第2話「未婚者が既婚者に勝てるわけないでしょ」

「ねえ、ちょっと聞いてよっ!」


 家に帰ってくるなりハニーは、凄い剣幕でそう言った。

 この常にカリカリしていて、「もう本当にあり得ない、死ねばいいのに」が口癖な女性は、何を隠そう僕の妻である。

 そして魔王様でもある。

 彼女が魔王だと知った時には驚いたものだけれど、今となってはまぁ、なんだろ……折り合いを付けて上手くやっている。


 ハニーには、人間を絶滅させたり世界を支配したりという野望は無いらしいし、将来はクレープ屋さんになりたいという可愛らしい夢も持っているが、先代の魔王でもある父親が数年前に倒され、仕方なくやっているとか。

 少し前に、だったら魔王なんて辞めて、魔族も人間との共存の道を探れば––––みたいな事を提案した事もあるがハニーの返答はこうだった。


「無理よ」

「何でさ」

「だって魔族にだって家庭があるのよ? 生活があるのよ? 今まで人間を殺して、略奪して稼いでいたのを急にやめられるわけないし、それ以外の生き方を私たちは知らないもの」


 との事である。

 なんか、家庭とか生活とか言われると、ちょっぴり共感してしまうものがある。

 家畜を熊に襲われ、その熊を殺そうとしたら、子熊にご飯をあげる為だったと知れば、やるせない気持ちにもなる。

 人間側の僕としては、まあ––––いい落とし所が見つかればいいよねとは思う。

 それはさておきだ。

 僕は今にも町を吹き飛ばしそうな剣幕を浮かべるハニーのカバンを指差した。


「その前にお弁当箱を出してくれ、洗っちゃうから」

「そんなのは後でいいじゃない! 私の話を聞いてよ!」

「ダメだ、早く洗わないと汚れが落ちないだろ」

「私とお弁当箱どっちが大切なの⁉︎」

「そりゃあハニーだけど、早く出さないともうお弁当作ってやらないぞ」

「…………そ、それは困るわ」

「なら、早く出して」


 渋々、カバンからお弁当箱を取り出すハニー。てかさ、お弁当箱は食べたら即洗って欲しいよね。せめてさ、箸だけでも洗って欲しいよね。


 こんな愚痴をこぼす僕の職業は、主夫である。家事とか家のことをするのは僕の担当だ。

 いやだってさ、奥様は魔王様だし。

 お弁当を持って行く魔王様もどうかと思うけど(可愛いとは思う)。

 なんでも、「お昼にもダーリンの作った美味しいご飯が食べたいわ」とご要望だったので、こうして毎日愛妻ならぬ愛夫弁当を作っている。


「はい、美味しかったわ、ごちそうさま」

「ん」


 ハニーからお弁当箱を受け取り蓋を開く。中身は空っぽだ。綺麗に食べてもらえるとやっぱり嬉しい。


「ちなみに何が一番美味しかった?」

「そうね、全部美味しかったけど、ピザみたいなやつね」

「ああ、パン・コン・テマテな」


 パン・コン・テマテはピザみたいなやつと言うだけはあり、パンとトマトをベースにした料理で、今回はニンニクと塩で味付けをし、市場で手に入れた生ハムとアンチョビを乗せてみた。

 初めて作ったのだけれど、好評でよかった。

 僕は手早くお弁当箱を洗いながら、今朝の出来事を話す。


「早朝に市場に行ってさ、肉屋で生ハムを買った時に作り方を聞いてさ、それで作ってみたんよ」


 肉屋のおばちゃんには感謝だね。また僕の料理レパートリーが増えたぜ。


「この町は本当に美味しい食材が多いわね」

「だな」


 王都の北東に位置する港町バルーニャ。

 貿易が盛んで、市場に行けば各国の新鮮な食材が手に入る。料理好きな僕としては、理想の町と言ってもいい。

 海岸沿いにある庭付き二階建ての一軒家が我が家だ。

 目の前は海が広がるオーシャンビューで、庭は家庭菜園が出来るくらい広い(お弁当に使ったトマトは実は僕が育てたやつだ)。

 ちなみに購入したのは、ハニーである。魔王様の魔王的な経済力で購入した(そういう意味では僕は結構な逆玉の輿こしだ)。


 ハニーはこの町から毎日移動魔法で魔王城に飛んでいる。

 つまり魔族の王でもある魔王様は魔王城ではなく、人間の居住区で新婚生活をしている。

 理由は、昔どこに住むかを話し合った際に、僕が魔王城を嫌がったためこの町に住むことになった。

 だってさ、魔王城って日当たりは最悪で、陰湿で、風通りも悪いし、周辺で新鮮な食材が手に入る市場もないんだぜ? あり得ないだろ? 立地条件最悪だっての。


 とまあ、こんな感じで割といい感じの生活を送っている。

 最近––––というか、結婚する大分前からハニーの愚痴に付き合う羽目にはなってはいるが。

 仕方ない、今日も聞いてやるか。

 お弁当箱を洗い終え、軽く水拭きしてから、ハニーの方へと向き直る。


「で、話って?」

「そうなの、今日ね、勇者のメスガキが城に乗り込んで来たのよ」

「城に乗り込まれたのか?」


 言っちゃあなんだけど、魔王城の警備は厳重で、勇者と言えどそう簡単に乗り込める物ではない。

 つまり、それなりの腕があったってことなのだろうか?

