかしら。よく考えてみたら分かりそうなものじゃない。メルドルフの後に穢土が生まれないのがその証でしょ」



 確かに。

 聖女と穢土はセットだ。

 聖女が生まれれば大地は汚染される。

 それは絶え間なく行われるルーティンワークのようなものだ。


 南領の汚染の後、間を置かずしてメルドルフの汚染が始まった。

 住民の蜂起やらに気を取られていたが、時期的に次の汚染が起こっていなければならないはず。

 異変があればアロイスかハイデランドの情報網にかかり報告が上がるだろうが……。



(まだ何処の地域でも汚染の連絡はないわ。些細な情報でも私の耳には届くはず)



 ということは、やはりシルヴィアは聖女である理由を失っているということだ。

 聖女の喪失――。

 一気に現実味を帯びてくる。



(でもこれは皇帝に知られてはいけない)



 シルヴィアの価値がなくなったとなれば、帝国が保護する名目はなくなる。対外的にも重罪を犯した元聖女を処刑しても何ら問題がない、ということだ。


 まぁ実子であるウィルヘルムを躊躇いもなく殺害した皇帝だ。聖女であろうがなかろうが、いずれ密やかに処分するだろうが。



(シルヴィアの行く末は今はどうでもいい。それよりも)



 大きな懸念案件は、シルヴィアがメルドルフに居るということ。


 女修道院に収監されていたのに、いるはずのない場所に”聖女”がいるということを、皇帝と帝国からどう解釈されるのか。

 メルドルフかハイデランドが手助けして救出したのだろうと判断されたら、領のすべてに干渉する口実を与えることになりやしないか。



(何とかうまく取り繕わないと)



 ここにアロイスがいてくれたなら。

 何かいい手立てを立ててくれただろうに。



「ねぇコンスタンツェさん」



 狼狽する私をシルヴィアは狂気に似た光を宿した瞳で凝視する。

 そして白く細い指で形のよい唇を端から端へとなぞると、ふっと歪ませた。



「あんた今、私がなぜここに飛ばされたのか、って思っているのでしょう?」



 一歩一歩ゆっくりと私に近づいてくる。



「私はね、神は私に最後の役目を与えようとしてるのかなって思ってるわ。私に花道を与えてくださっているんだって」


「シルヴィア……さま?」



 怖い。

 私は後ずさった。

 シルヴィアも間をつめてくる。



「あんたは異端だわ。私の魅了も穢土も効かなかった。この世で聖女は絶対だというのに、あんたにだけは何の効果もないとかね。おかしなことよね、ねぇどうしてなの? 訳、知っているんでしょう?」


「私は……」



 不具合エラーだ。

 もともとコンスタンツェは蹂躙じゅうりんされるだけのモブだったのだ。


 それなのに、コンスタンツェとは違う世界の魂を宿してしまった。

 この世界が小説だというのことを知っている異質な魂を。


 でも、だからどうしたのだ。

 ここで生きている人間であることは変わりない。



「知らないわ。そんなこと分からない。あなたの信じる神にでもお尋ねすればいいわ」


「はぁ? むかつくんだけど! 私はもう神の声がきこえないっていってんでしょ!」



 シルヴィアの天女のような美貌が、一瞬にして悪鬼のような表情に変貌する。悪鬼は私に飛びかかり、両手で首に手をかける。


 小さく細い身体のどこにこんな力があるのだろう。

 ぎりぎりと首が絞められていく。



「や……めて……」



 ゆっくりと景色が回り始める。

 限界か……と覚悟した次の瞬間、シルヴィアの手が離れ、大きな影が私を抱き起こした。



「……イザーク」

「遅れまして申し訳ございません」



 イザークは振り返り、



「穢れた手で触れるな! この女郎めろうが」



 と低く冷たい声を放つと同時に、シルヴィアを地面に打ち据えた。射殺さんばかりの鋭い眼差しをシルヴィアに向ける。



「これ以上、コンスタンツェ様に近づかないでいただこうか。お前如きが触れていいお方ではない」



 抜刀した領兵がシルヴィアを取り囲んだ。

 私とシルヴィアのただならぬ様子に危機感を感じ、気配を消しつつ側に控えていてくれたらしい。



「なんなのよ。……あんたメルドルフ領主の婿様じゃない。相変わらずいい男ね。今ならあんたの相手をしてやってもいいわよ?」



 シルヴィアは振り払われ強かに打ち据えられた身体をさすりながらも、イザークたちを挑発した。

 四方から剣先を向けられ命のきわにあるのにもかかわらず、どんなときも忘れないビッチっぷりは一周まわって天晴れだ。


 でももう許せない。

 私は痛む喉を押さえ、



「シルヴィア。いい加減にして! イザークや兵たちに、これ以上の屈辱は許さないわ!」


「へぇ。あんたでも怒って声を荒げたりもするのね。そんなコンスタンツェさん好きだわ」



「コンスタンツェ様」と私を自らの背に回し、イザークが音もなく腰の剣を抜いた。

 鈍く光る切先をシルヴィアの鼻先に突きつける。



「そろそろ口を閉じたらどうだ?」


「あら女一人に。怖いわ」



 シルヴィアはよろよろと立ち上がり、服に付いたほこりを払った。



「で、メルドルフ領主様は私をどうするつもり? 女衒ぜげんにでも売る? それとも奴隷におとす?」



 否だ。

 聖女ですらなくなったシルヴィアに遠慮も配慮も必要ない。

 メルドルフの受けた疵は償うべきだ。



「イザーク、シルヴィアを捕縛しなさい」



 メルドルフは絶対に守りきってみせる。

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