第11話 またもふもふを期待する気持ちが無かったとは言えません/21
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「そういえば、外に出たのはあの人達をやっつけるためだったんですか?」
ソルラクが外に出た理由を思い出したのは、リィンにそう問われてからのことだった。そもそも宿を出たのは、他の宿で部屋を借りるためだ。だが襲撃によってソルラクはそれをさっぱり忘れて元の宿へと戻ってきてしまっていた。
今からでも、他の部屋を借りてくるべきだろうか。
ソルラクは一瞬そう考えるが、不思議そうに彼を見つめるリィンの姿を見て考えを変えた。
あれだけ脅せば少なくとも今日のうちに襲ってくるということはないだろうが、絶対に安全だと言い切ることは出来ない。リィンだってこんな状況で一人にされたら不安だろう。それを考えれば、同じ部屋に泊まるというのも悪いことではないように思えた。
なにせ、リィンはソルラクの事を信じてくれているのだ。
ろくに話すことも出来ず、たまに口を開けばろくな言葉を発することも出来ず、暴力を振るうことくらいしか能のないこんな自分のことを。
ならばせめてその信頼に、最大限応えたい。ソルラクは奮起していた。
部屋に戻り、たった一つきりしかないベッドを見るまでは。
そう言えばそうだった。これが問題で、ソルラクは別の部屋まで借りようとしていたのだった。
昼食は外で済ませてきてしまったし、必要なものは昨日のうちに買い揃えてしまった。かと言って宿の中に暇を潰せるようなものはない。狭い部屋で二人きりとなると、途端に間が持たなかった。
仕方なくソルラクはベッドの端に腰を下ろすと、魔刃の手入れをすることにした。無刃カレドヴールフは、その名の通り刃を持たない極めて珍しい魔刃だ。
魔刃というだけあって、その形状は剣だけにとどまらない。槍や斧、変わったところでナイフや鎌のような形の魔刃も見たことがあったが、刃がついてない魔刃などというのは他になかった。
刃など無くとも何にでも穴を開けられるし、それにカレドヴールフの持つ能力は刃がない魔刃だからこそのものだろうから、あまり気にしたことはない。だが、今は大いに気になっていた。
なぜなら刃のないカレドヴールフの手入れは、異様に簡単だからだ。構造は極めて単純で、それ故に頑丈で傷つくことなど滅多にない。やることと言えば表面についた血や脂を拭うくらいのもので、普通の剣のように磨いたり研いだりする必要がほぼなかった。
魔刃はそもそもほとんど劣化しないものだが、その中でもカレドヴールフの手のかからなさは群を抜いているのだ。そして、出来る限り間をもたせたい今のような状況においては、それは欠点以外の何物でもなかった。
「見ていてもいいですか?」
ちょこんと隣にリィンが座り、そんな事を尋ねる。じっと見られていると余計に緊張するが、かと言って他になにかすることがあるわけでもない。黙ったままのソルラクに肯定と判断したらしく、リィンはじっと視線を注ぐ。
「ソルラクさん、魔刃使いだったんですね……道理で、お強いわけです」
ラギが言っていた通り、魔刃というのはあらゆる旅刃士の求める目標のようなものだ。当然、それを持っているものから奪おうという不届き者もいる。そうするものが既に他の魔刃を持っているのもよくあることだ。
手に入れるにも、それを持ち続けるのにも、高い実力が必要とされる。だからリィンのその感想は、間違ってはいない。……だが。
「貰い物だ」
ソルラクにはそれは当てはまらなかった。彼がカレドヴールフを手に入れたのは偶然のようなものであり、今まで奪われること無く手元にあるのもやはり偶然だ。彼の実力を裏付けるものではない。
カレドヴールフはその見た目に反して、極めて強力な魔刃だ。誰だってこんなものを持っていれば強大な力を振るうことが出来る。だがソルラク自身はそう持て囃されるほど強いわけではない。自分では、そう思っていた。
「……あの、ソルラクさん」
しばらくじっとカレドヴールフの手入れを見つめていたリィンは、不意に居住まいを正すと、やや硬い声で彼の名を呼ぶ。
「わたしの話を、聞いて頂いてもいいでしょうか」
そして、そう話を切り出した。
「ルーナマルケは、わたしの故郷なんです。それが……ある事情で、わたしはそこから遠く離れてしまって。実のところ、今いるのがどこなのか、ルーナマルケまでどのくらいの距離があるかすらわかっていないんです」
それは、ソルラクも前々から気になっていた話だった。
子供一人が迷子になって迷い込むには、ルーナマルケはあまりに遠い。国も違うし、大陸も違う。考えられる可能性は船が難破して漂流した、というようなものだろうが、それにしては今いる場所は海からそれなりに遠い。
「それで、こっちに来てすぐ、今日ソルラクさんがやっつけてくださった人達に捕まって……服や持ち物を取られちゃって」
しまった、とソルラクは内心天を仰ぐ。それをすっかり忘れていたのだ。あの奴隷商人たちから、リィンの持ち物を取り返すべきだった。
まあ、恐らく彼女の持ち物はどれも高価なもので、とっくに売られている可能性が高いのだが、聞くだけ聞いてみるべきだった。今から探した所で彼らはソルラクの前に姿を表すことはないだろうし、探し出すような技術もない。諦めるしかないだろう。
「残ったのは、これだけだったんです」
