第6話 二人暮らし
☆
「焼き肉ご馳走様」
「お昼ご飯も払ってもらったし、今日はすごく助かったから、こんなお礼じゃ少ないくらいだよ」
「もうお礼とかいいからな。小次郎爺ちゃんには、俺も世話になってる身だからさ」
「うん」
車を走らせ、我が家に着くと、ホッとする。
家の中に入って居間の電気を付けて、台所に行くと、テーブルにはカピカピになったひやむぎがお皿に載っている。
「片付けが残っているね」
「俺が片付けるから、花菜さん、お風呂に入って来なよ」
「でも、お昼作ったのわたしだし」
「焼き肉ご馳走してもらったお礼じゃ駄目かな?」
爽やかに笑う大地君の優しさに甘えて、わたしは「それじゃ、お願い」と言って、部屋に着替えを取りに行く。
シャワーを浴びて、パジャマを着ると肩にタオルを載せて、長い髪を梳かして、部屋から持ってきた化粧品を顔に塗る。
「大地君、お先に」
大地君はもう片付けを終えて、居間でテレビを観ていた。
「おう」
テレビを消して、大地君は着替えを取りに部屋に行く。わたしも部屋にいったん戻っていく。
「すっぴんの花菜さんが拝めるなんて、俺ってすごく得している感じ」
「恥ずかしいよ」
「会社でお化粧している姿より、すっぴんでいる方が美人だよ」
「茶化さないでよ」
顔が熱くなる。
美人なんて言葉、ずっと聞いていない。
「花菜さん、入社したときから美人で有名だったんだよ」
「そんなことないよ」
襖を開けて、わたしは庭側の部屋に入り、大地君はわたしの反対側の襖を開けた。
「ドライヤー、洗面所でかけていいよ。面倒だろう?」
「時間がかかるから」
わたしは襖を閉めた。
縁側に出て、カーテンが閉まっているか確かめ、障子を閉めた。
小さな簡易テーブルに鏡を置いて、ドライヤーのコンセントを差し込み、わたしは長い髪を乾かす。
武史が長い髪を好んでいたから、ずっと髪を伸ばしていた。
4年間分伸びた髪は、長すぎる。
別れたのなら、短く切ってみようかな?
でも、なんだか失恋しましたってアピールしているみたいで、それにも抵抗がある。それなら、4年分切ってしまおうか?
出会う前のわたしになって、武史に見てもらいたい。
『君、美人だな。俺、すごくラッキーかも。こんな美人を指導できるなんて』
顔合わせの時、武史が初めて話した言葉だ。
同棲は、すぐに始まった。
新入者歓迎会でお酒を飲みに行った勢いで、そのまま家に送られて、一夜を明かし、そのまま武史は、わたしのマンションに住み続けた。
わたしの新生活が始まったと同時に、同棲が始まった。
ドライヤーを止めて、櫛で梳かす。
明日、切って来ようかな?
面会時間は午後からだし・・・・・・。
ドライヤーを片付けて、鏡もテーブルも片付けてしまう。
押し入れから布団を出し、部屋に敷いておく。
お茶を飲みに、台所に行くと大地君がテレビを観ながら、ビールを飲んでいた。
「花菜さんもどう?」
ビールの缶を持ち上げて、微笑む。
「じゃ、わたしも飲もうかな」
冷蔵庫の中には、ビールの他にもカクテルも入っている。
わたしはオレンジのカクテルを持って、居間に座った。
「花菜さんはビールよりカクテル派?」
「付き合いでビールを飲むこともあるけど、ビールはわたしには苦く感じて、本当は好きじゃないの」
「カクテルも色々あるから、今度、買い物に行ったら選んでみるといいよ」
「そうだね」
甘いカクテルを飲んでいると、大地君がわたしの髪に触れた。
「仕事場では、いつも頭の上でお団子作っているけど、こんなに長かったんだね」
「長すぎるから、切ってこようかなと思ってるの」
「切っちゃうの?」
「乾かすのに時間がかかりすぎるし、美容院も4年行ってないから・・・・・・。気分も変わるかなと思って」
「俺、花菜さんと暮らすようになって、花菜さんの素顔を見て、いいなって思ったんだ。美人でバリバリに仕事のできる花菜さんは、格好いいけど、こんなに可愛い人なんだと思えて」
「大地君、酔ってる?」
大地君はわたしの髪を指で梳いている。
「酔ってるかな?」
居間の机の上には、ビールの空き缶が2本載っている。
「髪、そんなに切らないで。こんなに長くて綺麗な髪、初めて見たんだ。今、すごく得した気分なんだ」
「長い髪好きなの?」
「考えたこともなかった。ただ花菜さんに似合ってると思って」
「似合ってるかな?」
自分でも髪に触れてみる。
腰まである髪は、確かに珍しいだろう。
「サラサラで手入れも大変なんだろうな?」
「・・・・・・そうね」
ビールを飲み干して、大地君は畳の上に横になった。
「寝ちゃったかな?」
わたしはカクテルを飲み干して、空き缶を袋に詰める。
洗面所に行ってバスタオルを持ってくると、お腹が冷えないように大地君のお腹の上にかけた。
暑いから風邪を引くことはないだろう。
居間のテレビと電気を消した。
洗濯機が止まっていたから、縁側に干しに行く。
夕方に帰って来られないから、外には干さない。
お爺ちゃんが、気を遣って洗濯物を入れたりしないように、大地君が配慮をしたのだろう。
わたしの部屋の縁側には簡易の物干しが置かれている。
三人分の洗濯物を干して、明日、お爺ちゃんのところへ持って行くタオルを袋に詰める。しばらくはオムツになるらしい。介護用品を買いにも行かなくてはならない。
やはり明日、髪を切る時間はなさそうだ。
大地君が気に入ってくれているなら、しばらくこのままでもいいかな?
