灰かぶりの勇者と暁の姫
志村一矢
第1話 たたかい、おわり、もえつきて
わたしは、母が子守歌の代わりに聞かせてくれる物語が大好きだった。
勇者デインの冒険譚。母が語ってくれるのは、決まってそれだった。
二十年前、魔王グインベルムを倒し、世界を救った英雄。
アズール王国の国王は、王女フェリナとの結婚を勇者に勧めたが、彼はこれを固辞して王国を去った。
そして、勇者デインは歴史の表舞台から姿を消した。
魔王が倒された後も魔王軍の残党との戦いは続いたが、勇者デインは現れなかった。
勇者は別の大陸に渡ったとも魔王との戦いで負った傷が元で死んでしまったとも噂されたが、そういった噂も数年で絶えた。
勇者の存在はすっかり過去のものになってしまった。
それでも、母は、勇者デインの活躍を繰り返し繰り返し、わたしに語った。
特に、魔王軍にさらわれた王女フェリナが勇者デインに救出される
母・フェリナにとって、勇者デインは太陽にも等しい格別の存在だったのだ。
母は、勇者デインに恋をしていたのだろうと思う。
娘の私から見ても、母は美しい女性だ。少女時代の母は、妖精と見まがうほどの美貌から、アズールの至宝と呼ばれていたらしい。
そんな母を袖にして、勇者デインは去った。
美女も権力も何一つ手に入れることなく、勇者デインは、ただ世界を救って去った。
魔王との戦いが壮絶なものであったろうことは想像に難くない。
その戦いで、勇者デインはかけがえのない大切なものを失ったという。
大切なものを失い、見返りを得ることもなく去った彼は、幸せになったのだろうか。
この二十年間を、幸せに過ごしたのだろうか。
今この時を、幸せに生きているのだろうか。
わたしは勇者デインの幸福を願わずにはいられない。
世界のために、大切なものを失いながらも戦い抜いた彼が、不幸になっていいはずがない。
わたしは、きっと彼に恋をしているのだろう。
勇者デインの活躍を語る母が、とてもとても幸せそうだったから。
聞いているわたしまで、幸せな気持ちになれたから。
勇者デイン。
魔王を倒し、世界を救った英雄。彼が母を救ってくれたから、わたしは今ここにいる。
わたしは彼に会いたい。
いえ、会わなければならない。
勇者デインがもたらした平和が、失われようとしている。
世界は再び、勇者を必要としていた。
※※※
立ちはだかる
魔王グインベルムは戦いの中で幾度もその姿を変えた。
初めは人に近しい姿をしていたが、下半身が四足の獣のそれに変化し、背中からは羽が生えた。
二本だった腕は四本に。この腕が脅威だった。伸縮自在な上に鞭の如くしなる。さらに一振りごとに毒気を振り撒き、あるいは無数の棘を飛ばした。この棘は先端から強烈な酸を出し、かすっただけでも肉を溶かされる。
デインは毒に冒され棘の酸に肉を焼かれつつも魔王への突撃を繰り返した。
生きていられるはずのない損傷を全身に負い続けてもデインが戦えたのは、サクラの魔法『
魔王の攻撃に傷つくのと同時にサクラの『
精霊刀・
決して折れず、千の敵を斬ろうとも切れ味の落ちることのないはずの刀でさえ腐食させてしまうほどに、魔王の毒は強い。
輝きを失った愛刀を、なおも振るい続けて魔王の身を切り裂いていたデインだが、魔王は不死に近い。切っても切っても、すぐに傷は塞がってしまう。
魔王を殺すには、その身に点在する核をすべて破壊しなくてはならない。
初めは核の場所も数さえわからなかったが、戦いの中で、デインは核が全部で七つあることを見抜き、その内の五つの破壊に成功した。
しかし、デインたちにも限界が近づいていた。
傷を負うのは一瞬。だが、いかに『
肉体の損傷は着実に蓄積していく。一方で、体力は減り続けていく。サクラの魔法力もいつ尽きてもおかしくはない。
(俺は負けない! 負けるわけにはいかないんだ……っ!)
縦横無尽。あらゆる角度から絶え間なく襲いかかる魔王の腕をかわし、切り払いつつ、デインは心の中で吠えた。
(俺は勇者なんだから!)
