★元旦那への対応

 住民基本台帳法の改正で、今は別れた旦那さんが、元奥さんの住民票の徐票を特別な理由(借金とか)がない限り請求できません。ただし、子供のものは請求できます。作者不明のネット小説や動画でよく見かける住民票のブロックですが、平成に書かれたものが多いらしいです。


※1 示談じだん 話し合いでの解決


※2 成功報酬ほうしゅう 弁護士さんが依頼を達成した時に貰うお金。例えば、慰謝料の何パーセントなど。


***


主人公  大学1年生

エリさん 大人のお店の人


***


 エリさんとホテルで会った2日後に電話があった。


「あの後、いろいろ考えたのですが、子供のためにも弁護士さんに一度、相談したいと思いました。御迷惑でなければ、弁護士さんをご紹介いただけないでしょうか」


「お安いご用です。でも、弁護士先生にお願いする前に考えてほしい事があります。元旦那さんや元義母さんも、あなたに負い目がある事がわかっているので、今まで全く接触してこないのだと思います。むしろ、このまま会わずに、関係が自然消滅すればいいと思っているでしょうね」


「はい」


「でも、弁護士先生に依頼すると、相手に連絡が行きます。そうするとあせった相手がエリさん達に接触してくる可能性があります。弁護士さんは、エリさんと直接交渉しないよう、元旦那さんに言えます。ドラマとかでよくある、弁護士を通してください、っていうやつですね。こういうのは、会ってもろくな事がないので、会わずに弁護士さんにお任せして終わらせるのがベストなのです。しかし、当事者でない人、例えば、元義母さんやご親戚が、マリちゃんに会いたいと訪ねてきたら、ややこしいことになります」


「確かに、それはちょっと・・・」


「そのための自衛手段が必要かもしれません。元義母さんは、今の住所を知っておられますか?」


「たぶん、知らないと思います」


「ちなみに役所でお子さんの住民票をブロックされていますか?」


「ブロックってなんです?」


「DV加害者である親に、引っ越しした子供の住民票の写しを交付しない制度です」


「それは、していないです」


「一応、今の住所は知られていると思った方がいいですね。ちなみに旦那さんのご実家や勤務先は、エリさんのお住まいから近いですか?」


「どちらも離れています」


「弁護士先生に相談されるのなら、一度、この辺りも聞かれたらいいと思います。早く、決着がつけばいいんですが、それまでは自衛じえいすることも必要です。なにしろDV野郎ですからね」


「住民票の件も、一度、先生に相談してみます。でもDVの事を考えると、ちょっと怖くなってきました。無理して再度、元旦那と関わりを持たず、何もしない方がいいのかなとか思ってしまいます」


「最終的には、エリさんが決められる事ですから、俺はその判断を尊重します。ただ、元旦那さんから慰謝料や養育費をもらわないと、生活が安定しませんよね。俺としては、弁護士先生に依頼される事をお勧めします」


「確かに、お金のこともありました」


「その弁護士先生なんですが、イメージとしては、相談に行ったら、向こうで全部、動いてくれて、何でも解決してくれるって思うかもしれませんが、実はそうじゃないんです。弁護士さんをうまく使うには、事前にこちらで証拠とかいろいろ準備してから行った方がいいんです。出来れば、エリさんにはいくつか、やってもらいたい事があります」


「私に出来る事?」


「まず、元旦那さんから暴力を受けた時に病院に行った事があると言っていましたよね。その病院で診断書をもらってきてください」


「え。1年以上前の診断書でも書いてもらえるの?」


「大丈夫です。もし病院にゴネられたら、弁護士先生に動いてもらえばいいでしょう」


「わかりました。行ってみます」


「2つ目は、ちょっと嫌かもしれませんが、元旦那さんの近況を知るために興信所に元旦那さんの身元調査を依頼しましょう。引っ越している可能性もありますしね。住所だけなら弁護士先生でも出来なくもないんですが、勤務先とかも変わっているかもしれませんし、相手の情報をつかんでおくことは、戦いの基本です」


「でも、興信所ってお高いんでしょ?」


「元旦那さんとの交渉次第ですが、弁護士費用などは、向こうから貰うこともできると思います。とりあえず、私が立て替えますから、今は、お金より、エリさんやマリちゃんの安全の方を優先しましょう。もし、元旦那さんが、実は引っ越していて、エリさんの近所に住んでいるなんて事になると、大変ですからね」


