第3話

「歳、じゃあ例の件、頼むぞ」

「ん? あぁ、…おう」

「? なんですか、例の件って」


 同じ日の午後、試衛館の玄関先で支度を済ませた総司は、きょとんとした顔で近藤を振り返った。これから総司は近藤らと日野へ出向く。明日の出稽古へ備える。帰りは二日後だ。


 当初の予定では、歳三が一緒に赴く予定だった。



「い、いやっ、何でもないぞっ。それよりも、総司! 急に頼んで悪いなぁ~。ぜひとも総司に来てほしいと、その、せがまれてだなっ」

「…? まぁ、それは嬉しいですけど」


 怪訝な顔をする総司を、近藤が強引に誤魔化している。まだ眉根を寄せていたものの、総司もそれ以上突っ込まなかった。


 同行する井上源三郎が手荷物の事で近藤に話しかけると、総司はふいに歳三に振り返った。つつと寄って来て小さく耳打ちする。



「ところで、土方さん。アレ、なんとかしといてくださいよ?」

「あー、アレ…な」

「大丈夫ですかぁ? …それと、無駄に出歩かないでくださいね、僕も近藤さんも居ないんですから」

「わぁってるって、お前もしつけーよ」

「ん? どうした総司」

「いえ。何でもありません。さ、もう行きましょ、近藤さん」

「ああ、そうだな。じゃ、あとよろしく頼む、歳」

「おう」


 二人が門を出て行くのを見送り、歳三は背を向けた。



「はぁ…」


 部屋に戻りつつ、ついつい重い息が口をついて出てくる。ここ数日、ここぞとばかりに、頭の痛い事ばかり降りかかっているせいだ。


 近藤が頼んだ〝例の件〟とは、言わずもがな八郎の一件で、総司の言う〝アレ〟とは、質入れしてしまった愛刀のこと。〝出歩くな〟とは、襲撃事件を気にしての言葉だ。


 事件を未だ知らぬ近藤が、歳三をこちらへ残したのは単純な理由である。八郎の一件が彼の中で何より優先すべき事案なのだ。



(俺があいつに何か言った所で、素直に聞くとも思わねえんだがな)


 何を思って吉原に居るのか皆目見当もつかないが、歳三に言わせれば、大きなお世話である。いい大人なのだ。周りがどうこう言うことではない。



「はぁ~、面倒くせえ」


 何度目かわからない台詞を吐いて歳三は畳の上に寝転がった。とにもかくにも、もうすぐ周斎老人が講釈から帰ってくる。先立つ物を手に入れなくては、どうにも腰回りが落ち着かない。



「爺さんの話、付き合うしかねえかぁ」


 すべては愛刀を取り戻すためと渋々自分を納得させて、来るべき時に備えて、目をつぶった。



(金がねえのは、てめえのせいか…)


 じんわり沁みてくる眠気にあらがうことなく身を委ねた歳三は、どこか笑みを浮かべていた。



◇  ◇  ◇



 人々が帰り支度をし、屋根を赤く染めていた陽は、稜線の向こうに消えた。商店が軒を連ねる通りは、すでに人通りもほとんどない。

 歳三は、先ほどからしきりに質屋の戸を叩いていた。舌打ちしかけたその時、後ろから声がかかった。



「──お兄さん、そこはもう居ないよ」


 はす向かいの店で、戸板を手にした男だった。振り返れば、先ほどよりさらに通りは木戸が目立っていた。



「ああ、そうみたいだな。……ここの店主の家は近いのか?」

「家は知らないなぁ。そこの親父さんとはあんまり親しくないんだ」

「そうか、騒がせて悪かったな」

「いやいや」


 歳三が手を降ろすと、その男も最後の戸板の向こうに姿を消した。



 これより少し前、無事に周斎老人から小遣いをせしめた歳三は、その足で急ぎ町を目指した。


 いつになく殊勝な態度の歳三に気をよくした大先生は、いつもより話しに熱が籠り、老人の長話を嫌う他の連中は、いつの間にかさっさと姿を消していた。


 気付けば歳三ただ一人。これはまずいと思うも時既に遅く、周斎老人の気が済むまで、きっちり付き合う羽目になってしまったのだ。



「はぁ…、どうすっかな」

 

 町へ向かう時、誰かに刀を借りることも考えたのだが、脇差しならともかく、大刀を理由も言わずに借りられるとは思えなかった。浅慮せんりょした後、自身の愛刀が一番と判断したのだが、こうなっては元も子もない。


 昨日の今日で、また…なんてことはさすがに無いと思うが、出がけに総司が言っていた事もある。かといって、このまま帰るのも妙にしゃくにさわった。道場から町まで、決して近い距離ではない。



(あそこなら、刀はいらねえし、無駄でもねえよな?)