そう言ってリィンが取り出したのは、例の指輪が入った白い袋だ。これもまた、不思議なことの一つだった。ポケットもなにもないあのボロ布の服を身にまとい、一体どうやって彼女はこれを隠し通したのか。
戦いの場へとやってきたのもそうだ。ソルラクは、およそ数百メートル程度であれば気配を感じ取ることが出来る。流石に戦いながらリィンの気配に集中するのは無理だったが、戦いが始まる前はその程度は離れていたはずなのだ。
彼女は一体どうやって、入り組んだ路地裏を数百メートル進み、迷わずソルラクのもとに訪れたのか。
……気になることは山ほどあったが、ソルラクはあえて聞きはしなかった。勿論、そもそも聞きたくともどう声をかけたらいいかわからないという事情もあるが、仮に自由に話すことが出来たとしてもソルラクは聞かなかっただろう。リィンが言いたい時に言えばいい。
「これは、お母様……母の、形見なんです」
「そんなものを軽々しく渡すな」
思わずそう口にするソルラクに、リィンは驚いて目をまんまるに見開いた。
まさかソルラクが自発的に喋るとは思わなかったのだろう。ソルラク自身も思っていなかった。それもまた、怒っているとしか思えないような台詞だ。
「……はい」
だが何故か、リィンは嬉しそうに微笑むのだった。
☪
「とっても美味しかったです。ありがとうございます」
リィンがそう言うと、ソルラクは何か言いたげにリィンを一瞥する。しかし、結局何かを言うことはなかった。
腕によりをかけて、という店主の言葉通り、その晩振る舞われた料理は量も味も素晴らしいものだった。純粋な美味しさで言うと、正直ソルラクが振る舞ってくれた兎肉の方が美味しかった気もしないでもないが、勿論リィンはそんな事を口にはしない。
しかし、そんな食事が無料で振る舞われるはずもなく、結局その代金はソルラクが支払ってくれたものだ。彼を頼ることしか出来ない自分が情けなく、申し訳ない思いでいっぱいだったが、そういう事を口にするなと過去二回も言われている。
だからせめて、リィンは謝意を伝えることにした。別にソルラクが作ったわけでもないのだから、変に思われたかもしれない。しかし少なくとも、怒られることはなかった。
「それと、お湯もありがとうございました」
この宿には、リィンの好きな風呂はないようだった。しかしその代わりにソルラクがたっぷりと湯の入ったタライを持ってきてくれて、身体や髪を拭くことが出来た。勿論と言うべきなのか、意外にもと言うべきなのか、彼はリィンが身体を拭く間部屋の外で待ってくれていた。
指輪の件にしたってそうだ。母の形見を手放そうとしたリィンの事を叱ってくれた。低い声で叱られるのはやっぱりまだ少し怖かったが、それがリィンのことを思ってくれたからというのはわかる。
口数は少ないし、言い方も酷くぶっきらぼうだけれど、もしかしてこの人はとても優しい人なのではないのだろうか。リィンは段々と、そんな風に思うようになってきた。
──だから。
「駄目です! ソルラクさんが、ベッドで寝て下さい!」
迷うことなく床に野営用の毛布を敷いて寝ようとするソルラクに、リィンはそう強く主張した。
勿論、どれだけ言おうが彼が反応すらしないのは想定済みだ。ならば、とリィンは同じことをする。
「わたしが、床で寝ます」
昨日買ってもらった毛布を背嚢から外して、床に敷いたのだ。すると案の定、ソルラクは起き上がって、何か言いたげにリィンを睨みつけた。そうやって見下されると、流石に怖い。だが今回ばかりは、リィンも譲らなかった。
「嫌なら、二人でベッドで寝ましょう。このベッドは小さいですけど、わたしも小さいから二人でも大丈夫だと思います」
リィンはベッドの端に座り、シーツをぽんぽんと叩く。ソルラクはしばらくリィンを睨みつけるように見つめていたが、やがて根負けしたのか深くため息を付いてベッドに座った。
良かった、とリィンは胸をなでおろしベッドの端の方に横になる。これでソルラクが床に寝たらどうしようか、と危惧したが、割と素直に彼もベッドに横になってくれた。
これは、思ったよりも大それた事を要求してしまったのではないか。リィンがそんな事に気づいたのは、目の前にソルラクの顔が来たときの事だった。
昨日もなし崩しにとは言え一緒にベッドで寝ていたのだからいいだろうと思っていたが、よくよく考えてみれば、出会って三日目の男性と一緒のベッドで寝るというのは、淑女として少々はしたない事である気がしないでもなかった。
だが、町にやってきてすぐ、見知らぬ男性にベッドに押し倒された時のような恐怖や不快感は、ソルラクには感じなかった。かと言って、父親と一緒に寝る時のような安心感とも違う。なんだか落ち着かないような、それでいてそれが嫌ではないような、不思議な感覚があった。
彼になら、全て打ち明けてしまってもよかったんじゃないか。
不意にリィンはそんな事を思ったが、すぐに考え直す。
流石に信じてもらえないだろうし、仮に信じてもらえたところで何かが変わるわけでもない。遠い異国の地にいる以上、今のリィンが無力で寄る辺のない子供であることは変わらないのだ。
「あ、えっと……おやすみなさい、ソルラクさん」
不意に、まじまじとソルラクの顔を見つめてしまっていた事に気づき、リィンは慌てて挨拶をして目を閉じる。とても眠れそうにないと思ったが、実際には目を閉じるとすぐに眠気がやってきて、意識が遠く離れていく。
「おやすみ」
──夢と現の狭間で、そんな声を聞いた気がした。
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