デインが自分から勇者を名乗ったことはない。傭兵として参加したとある大きな戦をきっかけに、人々からそう呼ばれるようになった。
勇者とはただの称号ではない。希望そのものなのだと、ある人に言われた。
勇者の敗北は希望の喪失だ。ならば、自分は絶対に負けるわけにはいかない。
その一念で、デインは斬撃を繰り出す。
毒で肺が焼けるように痛い。呼吸がまともにできていない。左目を酸にこっぴどく焼かれて、視界が狭くなっている。
既に力の入らなくなっている足で無理やり床を蹴って、デインは魔王との距離を詰める。
「しつこいぞ! 虫けら!」
魔王が背中の羽を広げた。魔王の羽は広範囲に暴風を生む。
避けきれず、踏ん張って耐えることもできず、デインは吹っ飛ばされた。
「ぐはっ!」
巨大な柱に背中から叩きつけられて、目を剥く。
すかさず、魔王の腕が迫る。
「天の理よ、我が意に従い、裁きの鎚を振り下ろせ! 『
サクラの声が響いた。
雷系の最上級魔法が魔王の四本の腕の内、三本を塵に変えた。しかし、雷光の網目をすり抜けてきた一本が、デインの左腕をかすめる。
皮膚が裂け、肉が抉られる。
「……っ、あああっ!」
激痛に喘ぎながら、デインは右手の水月で魔王の腕を切り払った。
「デイン!」
駆け寄ってきたサクラが、庇うようにデインの前に立った。
「サクラ……無茶するなよ……」
デインが我が身よりもサクラを慮ったのは、サクラが『
魔法の同時使用は、そもそも不可能とされていた。サクラは類いまれな才能と卓越した技術により可能としていたが、最上級魔法を同時に操るのは肉体への負担が大きすぎる。
「魔王との最終決戦なんだから、無茶するよ。今この戦いに勝つために、私たちは旅をしてきたんだから。でしょ?」
実際、顔を半分だけ振り向かせて言ったサクラは、目と鼻、そして耳から血を流していた。
「……ああ、そうだな」
デインは立ち上がり、右手一本で水月を構えた。左手にはもうまったく力が入らない。『
「だが、全力で攻撃できるのは、あと一度だ」
「なら、私が隙を作る」
無茶だ、という言葉を呑み込んで、デインは頷いた。
サクラは言っている。命を賭して……否、命と引き換えにして隙を作ると。
ならば、自分のするべきことは一つ。魔王グインベルムに必滅の一撃を見舞う。
「サクラ、俺はおまえを一人にはしない。俺たちはずっと一緒だ」
サクラは笑った。
「デイン、私の勇者」
血にまみれていても、その顔は美しかった。
「愛してる」
そして、サクラは魔王へと向き直り、駆け出した。
「忌々しい人間どもめ! これで終わりだ!」
デインとサクラが短い言葉を交わしている間に、魔王の腕は再生していた。
その腕が、サクラに襲いかかる。
「『
轟雷が魔王の腕に絡みつき、塵に変える。だが、またしても一本の腕が残った。その腕は、吸い込まれるようにサクラの身を貫いた。
叫び出したい衝動をこらえて、デインは全身に力を漲らせた。
「火の理よ! 神々の意志よ! 我が意に従い世界を
サクラが自らを貫く魔王の腕をつかんで、吠えた。
火炎系の最上級魔法――神性を帯びた炎がサクラの全身から噴き出し、魔王の腕を、そして、その先にある魔王の本体を灼いた。
「グ……オオオオオッ!」
苦悶の声を響かせて、魔王グインベルムが巨躯をよじらせる。
デインは走った。
「
それは、命を燃やし、己のすべてを込めた、まさに渾身の一撃だった。
デインの奥義は魔王の残り二つの核を砕き、凄まじい絶叫が魔王殿を震撼させた。
魔王グインベルム――魔界を力で統べる王にして、この世界に数多の死と破壊をもたらした最強の悪鬼は、塵となって消えた。
今際の際に魔王はデインに向けて何かを言ったが、デインの耳には入らなかった。
デインは水月を投げ捨て、倒れ伏すサクラに駆け寄った。
「サ……」
サクラを右腕一本で抱え起こし、デインは絶望した。
多量の血を失ったその身体は、命の熱をも失いつつあった。
わかっていたことだ。サクラは命と引き換えに、デインに最後の好機を与えたのだから。
自殺行為などではない。魔王を倒すには、
(守れなくて、すまない)
口をついて出かけたその言葉を、デインは呑み込んだ。
謝ってはいけない。
デインもサクラも死力を尽くした。
今、デインがサクラにかけるべき言葉は。
最良の相棒にして最愛の人にかける、最後の言葉は。
「ありがとう。愛している。ずっと」
サクラは力なく目を開け、血に染まった顔にやわらかな笑みを浮かべて、息絶えた。
涙は出なかった。ただ、心が灰になっていくのをデインは感じていた。
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