 ふと、怒った総司の顔が頭に浮かぶが、すぐに頭から追い出して、星の瞬き始めた空の下へ足を踏み出した。





 吉原にはいくつかの決まりがある。武士同士のいさかいを避けるため、身分にかかわらず、登楼とうろうする際、刀を預けるのもそうだ。中には、何かと御託ごたくを並べて押し通る者も居るが、そう言った連中は大いに煙たがられる。


 店側も馬鹿ではないし、面倒事は避けるにこしたことがない。問題があった客は、この先、たとえ敷居をまたげてたとしても、いつまでもお目当ての女が来ないとか、何故かツケができなくなる、くらいのことは当然覚悟しておかなくてはならない。


 他にも十年を越える年季契約を禁止していたり、余所から貰った養子を勝手に身売りできなかった。

 だが実際は、気の遠くなるような年季奉公が課せられたり、出世したところで支度品や禿かむろの世話で働いても働いても借金が減らない、というのは良くある事だった。



 さらに決まりごとの一つに、連泊禁止がある。それらの決まりが作られた理由は様々だが、すべて建前上のこと。くるわにおいて、金より重いものはない。逆に言えば、金さえあれば何とでもなる。


 八郎は、まさにその典型的な居続け客だった。金払いは決して悪くなく、むしろ気前がいいくらいで、それが余計に店もうるさく言えずにいる要因だった。


 日中、仮眠を取る女郎と入れ替わりに外へ出ることはあっても、夕刻にはまた戻ってきた。だが、そうした客はどうしても目立つ。


 歳三が女たちから聞き出した情報で、店は数軒に絞られていた。その二軒目で当たりが出た。店に出入りする下男にそれとなく話題を振って、裏も取った。部屋の位置も把握済みだ。方々駆けずり回った昨夜とは大違いである。


 八郎は最初の登楼から、実に半月近く居続けている計算になる。さすがにいつ番所へ突きだされてもおかしくない状況だった。



(まったく、こんな所で飽きもせず、何やってんだか)



「吉原でやることつったら、一つか」


 目的の茶屋の前に立ち、二階を睨にらみ付けて小さくごちる。いざ店の者に、どう切りだすべきか、歳三が腕組みして思案していた時だった。



「──土方さん!」

「あ?」


 息を切らし一人の若者が、歳三の元へ駆けて寄ってきた。



「ようやく見つけた、探したぜっ」

「なんだ、お前。今日は道場で呑むって──」


 眉を潜める歳三の肩をがっしり掴んで、男は歳三の問いに被せるように口を開いた。




「──総司達が襲われた」

「っ」


 眉間にぎゅっとしわを刻んで、さっと辺りを見回すと、まだ息の整わない男の身体を向かいの路地へ押し込んだ。厳しい顔のまま、低い声で切りだした。



「怪我は」

「ふいをつかれたが、皆無事だって。相手は何もせずに逃げたらしい。近藤さんらはそのまま日野へ向かって、俺らに伝言頼まれた源さんが戻って来た」

「なんで一緒に戻って来ねえんだ!」

「俺に言うなよ! 俺だって訳わかんねえんだっ」


 思わず出た大きな声に、通りから何人かがこちらをのぞいているのが見えた。はっとして背中を向けた歳三は、苛立たしく舌打ちをする。短く息をはいて、同じく口をつぐんだ男の胸を手の甲でぽんと叩いた。



「わりぃ。帰るぞ、新八」

「ああ…」


 歳三は言うが早いかさっと着物を翻した。その後を新八が黙って追った。





「──間違いないんだな、源さん」

「ああ、〝こいつらじゃない〟と、確かにこの耳で聞いた」

「はぁ? なんだよそれ。それじゃ、ほんとに人違いなのかぁ?」

「………」


 静まり返った道場で、歳三たちは膝を付き合わせて座っていた。土方を呼びに来た新八こと永倉新八、神道無念流の剣豪だ。その隣は、伊予出身の槍の名手、原田左之助。その二人より年嵩で、歳三の義兄とも交流の深い、同郷の井上源三郎である。



(昨日の奴らか? にしては早くねえか? そもそも俺らが日野へ行ったのをなんで知ってんだ?)



「…それで被害もないし、ただの人違いだろうと近藤さんは、そのまま皆で行こうと言ったんだが、総司がどうしても歳に、このことを知らせてくれって聞かなくて」

「で、源さんが戻ってきた、と」

「総司の奴、なんで土方さんだ?」

「さぁ?」

「………」


 三人があれやこれやと話をする間、歳三は顎に手をあて、考え込んでいた。総司は疑っているのだ。昨日の襲撃と今日の襲撃が同じ連中かもしれないと。



(ちくしょう、どこの誰だ)


 日野へ向かう連中を待ち伏せていたなら、こちらの内情が漏れていると考えるべきだろう。相手がだれであろうと、悠長に構えていられない。ぎりと奥歯を噛み締めた時、締め切っていた道場の戸が開いた。



