9番セカンド西村
大谷
約束の一打
「俺は今日ホームランを打つから、ちゃんと手術受けるんだぞ」
プロ野球選手が病院訪問でこういった台詞を言うことに、夢を叶えた今も憧れている。有言実行できる選手はほとんどいないと思っていたが、大抵打ててしまうのである。まぁ、ホームランを打てる選手だからこそ言えるのだろう。
現に、この前は同期の中川が子供たちの前で「開幕戦でホームランを打つ」と宣言し、本当に開幕戦で試合を決めるホームランを打った。さすがドラフト1位で入った大砲、若いのに4番を務めているだけある。
しかし、俺―
俺はプロに入ってからの通算本塁打数はわずかに1本。しかもそれは両翼92mという狭い地方球場でレフトボール際フェンスギリギリに入った打球だった。
高校時代、自分の守備を評価してもらいドラフト6位で入団したが、打撃のほうはからきし。高校レベルでは3割を超えるの打率を残せたものの、プロではバットが空を切ってばかりだった。
転機は4年目の昨期、不動のセカンド・浅田選手がシーズン途中の8月に怪我で離脱してしまった。セカンドのバックアップ要員だった俺はそのままスタメンでの出場機会を得た。自信のある守備でレギュラーを掴み、シーズン終了まで9番セカンドで出場し続けた。しかし打撃は相変わらず。最終的に打率は1割9分7厘、本塁打もその1本のみだった。
ヒットすら打てないのだから、「ホームランを打つ」など高らかに宣言することなどできるわけがない。
今日の病院訪問は中川と俺の2人。球団は福祉活動にも力を入れており、選手の病院訪問はしょっちゅう行われている。特に俺らは積極的に参加している。
俺は幼い頃病気で入院していたとき、プロ野球選手が病院に来てくれたことを今でも覚えている。プロ野球選手になった今、その感動をもっとたくさんの子供たちに与えたい。なんともベタな理由である。
中川は…どうしてだっけ。この前ちらっと教えてもらったが、忘れてしまった。
中川は病院でも子どもたちの人気者だ。さすがは4番、チームの中心選手である。一方の俺は昨年ブレイクしたおかげでそこそこ名は知られているものの、野球をほとんど見ない子どもたちからすれば、俺はただ中川のオマケのような存在であろう。
無名の俺はちやほやされずに今日の病院訪問も終わる…と思っていたが、そんなとき看護師さんに声をかけられた。
「西村選手の大ファンの子がいるので、会っていただけませんか?」
俺は驚いてしまった。俺のファンなんていたのか。
どうやら病室にいるという。その子の部屋に向かった。
「うわ!本当に西村選手だ!」
ベッドに横になっていた彼は、俺が病室に入った途端に目をギランギランに輝かせており、慌ててリモコンを操作してベッドを起こした。
「西村選手の守備がかっこよくて、大好きです!この間の試合でライナーをダイビングキャッチで試合終了、テレビで見ていてとてもかっこよかったです!」
嬉しいことを言ってくれる。俺は話を聞きながらありがとうと言い、手に持っていたボールにサインを書いて彼に手渡した。大きくまん丸の黒い瞳を輝かせ、眩しいくらいの笑顔を返してくれた。病院訪問で子どもがこんなにも嬉しそうな表情をしているのを見たのは初めてかもしれない。話を聞いてばかりでは良くないと思い、質問をしてみることにした。
「俺に聞いてみたいことはあるか?」
「うーん……。ハイルズ選手はやっぱり西村選手より打つの?」
そんな質問をするとは。俺が打てないのは自覚しているが…。うーん、なんとも失礼なガキではないか。
今季、浅田選手はメジャーリーグに渡ったが、代わりにセカンドを本職とする新外国人・ハイルズ選手が入団していた。彼は「打撃に定評がある」という評価を得て中軸を務めていたため、俺は現在彼のバックアップ要員である。
「ハイルズ選手思ってたより打たないし、西村選手のほうがセカンドの守備上手いんだから、西村選手が出てほしいなぁ。」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど…決めるのは監督だからなぁ、ハイルズ選手が打ったホームランはベンチから見ても打った瞬間わかるくらいだから、決してダメな選手ではないんだ。俺は悔しさもあるけど、チームが勝てたときは嬉しいよね。」
ハイルズは日本の野球の適応にやや苦しんでいるのか、4月の終わりの現段階でホームランは5本放っているものの打率は2割2分。「スタメンで出すな!」とスタンドから野次が飛ぶことが増えてきたが、監督は我慢してハイルズを起用しているのだろう。俺ももっと打てれば、ハイルズを早めに見切っていてもおかしくない。
打てないせいでハイルズの控えに回っている俺を励ましているつもりなのだろうか。そうだとしたら。なんとできた子どもなのだろうか。
「西村選手ももっとホームラン打てれば試合出れるのにね。サヨナラホームランとか打ったらそれはそれはレギュラーだよ。」
…再び前言撤回、これは選手に向かって直接言う言葉じゃない。やっぱり失礼なガキだ。俺が簡単にホームランを打てるならば、もうとっくにレギュラーを掴んでいるはずだ。
