【短編】【朗読推奨】ミルクティとしてはおとといの気持ち
雨宮崎
ミルクティとしてはおとといの気持ち
毎朝のように、わたしの自転車のカゴで寝ている猫がいる。
愛想はない。
不思議と嫌な気持ちにはならないのだが、その猫を乗せたまま自転車を漕ぐのはちょっとした労働だった。
猫の方はカゴから降りる気はまったくなく、ハンドルを取られそうになりながら自転車を漕ぐわたしを尻目に、のんびりと朝のまどろみを楽しんでいる。
そしてわたしが大学に着くと、カゴから降りてふらふらとどこかへ行ってしまう。
しっぽの動きがなんとなく、わたしに手を振っているように見える。
でも愛想はない。
ところでアルバイト先をオシャレで静かな喫茶店に選んでしまった場合の悩みのひとつとして、『バイト終わりの路地裏の切なさに打ちひしがれてしまう問題』というものがある。
どういうことかというと、店内のオシャレなBGM、輸入品の趣味の良い小品たち、無駄のないスタイリッシュさを持ったインテリアなどなど。つまり雰囲気に圧倒されてしまい、その空間に浸っている間は、どこか終わらない夢を見ているような錯覚に陥ってしまう。そしてバイトが終わり、スタッフオンリーの狭い従業員用の部屋においてあるふりかけや冷蔵庫に保存してあるイカゲソのつまみ、従業員出口の付近にある汚い水道管やパイプ、あるいはその中を流れる水の音などを聞いていると百年の恋も覚めてしまった気分になり、頭がすぐに追いつかない。
とはいえ通りに戻って自分の自転車に乗るころには、そんなことは忘れてしまっている。
雨の降る日には、わたしの自転車のカゴには猫はいない。
わたしは雨は嫌いではない。
雨の日はパパが大学まで送ってくれるから、わたしは自転車には乗らない。普段は自転車で通うその道を車の窓から眺める。気づけばあの猫を探している。どこかで濡れてたりしないだろうかと想像してしまう。
けれども大学に着くとそんなことも忘れてしまっている。
雨の日は大学のあまり美味しくない食堂で昼食を食べければならない。
それでもやっぱり、わたしは雨は嫌いではない。
ところでデート先に観覧車しか誘わない恋人を持った場合のメリットとして、『観覧車の中では会話というものは意外とそんなに重要ではない問題』というものがある。
これはどういうことかというと、高いところから見る景色というのは変わり映えしないように見えて、実は少しずつ街の様相が変わっていたりする。古いビルが立て直されていたり、立て直しているビルが少しずつ新しくなっていたり、あるいは大型デパートが中身はそのままで名前だけ大きく変更されていたり。つまり眺めていて飽きないから会話らしい会話がなくたってそこそそこ楽しめる。少なくともわたしは普段からそこまで会話をしたくなかったりする。
そして恋人は、君は愛想はないけどそこが愛嬌だよとかつぶやいたりする。
そんな会話も、観覧車を降りたらおそらくすぐに忘れてしまっている。
凍えるような寒い日。買ったばかりの暖かいペットボトルのミルクティが通学途中で冷めてしまうのが嫌だから、わたしはいつもカゴにいる猫に保温してもらう。
この関係もいいかもと思ってしまう。
猫も猫で、待ってましたと言わんばかりにペットボトルのミルクティを包み込む。
わたしはミルクティの保温が期待できるし、猫も猫でカゴの中の空調が安定する。
そして大学に着くと、我々はそれぞれに歩き出す。
猫はいつものように背中をむけたまま尻尾で礼を言う。
こういう関係もいいなと思ってしまう。
あるところでは、その日の昼はどうしてもおろしポン酢牛丼が食べたくて、一人で牛丼屋に入る勇気がないから恋人を誘ったのに、彼はお金がないからと断り、しかたがないからテイクアウトにしてもらったのだけれども、大学に戻って人気のないところを探し回っているときに限って、男女の情事に出くわしてしまったりする。そしてそれが自分の恋人だったりする。
でもあるところでは、ミルクティで暖まった猫が気持ちの良い茂みで昼寝をしていたりする。
なのに忘れたいのに、忘れられないこともあったりする。
夏の暑い日。カゴの中の猫は、ペットボトルの冷たいミルクティを包んで涼を取っている。
でもやっぱり愛想はない。
雨が降る日以外は、いつもわたしの大学行きの定期便を利用する。
今日のようなよく晴れた暑い日には、猫は下り坂に差し掛かるとカゴから顔を出す。
そして涼しそうに顔を上げ、風を浴びる。
毛並みが風に吹かれて、どこか凛々しい。
その姿がなんだか、もう俺でいいじゃないか、と言っているように見えてわたしは少し笑ってしまった。
カゴの中でミルクティが冷えている。
もっと良い恋人見つける、とわたしは猫に投げかけた。
ならそれまで俺でいいじゃないか、と猫はいった。
わたし、けっこうめんどくさいよ?
知っている。
それに愛想もないって言われる。
それも知っている
束縛するかも。
それは困る。
大学に着くと、猫はカゴから降りた。
猫はいつものようにしっぽで別れを告げたが、一度立ち止まってこちらを振り返った。
今日は一緒に帰ろう。
わたしは、そうしようと言った。
猫の背中を見送り、わたしはペットボトルのミルクティを飲む。ついこの間までは甘く感じたのに、なぜか今日は全然甘くない。
そして気づけば忘れたいことを忘れていて、こんな関係もいいなと思って、背を向ける彼の姿は、でもやっぱり愛想はなかったりする。
【短編】【朗読推奨】ミルクティとしてはおとといの気持ち 雨宮崎 @ayatakanomori
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