「…なんだ、こんな時間にこんなところで」

「斎藤!」


 入ってきたのは、斎藤一、彼もいつの間にか試衛館に居ついていた中の一人だ。食客の中で、永倉、斎藤の二人の剣腕は抜きんでている。


「部屋に居ないと思ったら、何をしている。皆で真剣な顔して」

「それがだなぁ…」


 源三郎が斎藤に事の顛末を説明する。その傍らで、左之助は土方の脇腹をつついた。ごく自然に身体を傾けて、小声で耳打ちする。



「…なぁ、心当たりあんだろ? 誰だ、やばい相手か?」

「……わかんねえんだよ」

「ってことは、既になんかあったんだな」


 ニヤリと笑った左之助は、少々短気で喧嘩っぱやいが、実は頭が切れる。こいつになら話しても大丈夫だろう。


「部屋で」

「わかった」


 正体不明の襲撃者の話は、あまりに情報が少ないこともあり、堂々巡りだった。その内に誰が持って来たのか、酒がまわってきた。見えない相手の話は早々に打ち切りになり、結局いつもの酒宴へと切り替わった。


 ほどよく皆の酔いが回った頃、静かに歳三は腰を上げた。そこへすかさず新八が声をかけた。



「どこ行くんだー、土方さん。まだ呑もうぜ」

かわや

「なんだ、小便か」

「俺も小便」

「あっ、斎藤! それこっち寄越せ!」


 左之助がすっと腰をあげた。すでに他の皆の意識は、新しく持ち込んだ酒のさかなに移っていた。二人は静かに道場を後にした。




「…んー、手掛かりなしか。厳しいな、そりゃ」


 大部屋の濡れ縁で、あぐらをかいた左之助が頭をかいて天を仰いだ。ちゃっかりと左之助はくりやからいくつかのつまみと、新しい徳利を持ち出していた。歳三にはお茶と、至れり尽くせりだ。


 いつも宴会が始まると、そのまま明け方まで雪崩れ込む事が多い。酒が得意でない歳三は、大抵早めに抜け出している。いつものことと、彼らが探しに来ることはまずない。


 歳三は茶を一口すすっただけで脇に湯呑を置き、左之助に一連の事件を説明して聞かせた。関係のない八郎の件と、愛刀の事はあえて言わなかった。


 八郎の一件はさておき、刀に関しては既に金は手にしている。今日はあいにくと空振りだったが、明日には取り戻せる。わざわざ言う必要なし、と歳三は考えた。


 何より、竹光を差していることを知られたくないのが本音である。だがこの時の判断が、後に響いてこようとは、…この時の歳三はもちろん知る由もない。


 襲撃の相手と同じならば、正体不明とはいえ、まゆずみの客だと自ら宣言している。上客を洗い出せば簡単だが、こう見えて遊郭は、客の名や藩に関する情報はおいそれと出てこない。店の信用に関わる問題だからだ。店から聞き出すのは容易ではない。


 あとは黛本人に探りを入れる手もあるが、できるだけ女を巻き込みたくない。最終手段だと歳三は考えている。それにああ見えて勘のするどい女だ。迂闊うかつな事を言えば、黛自身が首を突っ込みかねない。下手なことはできない。


 無意識に唇を噛み締めると、襲われた翌日の総司との会話を思い出した。




「そういや、手掛かりつうか、何人か訛ってた」

「訛り? どんな?」

「どうだったかな…。あー……、なんとか…ちや? とか、他は──」

「あっ、そりゃ土佐だ!」

「は?」

「土佐は伊予の隣だぜっ。んー、他に、何とか言っちゅうろー、とか、何とかやきーとか、言ってなかったか?」

「そうそう、それだ! 土佐かっ、左之助~、でかした!」

「へへっ、一つ貸しだな」

「ちゃっかりしてやがる。ま、でも助かった。恩に着る」


 歳三は無意識に安堵の息を吐いて、この前よりさらに小さくなった月を見上げた。その視線を追って左之助も柱にもたれて黒い空を見上げる。



「そいで、その土佐もんだと思ってるのか? 今日の奴ら」



(土佐の江戸詰めの役人? いや、あれだけの人数をあてることのできる人物となると…)



「どうだろな。そいつらが俺を狙って来たってんなら、同じと考えるのが妥当だが、なんか、出来すぎてて引っかかる」

「まぁ、そうさな」


 そのまま二人で押し黙った。遠くから一際大きな笑い声が聞こえてきた。これは確実に朝まで呑む展開だろう。歳三は左之助と目を見合わせて、どちらともなく小さく笑った。



「いずれにしろ、売られた喧嘩は買うまでだ」

「おっ、そうこなくっちゃ。腕がなるぜ」

「なるべく殺すなよ? あとが面倒くせえから」

「あんたがそれ言うか?」


 左之助の大きな手の平が歳三の肩を叩く。



「いてーよ。先に抜いたのはあちらさんだ」


 左之助は、すっかりぬるくなった徳利から、手酌で注いで一気に煽あおった。


「よく言うぜ、どうせあんたが抜かせたんだろ」

「はは、知らねえなぁ」


 男二人の明るい笑い声が響いていた。

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