この硬さ、勇者も歯が立たぬ

 この年の十二月二十四日は、身も心も凍てつかせる寒さであった。

 進学を機に上京して、二年目の冬を迎えた。今年も俺の傍に恋人はない。約束されしクリぼっちである。特段哀しいという気はしないのは、きっと慣れのせいだろう。とはいえ、全くみじめと思わないかというとそうでもない。あれこれ行動に移しても全て徒労に終わっているという現実に、悔恨の念を感じずにいられようか。

 けれども……悪いことばかりではない。俺の冷え冷えとした心を温めてくれるものが、先ほど届いたのだから。

 宅配業者から受け取った段ボールを開けると、そこにはぎっしりとお菓子の袋が詰め込まれている。数カ月に一度の、実家からの贈り物だ。

 

「さて、いただくとしますか」


 袋を一つ掴むと、俺は包みを破った。その中かららせん状にねじれた、茶色い棒状のお菓子を取り出した。

 「よりより」それがこの菓子の名だ。我が故郷長崎の誇る銘菓である。そのねじれた形状からこの呼び名がついたという。正式名称を「麻花兒マファール」といい、元は中国の菓子である。異国情緒溢れる長崎ならではの菓子といえよう。

 

 ガリッ、ボリッ、


 お菓子の中では屈指の硬さを持つこの菓子は、噛み砕くのも一苦労だ。だがその歯ごたえが良い。噛んでゆくとほんのりとした甘みとともに、えもいわれぬうまみが口の中に広がる。これがたまらない。癖になってあっという間に一本目を食い終わり、二本目をつまみ上げた。

 袋の中のよりよりは、もう残す所一つとなっていた。小麦粉を練って油で揚げたものなので少々カロリーが高めであり、食べすぎるのはよくないけれど、それでもついついもう一本、もう一本と手が伸びてしまうのだ。

 最後の一本を指でつまもうとした、その時のことであった。突然、大きな音とともに、床が大きく揺れた。地震ではない。背後に何か、大きくて重たいものが落ちてきたのだ。


「いててて……」


 落ちてきたのは、金色に光る鎧を着た、若い男だった。首が太いのに顎はほっそりとしていて、どこかアンバランスさを感じる容貌である。

 鎧が砕けてしまったのだろうか、床には金色の欠片が散らばっていて、男の鎧は所々が欠けている。男は苦悶の表情を浮かべながら、自分の腰を労わるように手を当てていた。


「だ、誰だ!?」

「俺はカッテリーナ王国第二王子にして魔王征討将軍のラムートだ。国では勇者と呼ばれている」

「ええと……カッテリーナ……? ラムート……?」

「俺は魔王との戦いに負けてこの世界に飛ばされちまった。仲間を探して帰る手立てを探しているんだが……」


 確かに男の言う通り、その出で立ちはファンタジー世界の勇者そのものだ。まぁただのコスプレ野郎だとは思うが。

 ……それにしても、この男はどうやって侵入してきたのだろうか。後ろには窓があるものの、しっかり閉まっている。窓を開けて入ってきて、また閉めた、というなら、音で分かるはずだ。


 ――もしかしてこの男、本当に異世界から来たのかも……


 そんなことを考えていると、ぐうう……という腹時計が鳴り出した。俺のではない。となると、誰のものかはおのずと分かる。


「あんた……お腹空いてるのか?」

「そ、その通りだ。何しろ戦いの最中に飛ばされてきたんだ」

「それじゃあ……これ……いるか?」


 惜しい気もしたが、腹を空かせた相手を見捨てるのもしのびない。腰を上げて冷蔵庫まで食べ物を取りに行くのは面倒なので、この長崎銘菓をくれてやることにした。揚げ菓子だからあまり消化はよくないかも知れないが、そこまでギトギトしていないので気にすることもないだろう。


「ありがたい……それではいただこう」


 よりよりを受け取った自称勇者の男は早速それを口に入れたのだが……硬いものを噛み砕く快音は、ちっとも聞こえてこない。


「もしかして、噛めないのか?」

「な、何だこれは! 硬すぎるぞ!この世界の人間はこんなものを食べているのか……」

「いや、それうちの地元のローカルなお菓子ッスけども」

「お前もこれを噛めるのか? この世界は一体どうなっているんだ……」


 自称勇者は口から唾液まみれのよりよりを取り出すと、しげしげと見つめている。ていうか噛んでるうちに唾液でほぐれると思うのだが、それでもだめなのだろうか。

 もしこの男が本当に異世界からやってきたのだとすれば、男の顎が細いのは、硬いものが存在しないせいで顎の筋肉が発達しなかったのだろう。


「折り入って、頼みがある。ここにあるのを全部俺に譲ってくれないだろうか」

「へ?」

「この硬さは……魔王に対して効くかも知れないんだ……もちろんただでとは言わない」


 勇者は段ボールにぎっしり詰め込まれたよりよりの袋を指差して頼み込んできた。せっかく頼んで送ってもらった好物を全部引き渡してしまうのは流石に惜しい。けれどもこの勇者の必死なことは、まるで世界の存亡がかかっているかのようだ。突っぱねる気にもなれない。

 それに……送ってきてくれた実家の両親も、他者に分け与えてこれの美味しさを広めてくれることを期待しているはずだ。きっと。


「……分かったよ。あんたに全部やる」

「ありがたい……本当にありがたい……代わりといっては何だが、これは邪竜を討ち取った際に体内から出てきた宝玉だ。世界に一つしかない代物だが……受け取ってくれ」


 そう言って、自称勇者は赤い水晶玉のようなものを渡してきた。燃えるように真っ赤な玉で、手に持つとほんのり温かい。値がつくのかどうかは分からないが、この温かさは冬には重宝しそうだ。


「そろそろ、友を捜しに行かなきゃ」

「あんたにも友達いるのか」

「宮廷魔術師のスラーだ。とってもいい奴だよ」

「そうか、達者でな」


 俺は玄関先に立って、去り行く自称勇者の背中を見つめていた。彼はがちゃがちゃと鎧の揺れる音を立てながら、段ボールを抱えて歩いている。金色の鎧に反射された太陽光が、俺の目に突き刺さってきた。

 勇者からもらった赤い玉は、しばらくの間湯たんぽとしてありがたく使わせてもらっていた。が、それから二か月後、ふとした拍子に床に落としてしまい、粉々に砕けてしまった。砕け散った玉からは、すっかり温かみが失われてしまっていた。


 この珍奇な出来事が、忘れられない思い出になったのは言うまでもない。あの自称勇者は、今どうしているだろうか……実家からよりよりが送られてくると、その度に例の男の顔が頭をよぎる。

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