ちがう話

@watasigi

ちがう話

 ちがう話             渡木らい

 

 彼は感じの良い顔をしていた。クール系でも無いし、猛々しいというのも違う。それでも、彼の顔には何か人を惹きつけるものがあった。

 彼は、愛という言葉が嫌いだった。自分には誰かを愛する権利も、誰かから愛される権利もないと思っていた。誰かから愛されても、その人を傷つけるのを恐れて、上辺だけの付き合いをして、自分を守っていた。今は刑務所にいる両親が作った、服の下の痣がそうさせていた。

 彼女は綺麗な顔をしていた。清楚系でも無いし、派手というのも違う。それでも、彼女の顔は美しかった。

 彼女も、愛という言葉が嫌いだった。愛は世間が言うほど盤石で、絶対的なものではないと思っていた。誰かから愛されても、その人との別れを恐れて、上辺だけの付き合いをして、自分を守っていた。十年前に見た、自分以外の靴が無くなった下駄箱の記憶がそうさせていた。

 裏社会の人間が、同業者を一目でそれと見分けられるように、彼らも初めて会った時、お互いが同じ心の傷を持っていることに気づいた。彼らは、お互いにこの相手になら自分の弱さをさらけ出せると思った。しかしその感情が、恋であってはならなかった。だから彼らは、自分たちの関係がセフレに過ぎないとすることにした。