「その通りだな、もっと打てるように頑張るよ、ありがとう。」
俺はそう返した。握手をして帰ろうとしたとき、彼はボソッと呟いた。
「でも…もう一回西村選手のホームラン、見てみたいなぁ…」
俺は驚いた、さっき出会ったときの興奮したような姿と同一人物とはまるで思えない、元気がなく落ち込んだ男の子の声だった。顔を見るとさっきまでの輝いた瞳はどこか遠くへ行ってしまった。そういえばどうして彼は入院しているのだろうか。しかもベッドから出る気配は全くない。
俺の不安そうなその雰囲気を察したのか、彼は俺に自分の病気について話してくれた。俺は医学についてはよく分からないが、彼は小児がんの一種である骨肉腫のようだ。今度手術を受けるらしい。骨肉腫がかなり進行してしまっているので抗がん剤での治療は厳しい。手術でがんを取り除くようだが、がんの位置のせいでかなり難しい手術になるようだ。そして、万が一手術が失敗してしまったら……彼は足を切断しなければならなくなる。しかも最悪の場合は……そこから先は言われなくてもわかる気がした。
話を聞いていて、言葉が出てこなかった。無理して明るく振舞っていたのだろうか。野球が大好きなこの子が、ひょっとしたら野球を観に行くことすらできなくなる。
「だから…もし西村選手がホームラン打ったら、手術に向けて頑張れる気がするんだ。だって、憧れの西村選手が周りから『無理だ』と思われていることをしてくれるんだもの。僕は…西村選手なら絶対に打てると信じているよ。」
それは俺への励ましのように感じた。元気をあげるつもりが逆に元気をもらった、というのはこのことなのかもしれない。この子のためにホームランを打たなければならない。野球ゲームでパワーがFからAに伸びたような、打てるパワーを貰ったようにも思えた。
「手術までにホームラン、打ってくれるかな?」
「お前のためだ、絶対打ってやる。もし今日の試合で打てたらカッコイイな」
彼に対してニヤリと笑いかけた。彼ももとの笑顔を返してくれた。
プロ野球人生で初めて、「今日は絶対に打ってやる」と思った。
今日はナイターでの試合。相手はブルーカイツ。今季もぶっちぎりの強さを誇り、まだペナント序盤にも関わらず首位独走状態である。
ハイルズ選手は腰の張りを訴えて今日は欠場。ベンチも外れていた。代わりに俺が9番セカンドでスタメンに入った。
今日貰ったチャンス、活かせないと明日からまた守備要員に甘んじるだろう。途中交代なんてしたら「ホームランを打つ」という約束が果たせられない。そういうプレッシャーが力みにつながり、今日は三振と力のないショートフライ、ファーストゴロ。3打数無安打と全く結果を残せていない。
チームも2点のリードを許したまま終盤に入ったが、チームは攻撃の糸口は掴めないまま。相手は継投に入った。しかもブルーカイツのリリーフ陣、特に勝ちパターンを任されているピッチャー達はプロ野球界でナンバーワン。もう勝ち目は無いだろうとファンも諦めのムードが漂っていた。
しかし8回の裏、4番の中川が中継ぎエース・馬場からソロホームランを放って1点差に迫り、9回の裏に突入した。6番からの打順。ピッチャーは抑えのクリスティ。最速158km/hの直球と鋭く落ちるスプリット、そして大きく変化するドロップカーブのコンビネーションで抑えるブルーカイツの絶対的守護神である。しかも今季の失点はわずか1点のみ。
チームは代打攻勢に出た。自分の前まで3人連続で代打を出し、2人目の代打・益川はヒットで出塁。俺にも代打が出るだろうと思っていたが、益川を送った段階で控えが次の代打とキャッチャーしかいない。ダブルプレーにならない限り、俺に4度目の打席が回ってくる。
ヘルメットを被りネクストに向かう直前、監督から声を掛けられた。
「どんな状況でもサインは出さないから、打ってこい。」
ここまできたらヤマを張って打つしかない。「初球インコースのストレートで来るだろう」とネクストに立った俺は予測した。もちろん、根拠が無いわけではない。相手バッテリーは俺が力んで空振りするか、詰らせて内野ゴロを狙いたいのだろう。それを狙って1球で仕留める。もし違う球がきたら、しょうがない。
前の打者は三球三振に倒れ、俺に打席が回ってきた。ツーアウト一塁。ホームランで逆転サヨナラの場面。
ふとスタンドに目をやると、手に「西村」と書かれたタオルを持っている彼の姿が見えた気がした。全身の力みが抜けたように思えた。
初球はインコースのストレート。
そう念じていたら、本当にインコースにストレートがきた。しかも少し真ん中寄りに。
150km/hはゆうに超えていたが、その球威に負けないよう、思いっきり振り抜いた。
今までの野球人生で一番の感触だった。
レフト方向に打球がぐんぐん伸びていく。
聞いたことのない歓声がスタンドから沸き上がる。
打球を目で追いながら、ゆっくりと一塁方向へ走りはじめた。
9番セカンド西村 大谷 @ohtani_10
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