 しかし、僕の予想は大きく外れた。


「いいえ、下手に城を破壊されたら困るから外で待ってたわ」

「威厳!」


 なんで外で勇者出迎えちゃうの⁉︎ 最奥の玉座で大人しくしてろよ!


「だって、城の内装はお金によりをかけて一流のデザイナーにデザインしてもらったのよ⁉︎ 絶対に壊されたくないわ!」


 しかもその理由が城を壊されるのが嫌だからって……ケチか!


「そうそう、それと勇者は城の前に立つ私の姿を見て面食らってたわ––––きっと私が美し過ぎたからね」

「いや、絶対違うから!」


 意気揚々と魔王城に乗り込もうとしたら、魔王が城の前で待っていたらそりゃあ面食らうわな。


「こんにちは、美しいにも程がある魔王、ハニーです」

「おい、やめろ、自分で言うな」


 いやまあ、否定はしないけどさ。美しいけどさ。

 調子が出てきたのか、ハニーはさらに話を続ける。


「それでね、あのメスガキってば私の姿を見てこう言ったのよ」


 先程からメスガキ、メスガキ言っている所から、勇者はきっと女の子だったのだろう。嫌味がこもっているのは、やはり相手は勇者だからなのだろうか?

 ハニーはコホンと咳払いをしてから、やたらと甘ったるい声で勇者と思われるモノマネをし始めた。


「『えー、何その服? 魔王ってビッチなんですかぁ?』って言ったのよ⁉︎ 本当にあり得ない!」


 違う。相手が勇者だからではなく、ただ単に悪口を言われたから腹を立てているだけだった。

 でもさ、勇者の言い分もちょっと分かる。


「僕もあの服はビッチだと思う」

「ダーリンまでそんなことを言うの⁉︎」


 ハニーの戦闘服ってさ、もうほぼ裸と言ってもいいくらい色々見えちゃってる甲冑なんだよね。

 なんでも「魔王様なのですから、人間共の攻撃など防ぐ必要もないので見栄え重視にしておきました」と部下が作製したものらしいのだが、人間の攻撃を防ぐ必要が無いからって、肌を露出するのは絶対に違うと思う。

 というか、旦那としてはあまり肌の露出が多い服は着て欲しくない。


「しかもね、あのメスガキ、私の胸を見て、牛魔王って言ったのよ⁉︎」

「そ、そうか」


 ハニーってすごいスタイルいいんだよね。特に胸がとても大きい。

 見栄え重視で作られた甲冑は、ハニーのスタイルの良さより際立たせる(あと胸の大きさも)。

 魔王ってのは、見た目の良さで選ばれてるって言われても納得しちゃうくらいハニーは外見に優れている。

 性格はちょっと愚痴っぽい所あるけどね。


「きっと、自分が貧相でチビだから嫉妬してるのよ」


 愚痴っぽくて、口は悪いけど。


「それで、ムカついたからいつも通り返り討ちにしたんだろ?」


 じゃないとここにいないだろうし。というか、ハニーが討伐される可能性はまず無い。

 単純に強過ぎるのだ。もう冗談みたいに。

 勇者と言っても、ハニーの前ではマウントを取られ、ボコボコにされてしまったことだろう。

 案の定ハニーは、「そうね」と頷きドヤ顔を浮かべた。


「結婚指輪を見せて、勇者に『生き遅れ』って言ってやったわ」

「結婚マウント⁉︎」


 マウントはマウントでも結婚マウントだった!


