第9話


 一方、同じころ試衛館では、表玄関に回った二人は、土間で所在なさげに立ちすくむ町人風の男に対峙していた。



「──ああ、良うござんした。どなた様もいらっしゃらないかと」

「待たせてすまねえな」


 年長者らしく、左之助が来訪者に軽く頭を下げて応対する。総司はその後ろに無言のまま立った。土間に立つ来訪者には、威圧を感じる位置関係だろう。


 総司にしてみれば、今朝の失態は記憶に新しい。つい眼光が鋭くなるのも致し方無かった。ただ、そんな事情を知らぬ者には、居心地悪い事この上ない。



「──で、ご用向きは」


 愛想笑いを引っ込めて左之助が問うと、男は頭を下げてから言った。



「こちらに土方歳三殿がいらっしゃると伺って参りやした。手前、──…玉屋の平治と申しやす」

「玉屋?」

「へえ、土方殿へ火急の文を預かって参りやした」

「…ちなみに、差出人を聞いても?」


 左之助が慎重に言葉を重ねていく。玉屋という屋号はそう珍しくない。いくつか頭によぎるものの、直接歳三に結びつく店は思い当たらない。



「いや、あの、土方殿は…?」

「あぁ、留守にしてんだ。だから預かることになる」


 総司も左之助の肩越しに、そちらを覗いている。平治と名乗った男は慌てて懐を押さえて、逆に一歩下がって頭を下げた。



「申し訳ありやせん、お武家様。必ずご本人様に、と言いつかっておりやしてっ」

「あーっと、…弱ったな」


 左之助がどうしたものかと、頭を搔いていると、苛ついた様子で総司が前に出た。



「急ぎなんですよね? 私に預からせてください。──私、ここ試衛館の師範代を務めている、沖田総司と申します。怪しい者じゃありません」

「す、すいやせん、沖田殿。決してお二方を怪しんでいる訳では…っ。その、土方殿ご本人様に手渡してほしいと…」


 それまでつぶさに平治を観察していた左之助が、ふいに声を上げた。



「もしかしてお前さん…、北洲ほくしゅうからか?」

「……へえ、…火炎の玉屋のもんでさ」

「あぁ、やっぱり。──なるほど」


 神妙な顔つきで頭を下げる平治に、左之助が小さく頷いて見せた。北洲とは浅草田苑の別称で、浅草の北辺りを指す。つまり吉原の事である。


 火炎玉屋は歳三の馴染みの店、となると、差出人は十中八九、左之助の頭に浮かんだ人物で間違いない。


 くるわの女郎が世間からさげすまれる立場なら、廓の男衆おとこしゅうはさらに蔑視べっしの対象であった。身体を売る女たちを、食い物にしている印象が強いのだろう。現実には、廓で男出が必要な場面は思いの他多い。となれば、吉原に客が来る限り、男衆が居なくなることはない。


 それでも、世間の風当たりは強く、平治があえて言葉をにごしたのも、大門の外の世界で穏便に過ごすための処世術だった。



「なんです? 左之さん、なるほどって、何ですかっ」

「まあ落ち着け、総司」


 吉原を毛嫌いする総司は、この手の話に疎い。一人蚊帳の外のようで、回りくどい言い方をする二人に、ついにしびれを切らしたのか、珍しく声を荒げた。



「人の命に係わっているんですよっ」

「えっ!?」

「総司! ──お前、ちょっと席外せ。少し頭冷やして来い」


 土間に降りようとしていた総司の肩をつかんだまま、左之助が総司の目を見て言った。



「は? 嫌ですよ、僕はいたって冷静ですっ」

「いいから、厨で水でも飲んで来い。…ついでに紙と筆がいる。取ってきてくれ。いいな?」

「…………」


 左之助の有無を言わさぬ口調に、総司は渋々背を向けた。荒れた足音と共にその背中が角から消えたのを確認して、左之助は平治に向き直った。



「悪いな、あいつも悪気はないんだ」

「いえ、その…、人の命…って」


 小さく咳払いした左之助は、上がりかまちに腰を下ろすと平治を見上げて言った。



「平治と言ったな。土方さんはこの間、何者かに闇討ちされてよ。あぁ、大人しくやられる玉じゃねえんで、本人はピンピンしてる。……ただその一件、とある人物が深く関わってんだ。本人の意思と関係なく、だ」

