第2話 懐かしい町並みとあの日の思い出


 王都『ブレイズラーゼ』という街がある。

 瘴気に包まれていた近代、食糧事情が危ぶまれていた中であっても、人々が飢えないように対策していた街である。


 一人の聖女の活躍により、世界を包む瘴気が薄くなっていくたびに、街は元々の豊かさを取り戻していっていた。

 そして空が小麦色の光に覆われた瞬間、世界に完全な平和が訪れたことを知り、今の街中は大賑わいを見せていた。


 街の中には、多数の住人がいる。

 冒険者の姿や、騎士の姿も見かける。

 この街の近隣には、魔物が住む森などもあるため、冒険者が拠点として滞在しているし、騎士団もいるため万が一が起こった時の戦力面も申し分ない。


 それで、現在。


 その街は、お祭りが開かれていた。

 世界が平和になったことを祝う祭りと、小麦色の聖女シャノンを追悼する祭りだ。

 お役目を終えて天寿を全うして、死んでしまった聖女シャノンに捧げる、感謝の祭りだ。


「私、やっぱり死んだことになっています……」


 その街の中で、一人の少女が苦笑いをしていた。


 身長は平均よりもやや高めで、痩せ型で、古いローブといった装いの少女だ。

 ローブのフードから、色褪せたベージュの髪が少しだけ見え隠れしている。


 聖女、シャノンである。

 彼女は、ついに思い出の街へと帰ってきた。


「5年ぶりの街に帰ってきた……」


 ここは一応、彼女が育った街である。

 15歳までこの街にいたから、思春期を過ごした町だ。

 そして聖女に選ばれてからは、この街を離れて、それから一切戻ってくることはなかった。


 あの頃の自分は、何者でもなかった。聖女でもなかった。

 15歳の、普通よりも地味な女の子で、初めての恋を芽生えかけさせていた女の子。

 結局、15でこの街を離れることになった時に、その恋はこの街に置いていくことになってしまった。



 あれからもう、5年だ。


 大人っぽい女性になれたかと言われると疑問だが、しかし、見た目は変わっていると思う。



 5年……。


 5年もすれば街は変わる。


 人も変わる。


 ずっと同じことなど何もないのだ。


「あの人がいるかもわかりません……」


 もう、5年も経っているのだからーー。


 たとえ、会ったとしても、もう分からないかもしれない。


 そもそも、相手の名前も知らない。実はロクに話したこともない。

 一目惚れして、こちらから一方的に、ほのかに恋心を向けていた、一人の異性だ。


「会えるといいです……」




 とりあえず、このまま考えてもしょうがないと思い、彼女は歩き始めることにした。


 レンガ作りの地面を、道の左端に寄って歩く。靴が地面を叩く音がする。

 その音はゆっくりとだが、軽やかで、幼かった昔よりも、弾んでいる足取りかもしれない。


 街の中には、さまざまな人がいる。


 季節は秋。

 この世界には、四季があり、気候も変化する。

 肌寒くなってきたこともあり、長袖、長ズボンの男性や、丈の長いスカートを履いて、カーディガンを羽織っている女性がいる。

 子供は半袖だ。半袖で、鼻を啜りながら、無邪気に噴水のそばを走り回っている。


 平和な光景だ。平和で、幸せそうな光景だった。


「……カップルがたくさんいます」


 周囲には、幸せそうに歩く男女の二人組の姿。


 カップル、恋人、呼び方は様々だ。


 腕を組んで、互いに見つめ合い、愛を囁き、照れながらさらに密着する。


 温もりを感じ、暖かいことだろう。


「……羨ましい」


 ……ふと、そんなことを思った。


 みんな、当たり前のように想い人がいて、その相手と幸せな時間を過ごしている。


 好きな人と共に過ごせる時間は、どれだけ楽しいことだろうか。


 自分には、そんな機会もなかった。


 キスをしたこともない。手も繋いだこともないし、誰かの腕の中で抱きしめられたこともない。


 だから、なおさら、当たり前のように二人で寄り添っている周りのカップルを見ていると羨ましくなった。



「……あれは」


 そんな街の中。

 近くから聞こえてきたのは子供の泣き声だった。

 5歳ほどの女の子の泣き声だ。地面にしゃがみこんで、両手で目元を擦りながら大粒の涙をこぼしている。

 膝からは血が出ており、それが垂れて白い靴下を汚している。


「少し見せてください」


 そこに現れたのは、ローブのフードを目深に被った一人の少女だった。

 聖女、シャノンである。

 そのフードの下から聞こえた鈴のような声を耳にした瞬間、街の中の時間が止まったように多くの者が錯覚して、近くを歩いていた者たちは惹きつけられるように息を呑んでいた。


