第52話 皇帝は許し、そして新たに問う。
侍従により開かれた扉の向こうは、宮殿で最も格式の高い“皇帝の間”であった。
帝国の南部でのみ産出される均一な筋模様の入った白大理石の巨大な柱が立ち並び、天井にはられた神話をモチーフにしたステンドグラスからはやわらかな陽光が差し込んでいた。
荘厳にして壮大。
帝国の財力と権力の象徴ともいえる広間である。
私たちが敷居を跨いだときには、すでに
帝国の主人たる皇帝、重臣たち、そして大貴族の当主……。
もちろん
お父様は私の顔を認めると、口の端をほんの少し緩めた。
一年ぶりに見るお父様は、どことなく老けたように感じる。
(苦労かけちゃったから……)
反対を押し切って参内してしまった娘が婚約破棄され出戻ってきたかと思えば、ハイデランド侯爵家から除籍、辺境の貧領の領主となり死にかけ、身分違いの結婚をした。
信じられないが、これがほぼ一年の間に起こったことだ。
ものすごく波瀾万丈。
当人ですら苦労を振り返る暇もないほどのアップダウンの激しい人生である。
手塩にかけて育んだ一人娘から遠く離れ、苦境に立たされていることを知りながら側にいることすら出来なかった父親の心労はどれほどであろう。
計り知れない。
さらに追い討ちをかけてしまうだろうこの状況に、お父様が倒れてしまわないか心配だ。
「コニー様」
イザークが首を傾げ、私の瞳をじっと見つめる。
私は手のひらの汗をそっとぬぐい「大丈夫」とうなずくと、イザークの腕を取り皇帝の元へ歩を進めた。
皇帝ナタニエル・フォン・ザールラント。
ウィルヘルムとハラルドの父にして、この国の支配者。たしか五十路の半ば、平均寿命が50代のこの世界では老境だ。
だが眼力も気迫もまったく衰えは感じられない。
まさしく偉大なる皇帝、である。
「コンスタンツェ・フォン・ラッファー。息災であったか」
張りがある太く低い声が、下げた首の上から降り注ぐ。
みぞおちの辺りに鈍い痛みを感じながら、私は何とか声を出した。
「はい。帝国の太陽、輝ける皇帝陛下。大変ご無沙汰しておりました」
「ハハハ、コンスタンツェよ。それほど緊張せずともよい。かつては
「ありがたき幸せでございます」
着座を指示された私は侍従が引いた椅子に座る。
「せっかくの機会だからな、軽い食事を用意させたのだ。食べながら話をしようではないか」
と皇帝が号令をかけた。
それを合図に軽食(それでもメルドルフの月に一度の肉の日よりも贅沢!)とワインがなみなみと注がれた杯が配られ会食が始まった。
(陛下は思ってたよりも機嫌が良さそうだわ)
このまま無罪放免されたらいいのだけど。
豪華な軽食はきっと絶品なのだろう。が、今日は緊張しすぎてろくに味もしなかった。
けれどもマナーとして残すわけにもいかない。私は黙々と料理を胃に流し込んだ。
皇帝は頬杖をつき、しばらく私を眺めた後に口をひらいた。
「コンスタンツェよ。今回の件、お前にはずいぶん苦労をかけたようだな」
とうとうきた。
「メルドルフの行政官から送られてきた書状、読ませてもらった。我が子でありながらウィルヘルムがこれほどに情けない男であるとは思わなんだわ。償いの意味もこめてハラルドでもと考えたが、どうもお前の眼鏡には適わなかったようだな」
「陛下、そもそも私には夫がおります。この国では古来より夫は一人と決まっておりますので、どっちにしろハラルド殿下に嫁ぐことはできませんわ。ですので、この度、縁談もなにもございませんでした。どうかお忘れになってくださいませ」
「……それもそうだ。女は二夫には嫁げぬものだ」
皇帝は私の隣の護衛騎士に目をやる。
「お前がコンスタンツェの夫というわけか。ハイデランドの英雄イザーク・リーツよ」
イザークは恐れる様子もなく、皇帝を真っ直ぐに見据える。
「左様でございます。陛下。再びお目にかかることができ光栄に存じます」
「俺を前にしても動じぬか。流石ハイデランド騎士だな。……お前と会うのは、そうさなグロヴェン以来か」
数年前、帝国と隣国間で大戦が起こった。
グロヴェン戦役と呼ばれるその戦に、ハイデランド侯爵家の騎士団も参戦していた。イザークは獅子奮迅の働きをし、帝国を勝利に導いた……らしい。
イザークのことなのに、戦とはかけ離れた所にいた私は伝聞でしか知らない。
ちょっと悔しい。
「コンスタンツェの相手がとるに足らぬ男であったら、文句のひとつでも言おうと思っていたが、リーツ、お前が夫とならばつけようがないではないか。ウィルヘルムどころか皇太子のハラルドも足元にも及ばんわ。ハイデランド侯爵の姫君を娶れないのは皇室としては痛いがな、これは致し方ないということだな」
え、あっさり許可された?
ハラルドとの婚姻を蹴ったことはお咎めなしかな?
よかった。本当にイザークは最高な人だ。
「良い婿をとったではないか、なぁハイデランド侯よ」
「恐れ多いことにございます」
お父様は穏やかな表情で深々と頭を下げた。
肩の荷が少しは軽くなったようだ。
「ところでな、コンスタンツェ。お前に
これからが本題ということか。
私はしっかりと身構え傾注する。
「我が国には聖女がおるだろう。シルヴィアといったか、あの女が言うには神の声が聞こえるという。今回の婚姻話もあやつが騒ぎ立てたのもあってのことだったのだがな、おかしなことに
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