 それでも、彼らはお互いのことが好きだった。ただ、それに気づかないふりをしていた。別れの日の前日になっても、それは同じだった。


「起きたんだ」

「うん」

「起こしちゃった?」

「いや、大丈夫」

「そっか」

「何時?」

「一時四五」

「ん」

「暇だね」

「うん」

「まだ時間あるよ」

「さっきのでゴム切れたでしょ」

「そっか」

「それにさ」

「?」

「腰いたい」

「わたしの方がいたい」

「しらないよ」

「きみのせいだよ」

「君がやろうって言ったんでしょ」

「その割にはきみも乗り気だったじゃん」

「ごめん聞こえなかった」

「大声で言う?」

「人の家で騒がないで」

「別に私達しかいないんだからいいじゃん」

「そういう問題じゃない」

「そっか」

「ねえ」

「なに」

「ラジオきく?」

「そうする」

「……」

「おなか空いた」

「それで?」

「なんか持ってきて」

「めんどくさい」

「わたし腰いたいんだよ」

「だから君のせいでしょ」

「……

「……」

「じゃんけん」

「ポン」

「いかさまだ」

「ならもう一回やる?」

「そうする」

「じゃんけん」

「ポン」

「ほら行ってきて」

「はーい…」

「………………」

「ただいま」

「おかえり」

「さむかった」

「まだ三月だからね」

「もう三月も終わるよ」

「…そうだね」

「明日で卒業かあ……」

「うん」

「……ごめん」

「なんで謝るの」

「なんとなく」

「ふーん」

「ねえ」

「なに」

「お菓子食べない?」

「食べる」

「いただきます」

「いただきます」

「おいしいね」

「うん、おいしい」

「市販の安いクッキーだけどね」

「どうせ高くても味なんて大して変わらないでしょ」

「じゃあこのちょっと高いココアもいらない?」

「いる」

「正直でよろしい」

「どうも」

「ねえ」

「どうしたの今度は」

「乾杯しよ」

「いいね」

「本当は君が来てからすぐやる予定だったんだけどね」

「何が言いたいわけ」

「きみががっつくから……」

「君だってそうだったくせに」

「む……」

「ごめん」

「いいよ」

「ありがとう」

「じゃ、コップ持って」

「ん」

「よし……それじゃ、お互いの大学合格を祝って……乾杯!」

「乾杯!」

「カチン!」

「わざわざ効果音までつけなくていいから」

「ふふふ」

「あ、美味しい」

「でしょ?我ながらよくできたと思うんだけど」

「そう思うよ」

「美味しいな」

「そうだね」

「幸せだなあ」

「幸せが小さくない?」

「別にいいじゃん。ちっちゃくても幸せは幸せだよ?」

「まあそれはそう」

「それに、結果的に幸せなら理由なんていらないんじゃないかな」

「まあそれはなんにでも言えると思うけど」

「恋愛でも?」

「多分ね」

「うん……」

「ところで大学どこだっけ?九州?」

「ううん、関西の方。確かそっちは……」

「北海道」

「そっか。風邪ひかないようにね」

「君もね」

「うん。気をつける」

「住むところとか決まってんの?」

「流石にまだかなあ。きみは?」

「学生寮で安いところがあったから、そこにしようかなって思ってるけど」

「ふーん」

「なにそのそっけない態度」

「ははは。ごめん」

「別にいいよ」

「ところでさ」

「なに」

「いつ出発するの?」

「明後日」

「え?」

「明後日」

「早すぎない?」

「まあね」

「なんでそんな早いの?」

「色々あっちで買い物したり顔合わせとかしなきゃ行けないからね」

「お見送り行こうか?」

「朝早いからいいよ」

「この時間より早いの?」

「そういうわけじゃないけど」

「ならいいじゃん」

「恥ずかしいから嫌だ」

「つれないなあ」

「悪かったね、つれなくて」

「……」

「……」

「ねえ」

「なに」

「変なこと聞いていい」

「いいけど」

「本当にいいの?」

「いいから」

「あのさ」

「うん」

「殴られるのって、どういう感じなの」

「……」

「ごめん、嫌だったら答えなくてもいいけど」

「……別に大丈夫。ちょっと待って」

「わかった」

「……」

「やっぱり、怖いの?」

「いや、殴られてる時はそこまで怖くないんだよね。自分を守るので手一杯だからさ」

「……」

「終わったあと、あの人たちの機嫌をこれ以上損ねないように子供部屋に逃げこんでさ。部屋の隅っこで毛布を震えながらかぶって。ようやくそれで自分の気持ちがわかるようになる」

「……」

「さっき君が言ったみたいに怖い時もあるし、悲しい時もあるし、やるせない時もある。でも、見る夢は全部同じ」

「どんな夢なの」

「あの人たちを殺す夢」

「……」

「大男になって、命乞いをするあの人たちを鼻で笑いながらいたぶり殺してる夢。指を一本ずつ引き抜いてる時もあったし、全身の骨を一本ずつ折った時もあった。それで、ぐちゃぐちゃにしたあと高笑いをして目が覚めるわけ。汗だくで」

「……」

「あれが本性とか言うつもりは全くないけどさ、もし何かあったら本当にああなるんじゃないかって時々思うんだ」

「きみはそんなことしないよ」

「本当にそう言える?」

「……」

「それは。」

「あの人たちが虐待を始めたきっかけってさ」

「うん」

「インク瓶なんだよね」

「インク瓶」

「そう。普通に売ってるただの黒いやつ」

「それで?」

「それをこぼしちゃってさ。そしたら殴られた」

「え?」

「別に何かを汚したわけでもなかったし、大して思い入れのあるものでもなかったはずだった。でも気づいたら殴られてた」

「そんな……」

「それに、あの人たちは普通の人だったんだよ。めったに怒ることもないし、大声を出すとか1年に1回か2回あるかみたいな」

「うん」

「それが、5歳の子どもがインクをこぼしただけで殴るような人間に変わってしまった」

「……」

「そうならないって、断言できる?」

「できない」

「そういうこと」

「でもさ」

「なに」

「わたしはきみがそんなことしないってわかってるよ」

「なんで」

「わたしもきみと似たような夢を見てたから」

「そうなの」

「大金持ちになった私に、落ちぶれたあの人たちがすがってくる夢」

「……」

「色々言ってくるあの人たちを責め立てて、なじって、笑って。捨てたことをじっくり後悔させた後で助けないって言うとさ、夢の中なのに顔がすごいリアルに歪むの。それをまた笑って、あの人たちを置いていく途中で目が覚めるわけ」

「……」

「でも、わたしはきみから愛されなくても、きみに復讐したいなんて思わないよ」

「……そっか」

「うん。それにさ」

「それに?」

「何回ここに来て抱かれたと思ってるの?」

「確かにね」

「うん」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

「……」

「いま何時?」

「4時45」

「え?もうそんな時間?」

「そうだよ」

「まずいな…大分明るくなってきちゃってる」

「送ろうか?」

「珍しいね」

「嫌ならいいけど」

「ううん、お願い」

「ん」

「……」

「……」

「……」

「……寒いね」

「まだ三月だからね」

「もう三月も終わるよ」

「人の言ったことパクらないでよ」

「君だって」

「あはは、そうだね」

「うん」

「……あのさ」

「なに」

「明日卒業式のあと空いてる?」

「うん、荷造りも終わってるし。何で?」

「映画のチケット人からもらって二枚あるんだけどさ」

「うん」

「一緒に行かない?」

「いいよ」

「ほんと?!」

「こんなところで嘘ついてもしょうがないでしょ」

「じゃあ卒業式終わったら校門の前で待ち合わせね」

「わかった」

「なんかこういうことするの初めてだね」

「確かに」

「じゃあ約束だよ」

「わかってるから。ほら前見て歩いて」

「大丈夫だって……あ、家通り過ぎてた」

「だから言わんこっちゃない」

「ふふん」

「じゃ」

「うん。また明日」

「今日だけどね」

「あっ、そっか。じゃあまた後で」

「うん。また後で。約束だからね」

「何回も言わなくていいから。じゃあね」

「うん。またね」

 ガチャ。バタン。


 その日、少年と少女は卒業式のあと、映画を見た。昼下がりの公園のベンチのように何も起らない、つまらない映画だった。

 その後、彼らはその近くのファミレスで夕食を取った。うまくもまずくもなかったが、会話だけは弾んでいた。

 その後彼らは寄り道もせず家に帰った。少女のタクシー代は少年が出した。そこはどうしても少年が譲らなかった。少女はしぶしぶそれを受け入れた。タクシーが来るまでの間、彼らは連絡先を交換して、週に一回は電話をしようと約束した。

 ただ、それだけの午後だったが、彼らは幸せだった。









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