「はい」


「3つ目なんですが、元の勤務先でエリさんと仲の良かった女性のかたと連絡は取れますか?」


「離婚してから疎遠そえんになっていますが、スマホの番号が変わってなければ、連絡は取れると思います」


「それでしたら、元旦那さんが今も勤務しているかどうかと、離婚の理由を元旦那さんがなんて言っているかを、さりげなく聞いてもらえませんか。エリさんの事も聞かれると思いますが、そこは、いろいろあって今は話せないけど、落ち着いたら連絡する、とかで、誤魔化(ごまか)してください。ポイントは、こっちの情報は言わず、あちらの情報を聞き出す事です。できますか?」


「仲のよい友達だったので、たぶん、大丈夫だと思います」


「4つ目は」


「まだあるんですか?」


「はい。結婚されていた時、生活費はどうされていました? 家計の財布どちらの管理だったかという事をお聞きおきしたいのですか?」


「元主人の給料が出ると、私に家計費として、20万円を現金で渡されていました。そこから、家賃を振り込んで、水道光熱費の引き落としの通帳に5万円入れて、残りは食費や雑費でした」


「元旦那さんはかせいでおられたのですね。ちなみに光熱費引き落としの通帳は、旦那さん名義ですか?」


「はい」


「その通帳は、さすがに残ってないですよね?」


「離婚の頃に、ちょうど通帳がいっぱいになって、新しい通帳に更新したのですが、新しいものは元義母に渡しました。でも、古いものは、探せば、私の所にあると思います」


「すばらしい。ちなみに、元旦那さんが生活費をくれなくなってからは、どうしていましたか?」


「自分の貯金から、毎月20万円引き出して生活費にしていました」


「改めて聞くと、ひどい話ですね。元旦那さんに生活費を請求しなかったのですか?」


「DVの事もあったし、言えませんでした。その時は無事にマリちゃんを生む事しか考えてなかったので」


「エリさんの貯金が入っていた通帳は残っていますか?」


「私の名義なのであります」


「そうすると、エリさんがご自分の通帳から、お金をおろした日と家賃を振り込んだ日や生活口座に入金した日は同じですよね?」


「はい。お金をおろした日に、ATMで家賃を振り込んで、入金してましたから」


「家賃振込の控えは残っていますか?」


「ATMの控えはないですが、振込手数料を安くするのに、生活費の通帳に入金してから振り込んでいましたので、通帳に記録は残っています」


「エクセレント。急ぎではありませんが、2つの通帳をコンビニでコピーして下さい。念のため、口座番号のあるページも含めて全ページ。それから、元旦那さんが生活費をくれなくなってから、何月何日に自分の貯金から20万出して、それをどう使ったか、子供のお小遣帳のような簡単な感じでいいので、表計算ソフトでまとめてくれませんか。食費、雑費は1千円単位の大まかでいいので」


「わかりました。作っておきます」


「事前準備は、以上、4つですね。興信所は、お友達からの情報を聞いてからにしましょう」


***


 エリさんから電話で、事前準備の報告があった。


 まず、医者に行ったところ、診断書どころか、当時のあざの写真なども準備してくれたそうだ。


 エリさん自身、忘れていたそうだが、当時、医師や看護師が親身になってくれて、DVなので、病院から警察に報告してもいいか、と聞かれたそうだ。


 エリさんは、妊娠中で出産に集中したいこと。義母も交えて別居の話し合いをする予定のある事。警察がからむと逆上した夫がさらにDVしてくる可能性がある事などを理由に、医師に警察への報告はしないようにお願いしたそうだ。


 この辺りは俺もよくわからなかったので調べてみたら、大人のDV被害者については、緊急性がない限り、医師に報告の義務はなく、本人の意思を尊重するらしい。その場合でも、支援の窓口などを案内したり、証拠の確保もしてくれる場合もあるそうだ。ネット情報なので、もしかしたら、病院や地域によって対応が違うのかもしれない。


 また、エリさんの友達とも連絡が取れたそうだ。元旦那さんは昨年の8月ごろ、つまり、エリさんと離婚してからしばらくして退職したらしい。


 退職理由は、一身上いっしんじょうの都合だが、周囲には、妻の浮気で離婚した。ショックから立ち直れないと言っていたそうで、有給を取りまくってから辞めたそうだ。なんだそりゃ。DV男で虚言癖きょげんへきとは救いようがない。