☆
朝、いいにおいで目を覚ました。
お味噌汁の香りは、懐かしい朝の香りだ。
着替えて、台所に行くと、「おはよう」と爽やかな大地君の笑顔がわたしを出迎えた。
「おはよう」
「昨晩は、居間で寝落ちた。タオルありがとう」
「風邪、引かないようにね」
「寒い季節は気をつけるよ」
「畳の上で寝ると、体、痛くならない?」
「痛いかな?」
「これからは、起こすわね」
大地君は苦笑を零した。
台所のテーブルの上には、焼き魚と卵焼きにトマトが添えられ、茄子の煮物が置かれている。
お味噌汁を付けて、ご飯よそう。
わたしが小食なのを覚えてくれていて、ご飯は少なめになっている。
「午前中に、買い物を済ませようか?小次郎爺ちゃんの色々、買わなくちゃ。俺たちの1週間分の食べ物も買わないといけないし」
「大地君には迷惑をかけてばかりね」
「小次郎爺ちゃんの財布を持って行ってくれる?俺が持つより身内の方がいいと思うし、銀行の貯金通帳の場所と暗証番号も教えるから」
「お爺ちゃん、大地君のこと、すごく信頼していたのね?」
「もしもの時に頼むと言われてたんだ」
「だからって、もしもの時をわざわざ作らなくてもいいのに」
ため息が漏れてしまう。
大地君のお味噌汁は、白味噌で甘い。
「大地君は、関西の人?」
「うん。生まれは関西。小学の時、千葉に越してきたんだけど、千葉から通うと通勤時間と費用がかかるから、職場の近くに住みたくて」
「兄弟はいるの?」
「兄が二人いるけど、二人とも、もう結婚して家を出ている」
「そっか。男ばかりなのね」
「花菜さんは?」
「わたしは一人っ子よ。父はわたしが3歳の時、事故で他界しているの。母はイラストレーターをしているの。職場には時々出かけるけど、いつもは自宅で作業をしているのよ。子供の頃から、母が職場に行くときは、この家に預けられていたわ。今回は職場に出かけているときで、運が悪かったわね。職場に出かけると最低2週間は戻らないの」
「特殊な仕事をしているんだな?俺ん家の両親は、もう退職して畑仕事をしているよ」
「そうなんだ?」
「ここに野菜とか色々を送ってもらっているんだ。ルームシェアだって話したら、多めに送ってくれて、助かっている」
「それで食費があまりかからないの?」
「それもあるけど、小太郎爺ちゃんも食べる量が少なくて、野菜が余り気味になってくるほどだよ」
「そうなんだ?」
「よかったら、お弁当、持って行く?前日の残り物や簡単な物しか入ってないけど」
「いいの?」
「俺の作っているから、ついで。花菜さんも小食だし」
「それならお願いしようかな」
「残り物が出なくて助かる」
優しさが嬉しい。
「お店が開く10時頃に行こうか?」
「準備しておく」
冷蔵庫の中からお茶を持ってきて、それぞれのカップに注ぐ。
「ありがとう。花菜さん」
「私の方がありがとうだよ。今日も朝食、すごく美味しい」
「俺、褒められると伸びるタイプなんだ」
二人で顔を見合わせ笑い合う。
☆
大型スーパーで、まず祖父のいる物を準備することにした。
仕事があるから、そうそう買い物に出られないから、少し多めに買っていく。介護用品売り場が充実していて助かった。もらったリストの物は、すべて買えた。
それをいったん車に運び、次に家の雑貨を買っていく。トイレットペーパーやティッシュペーパー。不足したタオルも追加した。わたしのお弁当箱は小さな物が売っていたので、それにした。二段に分かれていて、通勤鞄の中にも入る大きさだ。水筒も買った。新生活が始まるようでワクワクする。会計を済ませると、大地君がカートの中に入れてくれる。またいったん車に荷物を運び、三度、スーパーの中に入っていく。
食料品売り場では、大地君が食料を選別している。1週間のメニューが頭の中に入っているのだろう。
「花菜さん、お肉入れてみようか?小次郎爺ちゃんいないし」
「うん。お肉も入れよう」
大地君は嬉しそうにお肉売り場でスマホ片手に考えている。スマホを覗くと、レシピが載っている。
なるほど!