「!」


 当人である女の子も泣くのを忘れたように、そのフードの少女のことを見上げる。


 シャノンは小さく微笑み、女の子のそばにしゃがむと、傷口を見た。

 そこに、自らの手のひらをかざし、小さく唱えた。


「ヒーリング」


「!」



「「「!!!」」」



 次の瞬間、魔法が発生し、傷が塞がる。肌色の皮膚が再生していく。血はもう止血されていた。。


 はっ、と周囲から声が漏れた音が聞こえた。「回復魔法だ……」という感心する声も聞こえた。


 この世界では回復魔法を使える者は、それほど多くはない。


 が、しかし、光属性の魔法を極めている聖女は、もちろん習得済である。


「痛いの痛いの……飛んでいけ。これでよしです。もう大丈夫です」


 女の子の頭をひと撫ですると、シャノンは小さく手を振ってこの場を後にした。


「あっ、ありがとうございました……!」


『まるで聖女みたいな人だった……』


『聖女といえば聖女シャノン様……。きっとあんな人だったんだろうな……』


「……っ」


 苦笑いをしながら、フードの下の赤くなった耳を隠す。

 その後ろ姿を、見送るのは、手当てをしてもらった女の子。そして、やや遅れてその場に駆けつけたその子の母親。そして、周りの民衆たち。

 深々と頭をさげる母娘の視線を受けながら、彼女は数分歩いたのち、程なくして辿り着いたベンチに座って、心臓を抑える。



「魔力……使ってしまいました」


 やってしまった……。

 自分はもう魔力は全く残ってはいないのにも関わらず、使ってしまった。


 魔力というのは生命力。その生命力を自分はもう持っていない。お役目が終わってから壊れてしまっている。

 だから先ほども、あの場で魔法を使った瞬間、もしかしたら死んでしまっていたかもしれないのだ……。自分の命を媒介に、強引に力を行使していたのだから……。


 それでも、あのまま素通りすることは、彼女にはできなかった。体が勝手に動いていた。


「あの子の涙が止まっただけでも、よかったです」


 それは多分、自分の老い先短い余生よりも大切なものだ。だから、ここはプラスに考えよう。



 そして、そう思った矢先、空から頬に落ちてくるものがあった。


「雨だ……」


 ポツポツと、ポツポツと。

 曇天模様の空から、雨粒が落ちている。


 先ほどまで晴れていたのに、雨が降り始めていた。


 街の中も先程までのお祭りムードから一転して、雨宿りの準備に取り掛かっている。


 自分も雨宿りをしないと……。


 そう思って立ち上がろうとすると、先ほどの魔法の行使の影響により少し立ちくらみがしたため、目を瞑って一息ついて、それからゆっくりと歩き出すことにした。


 雨に打たれることは、嫌いではない。


 むしろ、好きだ。


 それに……昔のことも思い出す。


 思えば、初恋の彼と出会ったのも、雨が降っていた時のことだった。


 色々あって、自分の傘が盗まれたせいで、雨に打たれて帰ることになった。


 その際に、差し出された傘があった。知らない少年からの傘だった。当時の自分は、その傘を受け取ることもなく、そもそも自分に差し出された物などとは思わず、全身ずぶ濡れの状態で家へと帰った。


「あの時の私は若かった……」


 当時は全てが敵に見えていたからしょうがないとはいえ、今思えばそれはロマンチックな思い出のシーンだったのかもしれない。


 そんな彼女に、だ。


「あの」


「?」


 ここで、声を掛ける者がいた。


 その声は、雨の中でも不思議とよく耳に入った声だった。


 振り返る。


 すると、そこにいたのは一人の青年の姿だった。そして、その青年は、なんと自分に傘を差し出しているではないか。


 まるで、あの頃の出来事みたいだ。

 でも、シャノンはもう大人なのだから、これが巷に聞くナンパなのだろう、と冷めた気持ちになっていた。思い出というのは、補正がかかっているだけで、そんなものだ。


 どちらにしても、速やかにこの場から去るべきだろう、とシャノンは判断した。


 が、しかし。



 ーーいや、待て。



「傘はお持ちですか? もしよろしければ、これ、どうぞ」


「え……っ」


 その時、シャノンは心臓が止まるほどの衝撃を受けてしまった。


 思わず、傘を差し出している青年の姿を二度見した。そしてギョッとした。


 知っている顔だったからだ。


 20歳ほどの大人びた男性。

 騎士の制服を着ており、黒色の髪。


 その雰囲気にはあの頃の面影があり、確認しなくともすぐに分かってしまった。


(彼だ……)


 何を隠そう、その人物は、かつて自分が恋心を抱いていた彼だったのだ。



 こんな偶然があるだろうか……。運命の赤い糸は、本当にあるかもしれない。

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