「………」


 平治が知らず知らずの内に生唾を飲んだ。



「その、とある人物ってのが、吉原の花魁。あんたんとこの黛って話だ」

「っ!」


 平治が大きく目を見開いた。左之助は平治から目をそらさないまま声をさらに低くする。



「今朝、うちに怪しい男が張り付いてた。俺らの周りもここん所やたらきな臭えことが続いてる。どうもおかしいってんで、土方さんを追って今から俺らも出る所だ」

「そう、ですか…」


 神妙な顔で左之助は頷いた。少々誇張した感も多少あるが、嘘はついていない。



「なもんで、こっちものっぴきならねえ状況でよ。今この時に、花魁から訳ありな火急の文って事は……」

「……あ」

「ま、そういうこった。花魁がどこからそれを知ったか知らねえが、その文の内容によっちゃ、土方さんのこれからが左右されるかもしれねえ」

「………」

「俺のイロから聞いた話だが、花魁の方が土方さんに入れこんでるらしいじゃねえか。そんな女が、襲撃の話を知ったとしたら…」


 さらに、左之助は平治に畳みかけた。



「もし、そこに関係ねえことが書かれていたら、見なかったことにする。他言もしねえ。頼む」


 左之助は頭をぐっと下げた。それに慌てたのは平治である。



「頭を上げて下せえっ。……文はお渡ししますんで、どうか」

「! 本当か、恩に着るぜっ」

「へえ、事情はよくわかりやした。花魁にはわっちから説明しやす」


 平治はようやく表情をやわらげ、文を差し出した。左之助は丁寧に礼を言ってそれを懐にしまった所で、静かな足音と共に総司が戻ってきた。


 幾分落ち着いて見えるものの、顔は仏頂面そのものだ。左之助は苦笑すると、総司から矢立を受け取った。



「そう不貞腐ふてくされんな。文、預かったぞ。お前からも礼言っとけ」

「え、そうなんです? ……なんなんだ。───どうも」

「いえいえっ、事情もお察しせずご無理を申しやした」

「お前、もうちょっとこう……まあ、いい。おい、中、改めるぞ」


 早速、その場で文を開く。文を持つ左之助の手元を、後ろから総司がのぞき込む。その様子を少し離れて平治が見守っている。



「………これは」

「おいおい…、こりゃ」

「あの…、」

「いや、なんでもねえ。とにかく知らせてくれて助かった。必ず本人に届ける。……気遣い、恩に着ると伝えてくれ」


 左之助は文を懐にしまうと、総司が持ってきた紙に一筆したためていく。文を預かった経緯を花魁に口添えするためである。それを平治に渡すと左之助は人懐っこい顔を向けた。



「ところで、この人らも案外自由な手足を持ってんだな」

「……いいえ、わっちがこちらに参ったのはあん人の独断でさぁ。何が書いてあるか知りやせんが…、戻れば自分も…あん人も、お叱りを受けると思いやす」

「え、そうなのか」

「へえ。どうしても土方殿にお知らせしねえとって。……わっちは長くお傍仕えしとりますが、あん人がここまで我をおし通したんは、これが初めてです。──…お武家様、わっちがこちらへ参ったんはどうぞここだけの話に」