スマホの料理レシピアプリか・・・・・・。
わたしにも作れるかもしれない。
普段使わないパスタもカゴに入っている。
お爺ちゃん仕様の料理ではなくなるのね。
なんだか楽しみになってきた。
「朝はお味噌汁がいい?」
「どちらでもいいよ。だって、わたし外食と朝食はトーストだったし」
「じゃ、やっぱりお味噌汁がいいかな?花菜さん痩せすぎだし」
わたしは自分の体を見下ろした。
太ってはいないけれど、それほど痩せているとも思えない。
「お酒も買っていこう」
「うん」
大地君はビールを箱ごとカートに置いた。
わたしはカクテルを見て歩いた。
大地君が言ったように、いろんな味が出ている。
美味しそうな物を2本選んでカゴに入れると、大地君が、追加であと2本買った。
「遠慮しなくてもいいんだよ?」
「毎日、飲む習慣はないのよ?」
「3%のアルコールは、お酒の内に入らないから」
その3%のお酒を飲んで運転したら、飲酒運転になってしまうけれどね。
食料品はカゴいっぱい買った。
慣れているのか、買い物袋を準備していて、レジで袋に入れてもらう。
いったん家に戻ると、大地君は食材を片付けてしまう。
わたしは空いた押し入れにトイレットペーパーとティッシュペーパーを片付けると、買ってきたタオルをばらして、洗濯カゴの中に入れていく。
新品のタオルは吸収しづらいので、いったん洗って使った方がいい。
お弁当箱や水筒はシールを剥がして、洗えるようにした。
大地君は冷蔵庫の片付けが終わると、パスタを茹でている。
その間に、病院に持っていく物を玄関に運んでおく。ふと思い出して、祖母の写真と置き時計を入れた。寝ている時間は、きっと長く感じるだろう。メモとペンも入れておく。気分転換に俳句でも書けるだろう。
準備を整えて、台所に行くと、トマトベースのパスタができていた。
「わぁ、美味しそう」
「ちょっとピリッとした味付けにしてある」
わたしはテーブルの前に座った。
既に互いのマグカップには、お茶も入っている。
ふたりで「いただきます」をすると、食べ始めた。
「あ、美味しい」
「美味しいな。もう少し辛くしても良さそう?」
「うん。これは何で辛くしているの?」
「鷹の爪」
「赤い奴?」
「そうそう、赤い奴だ」
トマトソースが美味しい。トマトをふんだんに使っているのだろう。
「麺も生麺だね」
「わずかに高めだけど、二人で食べるなら、そんなに値段は変わらないだろう?」
もちもちして麺も美味しい。
トマトソースも綺麗に食べて、ご馳走様をした。
ティッシュペーパーで、口元を拭う。
「ひやむぎより、お腹に溜まるかな?」
「お店で食べるような味だった」
「すごい褒め言葉だ」
大地君が照れている。
「片付けはしておくから、洗濯物を片付けてきたら?もう乾いてると思うよ」
「じゃ、お願いします」
そうだよね。
病院から帰ってきたら、きっと時間も遅くなるし、疲れているだろう。
干した物を取って、わたしの部屋の畳の上に置いた。
板の間に座るより痛くはないから、洗濯物を畳むと時は、わたしの部屋でしている。
タオルとお爺ちゃんの洋服と、大地君の洋服と下着。
同棲していたからか、男性の下着を見ても恥ずかしいとは思わなかった。
綺麗に畳んで、自分の物はすぐに片付ける。
大地君の物は、いったん居間に置く。
お爺ちゃんの物はお爺ちゃんの部屋の箪笥にしまう。
後は、タオルを片付ける。
「花菜さん、ありがとう」
大地君が居間に置かれた洗濯物を持って部屋に戻っていく。
わたしはそのまま洗面所で歯磨きして、口をさっぱりさせると、部屋に戻ってメイクを直す。仕事ではないので、素肌に近いほど薄化粧だ。髪も二つで分けた髪を三つ編みにして、頭の後ろで、クロスさせて、バレッタで留めている。
お爺ちゃんのお財布にも現金を補充して、レシートは取っておく。
鞄の中身を確認していると、襖をノックされた。
「そろそろ病院に行くか?」
「はーい」
急いで鞄を持ち、襖を開けた。
大地君はシャワーを浴びてきたのか、髪がまだ湿っている。
洋服も替わっている。
お洒落なシャツにスラックスをはいている。
病院に行くだけだから、もっとラフでいいのに・・・・・・。
「今日もお願いします」
「俺も心配してんだよ」
「本当に心配よね。寝たきりになってしまったら、大変だもの」
玄関に置いた荷物を大地君が、持ってくれる。
「まだ目覚めた顔を見てないからな」
「そうね」
玄関の鍵をかけると、大地君が歩き出した。
待っててくれていたの?
