第3話 小説の中に転生したようです。
怒り心頭! っていうのは初めての体験だった。
将来を見据えて感情は出さないように教育を受けてきた私。
でも、こんなに悲しい出来事のおかげで、私も皇妃ではなく感情のあるただの人間だったのだということを思い出させてくれた。
本当に久々だった。
子供の頃以来の感情の濁流にのまれたせいか、その後、どうやって皇太子の執務室から自室に戻ってきたのかも思い出せなかった。
ようやく我にかえったのは、豪華な天蓋つきのベッドに横になってからだった。
天蓋に刺繍された草花模様をぼんやりと眺めているうちに、いつもの”冷静”さが戻って来た。
「なんてことかしら」
――婚約破棄。
「ありえない……」
皇太子妃になることだけが私の存在理由であったのに。
たった一言でこの二十年が無駄になるだなんて思いもしなかった。
幼い頃からの教育が、侯爵家の威信をかけてきた事業が、皇太子の気まぐれのために泡と消えた。
そして心から愛していた相手も失ったのだ。
「失業と失恋を同時に体験するなんて」
貴重ではあるけれど、大問題だ。
こんなことになるなんて……。
お父様はお怒りになるだろう。
婚約者といえど未婚の娘を皇太子の一存で召し上げられることに(もちろん生娘でなくなることも含めて)最後まで反対なさっておいでだったのだから。
何度目かの寝返りを打ったところで、侍女のアルマが部屋に入ってきた。
幼い頃から私専属の彼女は、私の心境を推し量ってくれたようで、何も訊かずサイドテーブルに盆を置いた。
「温かい飲み物をお持ちいたしました。疲れた精神を癒す効果のあるというハーブティでございます。私の家に伝わる秘伝の調合でございますよ。とてもよく効きますので、お飲みくださいませ」
「ありがとう、アルマ」
私は自らティーカップにハーブティを注ぎ、口にした。
カモミールとリンデンの優しい香りがする。
さすがはアルマの調合。
一口飲むごとに、体が温まり、リラックスしてくるのが分かる。
一杯飲み終えた頃には、体も心もほぐれ、強い眠気に襲われていた。
(ほんとうによく効く……)
私はカップを盆に戻し、小さくあくびをすると、布団にもぐりこみ目を閉じた。
そして、夢をみた。
夢の中で私は本を読んでいた。
それはそれは夢中に読んでいた。
ありふれたファンタジーとラブロマンスであったけれど。
夢の中の私は大好きだった。
今の私とは全く違う夢の中の私。
三十手前。
不景気のさなかにようやく得た仕事はブラック。
恋愛面も上手く行かず、どんよりとした人生だった。
そんな疲れた私の心の拠り所がその本であったのだ。
私生活も仕事も希望は無かった。
仕事以外の時間は全て読書に充てるほどに、その本が好きだった。
タイトルは『救国の聖女』
全三巻。
内容は……。
貧しい平民出身の主人公がある日突然チートな力に目覚める。
その世界では”聖女”と呼ばれる力であるらしい。
聖女は聖なる力をもって国を守り、民に幸せをもたらす。
数々の男性に愛されながら。
最後は皇太子と結婚しハッピーエンド!
うん、そう。
都合のいい逆ハーレム小説だったのだ。陳腐で突っ込みどころ満載の小説だ。
でも、私の救いだった。
現実的にはありえないぶっ飛んだ内容だったけれども、だからこそ読んでいる間だけは没頭できたのだから。
だからボロボロになるまで読み込んだ。
台詞を
でもこれは夢だ。
夢だ。
ゆ……め……
「じゃない!!」
私は瞼を開けた。
「冗談でしょう??」
私は確信してしまった。
ここが小説の世界で、その登場人物の一人が私だということに!
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