聖女のお役目が終わった。あとに残っていたのは、やり残していた恋だけだった。

カミキリ虫

第1話 空っぽな聖女


 小麦色の光が、世界に降り注ぐ。


 邪悪な瘴気が消滅した空の下で、一人の少女が立っていた。


 もう少女という歳ではないかもしれない。15で聖女になってから、すでに5年は経っている。


「私、まだ……生きていました」


 自分の命があるのを感じながら、彼女はそう呟いた。


 か細くも、彼女はまだ生きていた。




 この世界には、聖女と呼ばれる存在がいる。

 その聖女は、人々に平和をもたらす存在である。


 害のある瘴気や、魔族を消滅させること。

 それが聖女という存在のお役目であった。


 そして、お役目を終えた聖女は、天寿を全うし、そのまま消えることになっている。


 当然、彼女自身もそうなるのだろうな、とそう覚悟を決めて、今日、この時までお役目に身を投じてきた。


 つい、先ほどもそうだった。

 空を覆い尽くしていた、瘴気と魔族。

 それを一掃して、世界に平穏をもたらした。


 その結果、生命の源である魔力を全て使い果たした彼女は、そのまま天に召されるはずだった。


 しかし……。


「私、まだ、生きてます……」


 一人っきりの空の下、彼女は確認するようにもう一度呟いた。


「でも……寿命も削れてしまっています」


 それは、当たり前のことだった。


 自分はもう終わりだ。これは一時的な生だ。


 魔力も空っぽで、視界もおぼつかない。

 だけど、頭はクリアになっている。不思議な感覚だ。

 言うなれば、お役目をやり遂げたことで、燃え尽きた状態だ。


 しかし、それでも、まだ自分は生きている。


「これから、どうしましょう……」


 周りを見る。


 小麦色の光がキラキラと降り注いでいる。


 ここは、腐敗の地。

 瘴気と魔族によって、土も、草も、空気も、腐っていた土地だ。

 それが小麦色の輝きによって、元の緑が芽吹いている。


 視界の端に映るのは、色素の抜けた自分の髪。


 周りに漂っている小麦色の魔力は自分の魔力で、自分の体から色が抜け落ちた分が、周りに漂っているのだ。

 色のなくなった虚な目で空を見上げ、自らの魔力を感じるのは、なんとも不思議な感覚で、心地よい気持ちになれた。


 今まで自分の中にあったものを全身で感じているのだ。


 心地よい……。

 このまま眠ってしまいたい。



 だけど……。


 それでいいのかとも思ってしまった。



 勿体ない気がする。


 自分はもうすぐこの世界から消えてしまうけれど。


 それでも、まだ生きているのだ。まだ歩けるのだ。まだ何かに触れることができるのだ。声も出せる。見ることもできるのだ。


 このまま何もせずに、ここで、自分自身が消えるのを待つだけなのは、勿体ない気がした。


 とりあえず……。


「お役目を終えたことを、教会に報告しに行くべきでしょうか……」


 ーーと。

 そんなことしか思いつかなかった自分に、我ながら落胆してしまう。


 最後に思いついたことが、業務連絡とはこれいかに……。

 もっと自分のために何かをすればいいのに……。自分で自分のことが虚しくなる。


 それに、恐らく報告は必要ない。

 教会、及び、各国は、自分がお役目を終えたことを、すでに確認している頃だろう。


 自分は一人でここにやってきたけれど、お役目を終えたあとの、今も空を覆っている小麦色の光は、この世界にいる全ての者の目に入っているはずだ。


 今頃、各国は後処理に取り掛かっている頃だろう。


 なにより、お役目を終えた聖女が天に召されることは皆が知っているため、自分がまだ生きていることなんて誰も想定していない。


 だったら、自分はここでひっそりと死んだ方が余計な混乱をもたらさずに済むと思う。



 そう……。一人で。


 ひっそりと。誰にも看取られることなく。


 ここで終わる。



「……寂しい」


 そう考えたら、急に寂しさを感じ、怖くもなってしまった。



 彼女も人間だ。

 聖女であろうと、一人の意思を持った人間だ。


 お役目を終えた後、何も残らずに消えると考えたら、それはどれだけ寂しいことだろう。


 別に語り継がれたいわけではない。

 誰かに褒めてもらえるのは嬉しいけれど、褒めてもらうために聖女として頑張ってきたわけでもない。


 だったら……どうして自分は聖女になったのだろう。

 どうしてここで、死のうとしているのだろう……。


「…………」


 分からない……。


 それは、最初から、見ないふりをし続けてきたことだった。


 今まで、何も考えないようにして、ただ目の前のことだけをやってきただけだった。


 選ばれたから、やるしかなかっただけ。


 15歳から〜20歳まで。

 人生で一番楽しい時期じゃなかろうか。


 恋に、友情に、青春に。


 周りがそれを楽しんでいる間、自分は聖女のお役目をしていただけで、遊びとは無縁の人生だった。


 そんな自分には、何も残ってない。これから先も、もう、何も残らない。


 きっと、心残りなんて、何もない。


 空っぽだ。自分の人生は、空っぽで、何もない人生だった。



「……あっ」


 ……いや。


 待て。


 一つだけ。


 昔、一つだけあった。


 自分にも、心残りが。


 それは、みんなが当たり前のようにしている、『恋』というものだった。


「あの人は今、どうしているのでしょう……」


 思い浮かんだのは、一人の人のこと。

 もう5年ほど経っているため、今は青年になっていると思う。


 それは、もう5年ほど前のことになる。

 自分は一度だけ、恋というものをしたことがある。


 相手の名前は知らない。


 だけど一目惚れだった。それが自分の初恋で、最後の恋だった。


「最後に一目でいいから会いたい……」


 ふいに、無性に、会いたくなった。


 何もなく終わってしまった、あの時の恋心を思い出してしまった。


 無理だと思っていた。


 だけど、お役目から解放された今なら、会いに行くことだってできる。


 だったら……会いに行けばいいんじゃなかろうか。



「こうしては……いられない!」


 思ったが最後、行動は早かった。


 こうして、聖女シャノンは最後に、ずっと片想いしていた人に会いに行くことにしたのだった。

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