「戦闘中もね、結婚指輪をアピってやったわ。無駄に左手をヒラヒラさせたり、顔の前に手を持ってきたりしてね」


 それ絶対ナルシストだと勘違いされたと思うな。言わないけど。


「あの勇者、途中からやたらと左手を狙ってきたから、きっと嫉妬ね。指輪を破壊しようとしたわね」

「それは困るな、戦闘中は外してよ」

「嫌よ、私がダーリンの物である証明だもの」

「お、おう……」


 急に惚気られても困る。いや、嬉しいけどさ。ちょっと照れるよね。

 ハニーはぐいっと僕に詰め寄ってきた。


「それにね、本当にあり得ないのよ!」

「何がだ?」

「見て」


 ハニーは左手ではなく、右手を僕に見せてきた。


「勇者の剣撃を小指で受け止め止めた時にね––––」


 この情報からハニーがめちゃくちゃ強いのがよく分かると思う。


「ネイルが剥がれちゃったのよ!」

「…………」


 この人一応魔王様だからね? なんで戦闘中にネイルのこと気にしちゃうかなぁ。それだけ余裕があるとも取れるけど。

 呆れながらもハニーの右手をよく見ると、小指のネイルが半分欠けていた。


「これ昨日やってもらったばっかだったのに!」

「あ、ああ、うん……」

「しかも今回のは自分でデザインしたのよ!」

「あ、ああ、うん……」

「ちょっと聞いてるの?」

「聞いてる、聞いてる」

「ほら、ここの部分は私とダーリンをモチーフにした––––」


 ハニーの話を上の空で聞き流しながら、その手をぼんやりと見つめる。

 ネイルを楽しむ魔王様ってなんなのだろうか。女性として、妻としては正しいのだろうけど。

 人間の僕が言えたことじゃないけど、魔族の奴らはこんな魔王で本当に良いのだろうか? 威厳の欠片もないぞ? 強さばかり優先して、人選間違えてないか?


「ちょっと、聞いてるの?」

「聞いてる、聞いてる」


 嘘だ、殆ど聞いてない。

 だけど、ハニーは全く気にしてない様子で話を続ける。


「それをあのメスガキってば、本当に信じられない、死ねばいいのに!」


 話の内容は全く分からないけど、とりあえず、話を合わせるように相槌を打つ。


「でも、倒したんだろ?」

「知らないわ、デコピンをしたら吹き飛んでいったわ。かなり遠くの方まで飛んで行っちゃったから探すのは面倒だし、服も汚れちゃいそうだったから帰って来ちゃった」


 服が汚れそうだから。

 魔族さん、本当に大丈夫ですか?

 宿敵にトドメを刺すことよりも、服が汚れるのを回避するのが、貴方達の魔王様ですよ?

 てかさ、剣撃を小指で防いでネイルが剥がれちゃったのはさ、小指で防いだハニーが悪いんじゃね? 言わないけど。


「大体未婚者が既婚者に勝てるわけないじゃない」


 挙げ句の果てには、全国の未婚者にマウントを取り始めたぞこの魔王。

 なんだ、その理論は何なんだ?

 既婚者アピールが、未婚者に対しての精神攻撃になり剣筋が鈍る––––みたいな効果があるのか?

 というか、今日はやたらと口が悪いな。

 さては相当ストレスが溜まってるな。

 ハニーはストレスが溜まると癇癪かんしゃくで、海を干上がらせたり、山を消しとばしたりするからな。

 ある意味世界の命運を握っているのは僕と言っても過言ではない。


 さて、どうするか。何かハニーのストレス発散にいいアイデアは無いものか。

 なんとなく辺りをを見渡す––––カレンダーが目に入った。

 ––––そうだ。


「なあ、ハニー」

「何よ」

「来月だけどさ、二日か三日くらい休み取れない?」

「私は魔王よ」


 ハニーは「呆れた」と言わんばかりにため息をついた。

 魔王だから、休みなんて無理とでも言いたいのだろう。


「だから、自分の好きな時に休むわ!」

「そっち⁉︎」

「私は魔王なのだから、味方に対しても暴虐武人の限りを尽くすし、当然勝手に休むわ! 私が居なくなってアタフタする魔族の顔が浮かぶわ!」


 それは暴虐武人ではなく、自分勝手と言うのだ。

 まあ、いいか。魔王だし。


「それで何なのかしら?」

「あ、ああ、ほら来月結婚記念日だろ?」

「そうね」

「旅行とかどう?」

「どこに行くのかしら?」

「そうだな、古都トレドールとかどうだ? 旧市街は雰囲気があるし、食べ物も美味しいし、世界でも三本の指に入ると言われているパティシエールのケーキ屋さんがある」

「まあ、いいんじゃないかしら」


 こうして、ハニーのストレス解消も兼ねた結婚記念日お祝い旅行が決まった––––と思いきや、


「ところで、来月って具体的にはどの辺りなのかしら?」

「え、いや、そうだな……二週目の週末とかは?」

「ダメね、その日はエステに行くもの」

「じゃあ、次の週とか」

「無理ね、マツエクをする時期だもの」

「……それじゃあ、次の週は髪を切るのか?」

「分かってるじゃない」

「…………」


 絶対に魔王の人選間違えてると思うな!

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