第9話 それは、突然のことでした/34
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服の裾を掴んで歩くというのは随分子供っぽい行為だったが、思っていた以上に安心するものだった。ソルラクの歩調も、離れて歩いているときに比べてついていきやすい速度に調整してくれている。
ソルラクは、正直いつも温和で優しかった父親とは似ても似つかない。ある意味で真逆と言っていいほどに正反対だ。けれど、その安心感は父親の庇護下にあったときと妙に似通っていた。
昨日、あれほど怒らせてしまったというのに、ソルラクは夕食を持ってきてくれた。それがリィンの怯えを随分と軽減させてくれていた。思えば最初から、彼はリィンを気遣ってくれたようにも思う。
怖いし何を考えているかわからないけれど……でも多分、リィンに酷いことをしたり、騙そうとしているわけではない、と思う。
リィンが、そんな事を考えているときの事だった。突然ソルラクは足を止め、リィンの方を振り向く。
「どうしたんですか? ソルラクさ……」
「離せ」
それは、突然の宣言だった。あまりにも唐突で、リィンは一瞬何と言われたのか理解できなかったほどだ。
「離せ」
「あ、ご、ごめんなさい」
抑揚のない声で繰り返され、リィンは慌てて彼の裾から手を離す。途端、ソルラクは前に向き直り、まるで走るような速度で歩き出した。
「待って下さ……」
「ついてくるな」
慌てて追いかけようとするリィンに、更にダメ押しのように一方的にそう告げる。その言葉に押されるようにリィンが足を止めると、彼は振り返りもせずに歩き去ってしまった。
別に走っているわけでもなく、それどころか特別急いでいる様子もない。にもかかわらず、リィンが全力で走るよりもはやい速度で彼の背中は遠ざかっていく。
雑踏の中、リィンは唐突に一人ぼっちになってしまった。
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リィンを一人置き去りにして、ソルラクは人気のない路地を進む。
「……このくらいでいいか」
そして彼女の気配を探れるか探れないか、ギリギリの所で足を止めた。
『ついてくるな』
そう告げたときの彼女の表情を思い返す。目を大きく見開き、身体を硬直させて、じっとソルラクの顔を見ていた。
その表情が一体どういう感情を示すのか、ソルラクにはよくわからない。だが少なくとも、喜びや幸福とは一切無縁のものであろうことくらいはわかった。
自分の口がもっと上手く、きちんと説明することが出来ればいいのに。そう思わずにはいられないが、それは魚に空を飛べというようなことだ。
そしてもっと重要な喫緊の問題がすぐ近くにまで差し迫ってきていて、言い方に思い悩んでいる暇もなかったのだ。
「……こっちに来たか」
その可能性は低いと思っていたが、想定していなかったわけでもない。だが少々面倒なことになった、とソルラクは思った。
「よお兄ちゃん。オレたちの顔を覚えてるか?」
抜身の剣を手にした男が二人、ソルラクに剣呑な声をかけてきた。
「覚えてない」
それに対し、ソルラクは正直にそう答える。
恐らく、一昨日リィンを追いかけていた二人だとは思う。だが、自信はなかった。ソルラクは他人の顔を覚えるのが極めて苦手だからだ。殆どの人間は、同じに見える。流石に性別や大まかな年齢くらいはわかるが、今目の前にいるような中年男二人を見分けろと言われるとかなり厳しい。
「じゃあ身体に思い出せてやるよ!」
男が言うと、似たような身なりをした男たちがわらわらと現れて、ソルラクの周囲を取り囲んだ。全部で十五人。ソルラクはその人数を数えて、自分が感じていた気配の数と一致したことに安心する。
今日、宿を出てすぐにこちらの様子を伺っていた連中だ。狙いはリィンだろうから、ソルラクがいなくなれば彼女を狙うだろう。これだけの人数が動けば気配ですぐに分かる。そうしたらリィンを助ければいいだけだ、と思っていたのだが、まさかソルラクの方を襲ってくるとは思わなかった。
だが、別働隊がリィンの方に向かっているというわけでないなら問題ない。どっちにしろ、全員叩きのめせばいいだけの話だ。
問題は、一人にされたリィンが気配を察知できる範囲から外れ、どこに行ったのかわからなくなる可能性だった。大人しく宿に帰ってくれていればいいが、昨日みたいに妙な相手についていってたり、迷子になっていたりすると困る。
そんな理由から、ソルラクは目の前の問題をさっさと片付けることにした。
「かか……」
男が号令を出す前に、そいつの頭をひっつかんで振り回し、別の男に投げ放つ。そうすれば一度の動作で二、三人を無力化することが出来るから、非常に手っ取り早い。
「くそっ、殺せ! 囲んでぶっ殺せ!」
振り下ろされる白刃を、ソルラクは篭手を嵌めた腕で振り払うように薙ぐ。鋼でできた刃がまるでガラス細工のように砕け散り、男たちは驚愕に目を見開いた。その驚いている男を掴んで、無造作に投げる。
十五人のうち、首領格と思われる一人を除いた十四人が動かなくなるまで数分とかからなかった。
「くそっ、この化け物め……! だが調子に乗るのもそこまでだ! ラギ、頼んだぞ!」
「最初から俺に任せとけば、痛い目見ずに済んだものをなぁ……」
残る一人の背後から、長身痩躯の男がふらりと姿を現した。ソルラクに匹敵するほどの背丈だが、まるで皮が骨に張り付くかのように痩せている。だが、無造作に手を伸ばせば切り捨てられるだろうと直感するほどの鋭さを秘めた男だった。
「尋常ならざる刃を持ち、全ての旅刃士が追い求める、太古の魔術師が作り上げた神秘の刃……魔刃」
ラギと呼ばれた男は、その腰に下げた剣を鞘から引き抜く。途端、鞘から大量の砂が溢れ出してザラザラと地面に垂れ落ちた。
その剣の刀身には無数の砂がまとわりつき、不思議なことに落ちても落ちてもなくならずに更に砂が零れ落ちていく。
「お前も旅刃士の端くれなら聞いたことがあるだろう。どんな剣も鎧も削り取る砂刃ベガルタ。そしてそれを振るう砂の魔刃使い、ラギ様とは俺のことだ」
「知らん」
ソルラクは正直にそう答える。彼は人の顔だけでなく、名前も覚えるのが苦手だった。
だが、そう答えつつもまずい、と思う。
「そうかい。まあいいさ……どっちにしろお前はここで」
ラギは砂刃ベガルタを構え、呟く。ざらざらと砂をこぼすそれは紛れもなく魔刃だ。しかも、出来る限り戦いたくないタイプの魔刃使いだった。
「死ぬんだからなっ!」
ラギの振るう砂刃ベガルタが砂をまとい、嵐のように渦巻く。ソルラクがそれをかわすと、派手な音を立てて砂の嵐は地面を削り取った。剣で切り裂いたような傷跡ではない。ヤスリで摩り下ろしたような跡だった。
恐らく、ソルラクの身につけた篭手で受けたとしても彼の腕は同じように破壊されるだろう。彼が身に着けている篭手は何の変哲もないただの篭手だし、魔刃相手にはその怪力も役には立たない。
どうしたものか、とソルラクが思い悩んでいる、その時のことだった。
「やめてください!」
そこに、あるはずのない声が響いたのは。
「あなた達の目的は、わたしでしょう!? その人は関係ありません!」
ソルラクの背後、彼がここまで来た路地からリィンが姿を現し、声を張り上げた。
「わたしの事はどうしたっていいです。だから、その人に乱暴しないでください!」
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