 ただ、示談じだん(※1)するなら今後の交渉材料にはなる。


 友人からの情報も得たので、次の週末にエリさんと一緒に興信所に行く事にした。俺がマンションを買う時の住民調査でお世話になった、女性調査員の多い興信所だ。


 興信所は、弁護士事務所のように、平日しかやっていないという事はない。客商売だからか、土日もやっている。


***


 土曜日に、エリさんと2人で興信所へ行った。


「俺さん、仕事をいただけるのはありがたいのですが、その若さで短期間に何回も興信所に来るのは、どうなんですかね。巻き込まれ体質ですか?」


 興信所の所長に、そう笑われた。どうも所長は、客であっても、一言ひとこと、言わないと気が済まないタイプのようだ。


「何、言っているんですか。今日は、わざわざ、お客様を紹介しに来たんですよ。お礼を言ってほしいくらいです」


「はいはい。いつもありがとうございます」


「・・・。えーと、こちらは○○エリさん。俺の親戚です」


「(親戚ねー)」


 所長がボソっと言ったのを俺は聞き逃さなかった。しかし、そこはプロ。それ以上、余計な事は言わなかった。


「はじめまして。○○エリです」


「はじめまして。所長の○○です」


「えーと、簡単に言うと、別れた元旦那さんを訴える予定なので、事前に身辺調査をお願いしたいという事です」と、エリさんの代わりに俺が言った。


「○○先生には、もう依頼したの?」


「いや、依頼前の事前調査です。ちょっと気になる事もあるので」


 俺は、所長にだけ見えるように、小指を立てた。


「わかりました。そうしましたら、依頼者のエリさんから詳しいお話を伺いたいのですが、とはいえ、話しにくい事もあるかもしれません。しばらくの間、席をはずしていただいてもよろしいですか」と、親戚を強調して、所長は俺に言った。


 俺はエリさんをチラッと見ると、うなづいたので外に出た。長椅子のある待合スペースのようなところで、待っていると、20分ほどで、エリさんと所長は出てきた。


○○エリ様にもお話したのですが、いつもなら1週間で調査が完了するのですが、今回は少し時間がかかるかもしれません。それはご了解ください」と所長は言った。


「元旦那さんの住所と勤務先だけでも、分かり次第、エリさんに教えてもらう事は出来ますか。DVへきがある男なので、もし近所だったりしたら早急に対策が必要ですから」


「わかりました。分かり次第、○○エリ様にご連絡します」


***


 興信所からの中間報告があったとエリさんから連絡があった。まず、元旦那の現住所、勤務先は、エリさんの近所ではなかった。これは安心材料だ。


 それと、元旦那は、離婚後、結婚している事がわかった。


 また、今の奥さんと元旦那との間に子供がいて、もしかしたら、エリさんの離婚前に妊娠した子である可能性がある。そのため、奥さんや子供について追加調査(別料金)をするかどうか聞かれているそうだ。


「ここまできたら、後々、後悔しないように、わかる事は全部、調べてもらうか、余計な新事実を知りたくないのならいっその事、元旦那には、今後一切かかわらないで生きていく方法もあります。申し訳ないけど、最終的に選択するのは、エリさん自身だから」としか俺は言う事ができなかった。


 エリさんには、どんな選択肢をしたら、どうなるかという事をメリット、デメリットを、俺のわかる範囲で書いたレポートを渡している。


 最近、ちょっとエリさんが情緒不安定なような気がする。なんか、俺も元旦那さんの事を急かし過ぎたのかもしれない。


***


 エリさんは、いろいろ悩んだようだが、俺の顧問弁護士でもある、父弁護士先生に依頼したそうだ。最初に相談して、その後、依頼する事になったそうだ。着手金ちゃくしゅきんは貯金から出したと言っていた。


「向こうに会わずに、全部、先生が対応してくださるそうなので、お願いしました」とエリさんは言っていた。


 そうだよな、DV旦那には会いたくないだろう。弁護士先生に依頼したのであれば、俺がこの件に関わる事はもうない。話が進んでよかったと思った。


「いろいろ、ありがとうございました」


***


 後日、エリさんから聞いた話だが、父弁護士先生がうまくやってくれて、相場以上の慰謝料と養育費を貰う事で示談じだんしたそうだ。


 養育費については、分割だが弁護士事務所を通す事になっている。エリさんがDV旦那と直接、連絡する事はない。一括で貰うと税金がかかる場合があるので、それはそれでよかったのかもしれない。


 ただ、その分、父弁護士先生の取り分が必要となる。それでも事情を考慮して、成功報酬ほうしゅう(※2)は安くなっているらしい。


怪我けがの診断書を出して刑事事件も視野に入れていると言ったら、先方せんぽうは、弁護士を雇うことはせず、減額要求しか、してきませんでした。おそらく、支払義務のある事をわかっていたのでしょう。こちらが何も言わなければ、もうけものと思っていたのではないでしょうか」


「弁護士先生がそう言っていた」と、エリさんがこっそり教えてくれた。



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