☆事前準備

 この話はカクヨム用に新たに執筆しっぴつしたものです。


***


 3回も電話があった事で気味きみが悪いと思っていたが、冷静になって考えてみると「落し物を拾ってくれたお礼に現金を渡すのは失礼だから、せめて食事でお返ししたい」というのは不自然ではない。ワンチャン、義理堅い、すごくいい人という可能性もある。


 まぁ、それは会ってみればわかるだろう。


 まずは、カモ(金持ち)に見えるように高いスーツを買おう。実は前からパーソナルスタイリストという職業に興味を持っていた。もちろん、俺がスタイリストになりたいわけではない。


「それってもうかるのかな?」


 俺の率直な疑問だった。


 依頼者が持っている服や小物、アクセサリーをもちいてコーディネイトする。あるいはショッピングに同行して、コーディネイトを考えて買うものを選ぶ。そのアドバイスの対価たいかとしてコーディネイト料をもらう仕事らしい。個人でやっている方が多い印象だ。


 試しに男性で40歳代のスタイリストにメールを送ってみた。条件はこんな感じ。


1.お金持ちに見えるスーツ、小物の購入

2.一緒にお店に行って選んでもらう

3.購入予算は、制限なし

4.おすすめの店を教えて欲しい。


 すぐに返事が来たが、お薦めのお店が紳士服チェーン店だったので断った。予算は無制限と書いたが信用されなかったのかな。


 2人目は60歳過ぎの男性。お薦めの店はオーダースーツ店。ネクタイ、靴、鞄、財布、腕時計なども、それぞれの店が書いてあった。これは期待できそうだ。早速依頼した。料金は3万円。


 週末に銀座で待ち合わせをした。会ってみるとおじいさんだが背筋はしっかりしていた。この人は紳士しんし服店で長年、働いていて、定年退職後、小遣こづかかせぎでスタイリストをやっているそうだ。


「実は俺、こう見えても小金持ちなんです。ただの成金と思っていただければ。近々、所謂いわゆるセレブの人と会うんですが、最低限、バカにされない格好かっこうをしたいんですよ」


 このスタイリストさんには本名を教えてない。メールアドレスもフリーで、電話番号もサブスマホだ。だから金持ちという話をしても問題はないだろう。


「私の今までの経験ですと、資産家の方は、いつでも好きな物を買えます。そうすると、いろいろ試された結果、最終的に自分の好み、使いやすさ、デザイン、機能性などを重視する事に落ち着くようです。また、ブランド物や派手な物はけられる傾向がありますね」


「なるほど」


「お会いになられるのが、どのようなかたか存じませんが、私の意見としてはブランド物は避けて、スーツは地味目で時計と靴で資産家を演出されてはいかがでしょうか」


「すべてお任せします」


「それは選び甲斐がいがありますね。予算は本当に無制限でいいのですか?」


「取りえず、300万円用意しています。足りなければ、ATMでおろします」


「それは、腕が鳴りますね」


 まず、オーダースーツ店で見た目は少し地味じみ生地きじを選んでもらった。はたから見れば、年の若いおじいちゃんと大きな孫に見えるだろう。


 採寸さいすんして、スタイルはブリテッシュを選んだ。せっかくなので2着仕立ててもらう事にして、一着だけ特急でお願いした。シャツも今回は間に合わないが、ついでにお願いした。全部で約90万円だった。銀座のこの店では、これでも安い方らしい。


「紳士服チェーン店の19800円のスーツと、ここで仕立てる物は、やはり違いますか?」


 分からないので、俺は正直に聞いた。


「お若い方だとお気にされないかもしれませんが、生地も仕立ても天と地ほど違います。私など、見ればすぐに分かりますね。19800円のスーツは洗濯機で洗えるので、それはそれで便利だと思いますが」


 次に、デパートに行って、シャツ、ネクタイ、ネクタイピン、カフスボタンを買った。すべて見た目を重視した。靴の専門店では10万円を超える靴を買った。俺にはスーツより、靴の方が高く感じられた。