「そうか、わかった。…お前さんも辛い役回りだな」

「……いえ。あん人の役に立てんなら、こんくらいお安い御用でさ」


 そう言うと平治は晴れやかな笑顔を見せた。平治は何度も頭を下げて帰っていった。その姿を見送り、左之助は改めて総司へ向き直った。



「で、どうする。相手が相手だけに、下手に動くと」

「ええ…。まずは、土方さんを探さないと」

「だな」

「………問題はアレがどうなったか…」

「ん?」

「いえ、とにかく行きましょう」


 二人は足早に道場を後にした。



  ◇  ◇  ◇


 市谷の道場を出てから三軒目。歳三から聞いた覚えのある店は、ここで最後になる。



「そうですか、お邪魔しました」


 使い古された暖簾をくぐって、総司が通りへ出てきた。その顔を見て左之助は思わず苦笑した。



「ここも、外れか」

「………」


 むっつりとしたまま、口をつぐみ、総司は通りを進む。その横に左之助が並んだ。



「どうする、総司。キリがないぜ。質屋に行ったのは間違いないのか?」


 あごに手をやり総司は考えを巡らせていた。



「ええ、金が入ったなら最初に質屋に行くはずなんですよね。……ところであの日、彼は町で何をしていたんでしょう」

「ん? 襲撃の日か?」

「はい。もしかしたら、急に金が必要になって…」

「──飛び込みで一見の店を利用した…かもしれねえってことか。なるほど。闇雲に探すよりか、ましだな」


 すでに日は中天をとおに過ぎている。一息入れるべく傾き始めた日差しの中、二人は手近な茶屋に腰を落ち着けた。




「茶を二つくれ」

「あ、お団子もお願いします」

「なんだ、食うのか。──それは一つな」


 後半の台詞は、売り子の娘に目配せをして、二人で通りに置かれた長椅子に座った。空が高く、雲がない。天気が良い分、喉も渇く。



「夜道を歩いてたら黒ずくめの男が出てきた、って言ってましたよね」

「そいで、花魁から身を引けって言われたんだよな」

「は?」

「え?」


 二人して気の抜けた返事をして、顔を見合わせる。その顔を見た左之助がしまった、という顔をするがもう遅い。


 実の所、総司はただ〝襲撃にあった〟としか聞かされていない。愛刀の件は図らずともバレてしまったが、吉原嫌いのこの男に歳三なりに気をまわした結果なのだ。


 一方、左之助の場合は、二件の襲撃者の正体が話の焦点だったこともあり、歳三の襲撃の顛末を話して聞かせている。


 そして重要な鍵を握るのが、八郎説得に関わる勇からの頼まれごとである。それが〝吉原〟で繋がるのだが、この件に関して歳三はどちらにも話していない。何かしら勘づいたのが八郎本人だけである。


 そのことが話を余計にややこしくしてしまったのだが、火のない所に煙は立たぬもの。結局、吉原通いを誰も疑わない、歳三の日頃の行いに端を発している。


 見る間に眉間に皺を刻み、眼光鋭くした総司がことさら低い声を上げた。




「へ~…、花魁。あ~そうですか。襲撃の理由って、吉原絡みなんですね」


 背中に冷や汗が流れるのを自覚した左之助は、どうにかこうにか矛先を変えようと口を開いた。



「ほ、ほら! 男のサガっていうか、なんちゅうかホラ! 無性に人肌恋しくなる時っていうか! お前もあるだろ、たまにはっ!」

「ありません」

「……だよな。そう言うと思った」


 とりつく島もない返事に左之助は肩を落とした。剣術では柔軟な頭を持ち合わせるくせに、こと女関係は融通が利かない。それもこれも、元服げんぷく間もないころ無理やり吉原へ連れて行った彼らがその一因なのだが、もちろん、彼は知る由もない。



「ふ~ん、金もないのに、吉原ねえ?」

「──あ」


 ふっと何かを思い出したように、左之助が呆けた声をだした。



「つうか、普通に吉原じゃねえか? 昼間は違うにしろ、夜遅くに歩いてたってことは、日が暮れた後はおそらく…」

「…遅くまで吉原に居た。なんだかムカついてきました。──…まぁ、でも当たりでしょう。つまり、吉原から近い質屋」

「それだ」

「行きましょう」


 すっと腰を上げた総司はそのまま通りへ出た。それに続こうとした左之助の背中に、焦った売り子の声が追ってきた。



「あ、あの! お団子とお茶!」

「おっ、わりぃ。──これだけもらってくわ」


 困り顔をした娘の掲げた盆から、団子の串を持ち上げると、代わりに四文銭を数枚置いた。



「釣りは駄賃だ。あんがとな」


 先を行く総司に追いつくと、すいっと団子を差し出した。



「ほら、団子。食いたかったんだろ」


 差し出された団子を無言で受け取り、直に頬張ったが、にわかに顔が曇っていく。



「ん? どうした、不味いのか?」

「最高に美味しいですよ! そうじゃなくて、無性に腹が立ってきたんです」

「は?」

「だって、もしかしたら女買うために…っ、…っ、あんな…」

「?」

「…くそっ、あの人、ほんと馬鹿だ!」

「なんだかよくわかんねえが、あんまり土方さんいじめるなよ?」


 頭の中で女と刀が天秤にかかっている総司と、あくまで男の性には寛容的な左之助と、会話が微妙にかみ合わないまま、無駄口を止めた二人は吉原を目指して黙々と歩いていった。




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