さりげない優しさが嬉しい。
☆
「炊飯器、セットしてきた。今夜は手巻き寿司にしようぜ」
「お刺身は、お寿司のためだったのね」
「毎日、外食は駄目だ。花菜ちゃんの事だから、今夜も奢ると言いかねないからね」
「面倒をかけているんだもの」
「小次郎爺ちゃんは、俺の友人で、俺の大家さんだからな」
わたしは自然に微笑みが出た。
「ありがとう」
「お互い様だって」
☆
病院に到着すると、大地君は病院から入院用の荷物入れのカートを借りてきた。
「ここへ入れていこう」
「うん」
車の中から、オムツや色々介護用品を入れる。オムツは意外と重い。家から持ってきた物も一緒に入れて、大地君は車をロックした。
「さて、行こうか」
当然のようにカートを押してくれる。
病院の救急案内で、病室の確認をする。悪化していなければ病室は変わっているはずだ。
平日なら総合案内になるだろうが、今日は日曜日だから。
「599号室になります」
「ありがとうございます」
受付の女性にお礼を言って、エレベーターホールへと歩いて行く。
☆
「よう来てくれたの」
「お爺ちゃん」
「小次郎爺ちゃん、大丈夫なの?」
「まだ痛むが、仕方があるまい。まさか椅子から落ちるのは、耄碌したのう」
「お爺ちゃん、もう80歳なんだから、高いところの物は、言ってくれたら代わりに取ったのに」
「もう済んだことじゃ」
はぁと、わたしはため息を零す。
「でも、まあ、元気そうで良かったですわ」
「すまんな、大地。花菜のこと頼んだぞ」
「ああ、わかってる」
「わたしの心配より自分の心配しなさいよ。もうお爺ちゃん!」
「そう、怒るな。まだ痛むんじゃ」
わたしはそれ以上、責められない。
看護師さんに荷物を渡して、病室を一緒に整理してもらう。
「仕事があるので、週末しか来られないかと思います」
「完全看護ですので、ご安心下さい。主治医の先生からお話がありますので、念のために後ほど連絡先をうかがいますね?」
「はい」
「先生がいらっしゃいましたらお呼びいたしますね。それまで病室でお待ち下さい」
「お願いします」
「私だけが説明聞くの、不安だわ」
「花菜さん、期間限定で、俺たち婚約者ってことにしないか?」
「期間限定で?」
「婚約者なら、一緒に話が聞けると思うんだ」
「大地君、いいの?」
「花菜さんさえ、良ければ」
「お願いしてもいい?」
「勿論」
わたしがホッとしているのに、お爺ちゃんはニヤニヤしている。
「お爺ちゃん!」
「若いのはいいのお」
「バカ!」
そうして、わたしと大地君は期間限定の婚約者になった。
母にも紹介しなくてはならないけど、今、助けてくれる人がわたしには必要だった。
☆
わたし達は医師の説明の後、互いの連絡先を交換しあった。
「大地君のアイコン魚?」
「鯛」
「自分で釣ったの?」
「そう。すごく大漁で、一番大きいのを写したんだけど、写真にしたら小さくしか載らないんだもんな」
「あはは、でも、すごいね」
「花菜さんのアイコンは?」
「お母さんが描いたわたしの似顔絵」
「ほっこりしてて、かわいいね」
「似すぎると良くないからって、アニメ顔だよ」
「時々、ライン書いてもいい?」
「いいよ」
お爺ちゃんには来週来るからと言って、医師の話を聞いたら、帰ることにした。
明日から出勤だから、少し休みたかった。
お母さんにはラインで状態を書いておいた。きっと日曜日でも仕事をしているだろうから。
大地君が運転している横で、長文を書き込む。
たくさん書き込んで送ったら、しばらくすると「ありがとう」とスタンプの返信が来た。
「短い返信。しかもスタンプだし」
可愛い猫に文字が書かれている。
「そう言えば、俺スタンプ持ってないな」
「わたしは少し持ってるかな」
「どんなスタンプか後で見せて」
「いいよ」
夕暮れ時を車が走っている。
大地君にはすごくお世話になった。
思ったよりお爺ちゃんが元気そうで良かった。
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