「実は、私、時計にはくわしくないのです。だから知り合いにお店を教えてもらいました」


 スタイリストさんは正直に話してくれた。こういう人は信用できる。一緒に専門店に行って、店員からいろいろ教えてもらった。


「言い忘れていましたが、高級腕時計をレンタルしてくれる店もあるそうです。ただ、審査しんさがあるそうで、今回は間に合うかどうか」


御不用ごふようになりましたら、うちで高価買取しますので安心してご購入ください」


 2人の会話を聞いた店員さんがあわてて言ってきた。そんなの買い叩かれるに決まっている。


「祖父の形見かたみという設定で、アンティークで高そうに見えるものを選ぶと言うのはどうでしょうか」


 店員さんが少し離れたすきに、俺はスタイリストさんに提案してみた。この店はアンティークや中古の物もあつかってる。ちなみに俺の祖父は、2人とも健在だ。


「常に使われるので無ければ、それもいいですね。おじい様には申し訳ありませんが」と、コーディネーターさんは笑った。


 スマホがあるので、俺は腕時計を使わない派だ。むしろ懐中時計に興味がある。結局、少し古い、いかにも高そうな時計を買った。


 いい人に出会えたと思ったので、スタイリストさんには少し多めの5万円を渡した。


「次回、買う物があれば、またお願いします」


「リピーターがつくのが一番、うれしいです」


 彼とは、そこで別れた。


***


 俺は、前に依頼した事のある尾行びこう調査の得意な興信所へ予約を取って出かけた。家庭教師の時とは別の所だ。今回の財布を落とした女性の話をして、当日、万が一に備えて、俺のガードと、相手と別れた後、尾行する事をお願いした。相手が1人で来るとは限らないので万全ばんぜん態勢たいせいを希望した。


○○おれさん、それはちょっと悪趣味ですよ。何もトラブルにみずから突っ込まなくても。うちはお金さえいただければ受けますが、○○さんに危険があっても責任は取れませんからね」


 50代の所長はあきれていた。


「まぁ、俺もいろいろ経験したい年頃なんで」


「・・・」


 何だかんだ言っていたが、仕事は受けてくれた。調査員フル動員の一晩ひとばんで7桁の仕事だ。文句は言わせない。最終的に、尾行が成功したら、身辺調査もしてもらう。俺が使う盗撮用の道具も貸してもらった。


 また、興信所と話をしてサインを決めた。俺が右手を高く上げたら助けを求める合図だ。仮になぐられても、このサインがなければ助けは必要ない。ただし、拘束こうそくされるような場合は、その限りでなく臨機応変りんきおうへんに対応をお願いした。


 これで財布を落とした女性がただのいい人だったら、笑い話にもならない。


***


 例の女性からメールが届いた。お店を予約したそうで住所が書いてあった。俺は、興信所に店の場所を連絡した。


 興信所は、すぐにお店を調べて、女性の予約席の近くに席を予約をしたそうだ。


「それって、どうやったら予約できたんですか?」


「業務上の秘密なんですけど、まぁ、いいかな。うちのスタッフがお店に行って、自分達は民間のSPだと名乗って、女性の相手(俺)が実はVIPで、警護が必要だから近くに席を取ってくれとお願いしたんですよ」


「VIPって・・・」


「一晩に100万以上払う人は、うち(興信所)のVIPでしょ。嘘は言ってません。それから、うちでは、スタッフをサービスパートナーと呼んでいます。SPですよね」


「さすがに、そのSPは無理があるんじゃないかな。でも、相手にさとられる可能性はないですか?」


「そこも調査済みです。女性と店との間に関係はありません。ただの客です。店のオーナーに聞きました。その上で、内密にと10万円渡してあります。これは後で必要経費として請求せいきゅうしますね」


「・・・」


 こうして、すべての準備は整った。




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