8

 すう、と、村木は肝が冷えるのを感じた。


「では、その写真が飯塚さんがもらった写真ということでしょうか」


 言われた竹下が振り向く。顔色が悪い。先ほどのインタビュー時とは別人だ。ふらふらと歩き、どうにか近くの椅子に音を立てて座る。


「おかしい」竹下が頭を抱えた。


「貴方が送られていないのなら、飯塚さんがその写真を送ったのではないでしょうか」村木が提案する。


 竹下が首を振った。


「彼女は、一人で山を下りたことはなかった。それに、あったんだよ。写真。死んじゃった時にその棚整理したんだけど、その時はあったんだ」


「…………ッ」


 村木は言葉を失った。


 竹下でも、飯塚でもないとすると、誰が村木に送ったというのだ。登場人物は三人しかいないというのに。


 バタン!


 突然の音に、二人がそちらへ集中する。ドアが閉まっていた。あのドアは九十度以上開くと固定されるようになっていて、強風でも吹かない限りは閉まりそうになかった。


 一瞬たじろいだが、村木がゆっくり近づき、ドアをノックする。返事は無い。ドアを慎重に開ける。鈍い音がした。外には誰もいなかった。村木と竹下が目を合わせる。


「動物、ですかね」

「たまにタヌキは出るけど」

「じゃあ、きっとそうでしょう」


 そう願うしかなく、竹下は反論しなかった。もう一度ドアを九十度で固定する。ドアを左右に振ってみても、勝手に閉まることはない。近くの枝を適当に拾ってドアストッパー代わりにしようと思ったが、止めておいた。


「まさか、彼女かな」

「まさか」


 つい、本音が漏れてしまった。タヌキで終わらせておけばよかったのに。ここで一人住んでいる彼でも、そういう類のものは歓迎しないらしい。村木も肯定したくなくて言葉を濁したが、封筒のことを考えると、それだろうとつい邪推してしまう。


「大丈夫ですか」


 本音のついでに、そんなことを言ってしまった。すぐに後悔する。竹下は口元を右側だけ歪ませた。


「何言ってんの」

「そうですね」


 自分でもおかしなことを言ったものだ。ともかく長居は無用。村木が下ろしていたリュックサックを背負う。


「では、そろそろ失礼させていただきます」

「うん」

「長居して申し訳ありませんでした」

「いいよ。暇だから」


 飯塚がいなくなった今、本当に言葉の通りなのだろう。一年前の生活に戻っただけでも、賑やかだった日々を知ったら、一人の部屋はきっととても広い。


「これはどうする?」


 竹下に写真をひらひら動かした。村木が首を振る。


「こちらは差し上げます。というより、元の持ち主にお返しするという形ですが。どうぞ、ご自由になさってください」


「そっか。飯塚さんのお墓にでもお供えしておくよ」

「それはいいですね」


 結局、誰がどうやって、飯塚の引き出しから村木の元へ写真を届けたのか分からなかった。村木と竹下が正解を知らなければ、もう調べようがない。


「常識的に考えて、飯塚さんが送ったとするのが妥当だな。写真がいつまであったのか分からないのであれば、飯塚さんが亡くなる寸前に持ち出したのを知らなくて、亡くなった後もあったと勘違いしたんだ。まさか写真が無いなんて思いもしないだろうから」


 それでも、飯塚に村木の自宅を知られていたのは少々気分が悪い。彼女はすでに故人だが、どこかで彼らに付けられていたということだ。全然気が付かなかった。竹下の様子でも、村木をどうこうする意思は感じられなかったのに。


──それとも、飯塚さんには何か考えが?


 村木に伝えたいことがあったのか、もしくは憎しみがあったか。何も出来ない村木は後者ではないことを祈るほかない。


 小屋のすぐ横にある墓の前に立つ。意外と落ち着いた気持ちで下を見つめることが出来た。しゃがみ、手を合わせる。他には何もしない。掘り起こして彼女を確認する作業を自分はしてはならないと思った。


「さて、と。帰ろう」


 行きと違い、帰りはほんの五分で山を出ることが出来た。回り道をして辿り着いた山小屋は、入り口から全く見えない。あそこに今も竹下は独りでいる。

 竹下にはああ言ってみたが、右手が埋まっている場所はどこだか分からなくなってしまった。あそこで飯塚に会い、追いかけて、その先に小屋があった。


 そういえば、有耶無耶になってしまったあの飯塚は結局なんだったのだろう。幻ではない。幻だったら、自分の頭を心配することになる。それくらい精巧で、人間らしく、本物だった。


「非現実的なこととは縁遠いはずだったんだけど」


 今回の事件で随分仲良くなってしまった。今後一切そういう機会と出会いたくない。彼らから離れればきっと大丈夫、村木は自分を無理矢理納得させた。


「……いちおう神社行ってみるか。いちおう」


──怖いわけではない、決して。


 両腕を擦る。こんな季節なのに鳥肌が出た。山が涼しかったからだ。自然が酸素を沢山運んできたからだ。村木は速足でその場から去った。

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