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心細くなる道をどれだけ進んだだろう。右も左も分からなくなり、同じ場所をぐるぐる回っている気にさえなった。道無き道をかき分けると、いつの間にか山の出口が近くなっていた。ここまで下りたら、今日は登り直す気にはなれない。
もう諦めよう、そう思っていたらいきなり山小屋が現れた。山小屋というより、山の麓にある民家と言うべきか。あちこち傷のある、草で覆われた壁の割に、入り口あたりは片付いている大き目の小屋だ。この様子なら、誰かが住んでいてもおかしくない。入山する時は気が付かなかったから、反対側に建っていたのだろう。
ここにきっと飯塚がいる。村木は手のひらを服で拭った。
じり、先ほどまでとは逆に、ゆっくり、ゆっくりと足音を立てないよう慎重に歩く。殺風景な山の一軒家。周りには人工的な物は何も無く、オブジェとも言えない小さな岩が置いてあるくらいだ。一周回っても、小屋の傍に人気は無い。
さて、どうしたものか。一介の編集者では、勝手にドアを開けることすら出来ない。これ以上の警察沙汰は勘弁だ。
──軽くノックして、出なかったら一度だけドアノブ捻ってみるか。
もし開いたとしても、入らなければ不法侵入にはならない。裏口は無さそうだから、ドアを固めておけば逃げられることもないはずだ。
相手は女子高生、こちらは敵ではない初対面。しかも、先ほどはあちらから声をかけてきている。いきなり襲いかかってくることは考えにくい。少し悩んで、落ちていた丈夫そうな枝を一本だけ広い、ドアの前に立った。
コン。
コンコン。
じっと待つ。返事は無い。
ここまでは予想通りだ。
右手をぎゅぅと握り込む。村木は左手でそっとドアノブを回した。
キィ。
──開いた!
予想とは反対に、ドアは軽い調子で開かれた。普段から鍵を掛けていないのかもしれない。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいますか」
万が一見知らぬ他人の家だったらまずい。こんな山奥に家を構えている人間だから、また違った問題を抱えていそうだ。そういえば、飯塚が住んでいたとしても、はたして一人で住んでいるだろうか。もしかしたら、高岡と逃げているのかも。不安に思っている間に答えが部屋の奥から返ってきた。
「ここは廃屋じゃないですよ。帰ってください」
男の声だった。少なくとも飯塚ではない。高岡だろうか。村木は高岡の声を知らない。しかし、はいそうですかと逃げ去るわけにはいかない。攻撃は最大の防御。こちらは自分自身の命がかかっているかもしれないのだ。まだあちらも村木かどうか分からないうちは手を出さないはず。
「あの、この辺りで女の子を見ませんでしたか。実は先ほど山道で声をかけられまして、一人だったら危ないんじゃないかと……はは、おせっかいでしたね」
部屋は明かりがついておらず、男の顔までは確認出来ない。
がたん。
男が椅子から立ち、こちらへ歩いてきた。段々、その様相が露になる。年は四十代程の、痩せこけた、顔色の悪い男だった。村木は僅かに頬を緩ませた。枝を後ろ手で放る。
──よかった。高岡じゃない。
まずは延命が決定した。元々の住人か。それなら、一年前のことも知っているかもしれない。男が首を傾げた。
「女の子なんて、ここにはいません。あんたの見間違いじゃないですか?」
「いいえ、見間違いはあり得ません。向こうから声をかけてきたんですから。どこかへ行ってしまいましたが」
「そんなはずないよ」
こちらが説明しても、男は否定するばかりだった。ただの住人が何故頑なに否定するのか。それはつまり、その女の子に心当たりがあるということだ。思った以上の収穫だ。きっと飯塚を見たことが、なんなら話したことがある可能性もある。ならば、次のカードを出すのみ。
「実は私、知り合いの子を探してまして。飯塚かえでさんと言うんですけど、その子にそっくりだったものだからつい。知らないなら結構です。失礼しました」
「飯塚かえで……?」
明らかに男の声色が変わった。ビンゴだ。男は女の子を、飯塚を知っている。飯塚が生きていること、さらには匿っている人間がいることにも驚いた。高岡以外に飯塚が懇意にする大人がいたなんて。警察が死亡と判断したあれをどうやって切り抜けたのだろう。高岡ではなかったからといって安心するのは早すぎた。
──いや、待てよ。俺は高岡の顔を写真一枚でしか知らない。となると、この人が高岡じゃないって理由にはならないぞ。
逃走中に整形して何年も逃げていた事件を何件か聞いたことがある。引っ込み思案だったらしい飯塚に犯罪の手助けをしてくれる大人が複数いたというより、高岡が整形をして助けていると考えた方が可能性は高い。
飯塚はどこかに隠れているのだろうか。一人が未成年の少女だったとしても、二対一では分が悪い。
「警察の人間?」
「警察じゃないです。知ってるってだけで」
「ふうん。ウソを吐いてるって感じはしないな。ね、やっぱ帰らなくていいよ」
急に機嫌が良くなった男に座るよう促される。高岡でないにせよ、まだ安心は出来ない。村木は数秒迷ったが、結局二脚あるうちの一つに腰を下ろした。男も合わせて座った。
よほど、飯塚の知り合いに興味を持ったのか。あまり詳しいことを聞かれるのは困る。知り合いと言ったのは方便で、こちらは一方的な情報しか持ち合わせていない。
「警察じゃないんなら、霊能者とか」
「なんでまた」
「だって。死んじゃったんだよ、飯塚さん。つい二、三日前かなぁ。おしかったね」
他人事のような言い回しに、村木は眩暈がした。やはり飯塚は死んでいたのか。しかし、それならば山道で出会った少女は誰なのか。
──今、二、三日前って言ったか!?
重要な部分にようやく気が付いた。説明の付かない恐怖が襲ってくるのを無視し、村木は言葉を続けた。
「私は飯塚さんの顔を知っています。右手が無いことも……先ほどの子に右手はありましたが、義手をしているかもしれません。他人の空似という方が難しい」
それを聞いた男が意地悪そうに口元を綻ばせた。
「なるほどね。本当に化けて出たのかも。でも、彼女の目的は達成されたんだから未練は無いはずだよ」
「目的、とは?」
「彼女のことを知ってるなら分かるんじゃない?」
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