住まう噂は人を嗤う

aciaクキ

第1話 七つの不思議

 この学校には七つの不思議なことが起こると囁かれている。あるものは時々しか遭遇しないものもある。そしてあるものは今日も継続的に起こっている不思議もあるという。

 しかしその本当のこと知る者はごく限られた存在だけ。当事者、被害に遭った者、忘れ去られた者。一人、また一人と□つの不思議に人は誘われていく。


◇◆◇◆


 私は毎朝学校で毎日のようにやっていることがある。それは――


「はああ、めいさんってやっぱきれいだなぁ」


学校の高嶺の花、神崎かんざきめいを席からじっと見つめることだ。


「なーに気持ち悪いこと言ってんのよ。あんたは早くこれを終わらせなさい」


「あた」


 薄いノートで軽く叩かれ、その勢いに頭が垂れる。ちらりと現実と言う名の机を見ると、二冊のノートが広げられていた。一冊はきれいにまとめられて、誰が見てもよくわかる、まるでお手本のようなノート。そしてもう一冊は、左上数行しか書かれていないほぼまっさらなノートだった。


「わかってるしー。けどまだ時間あるしさ~、そんな急がなくても」


「提出一時間目でしょうが。わたしのノート返さないつもりでしょ」


「あ、ばれた?」


「あ、ばれた?じゃないでしょ。は や く や り な さ い」


「はーい」


 まるで親のようなことを言ってくるのは、黒髪ロングヘアー、親友の小沢おざわ瀬楽せらだ。これほどまでに要点のまとまりきったノートを作れるのは、きっと一年の時からずっと二位を取り続けているからに他ならないだろう。

 当然、一位はめいさんで一度もその順位を譲ったことはなかった。


「はい、ありがと瀬楽ちゃん」


「まったく、写すのだけは速いよね香耶かやは……ってノート名前書いてないじゃん」


「え?ああ、前のノートなくしちゃったから今日から新しいのなんだー」


 片づけていた手を止めて筆箱から油性ペンを取り出す。きゅぽんっ、とカバーを外し、ノートに『2年4組30番 真野まの 香耶かや』と書く。


「そういやちょっと前もノートなくしたから新しいのにしたとか言ってなかった?」


「いやー……あ、あはは」


 部屋が汚くてすぐに一度カバンからものを取り出せば簡単に闇へのまれてしまうなんて口が裂けても言えない。


「どうせ部屋が汚くてすぐなくしちゃうんでしょ」


「な、エスパーか」


「なわけないで――」


「なんだって!エスパーが出たって本当かい!」


 瀬楽の最後の言葉を遮って目の前に現れたのは、同じく親友の河西かさい蓮花れんか、ショートカットメガネっ子だ。


「なわけないでしょ」


「いやいや、言い当てちゃってホント凄いよ!」


「ほほお、やはり瀬楽ちゃんは人間ではないのかえ?」


「あんたらいい加減にしなさい」


 家に行ったことあるだけじゃない、と軽くため息をつく。

 ガラガラと教室のドアが開き、先生が入ってくる。それと同時にチャイムも鳴り響き、それが合図としてずらずらとクラスメイトたちが自分の席へと戻っていく。


「じゃ、また後で」


「また後で、ですなお二人さん」


 それぞれ少し離れた席に別れて座る。


「じゃ、出席取るぞー」


 先生の口から出席番号順に生徒が一人ひとり呼ばれていく。空席もあるようで、そこで止まっていたりもした。


「ふう、今日の休みは四人か」


「せんせー、休み多くないですか?」


 一人の女子生徒が手を挙げながら、ぶっきらぼうに聞く。


「そうだなぁ、ちょっと前から他のクラスにもちょこちょこ出てるみたいだし、皆も風邪には気をつけろよ」


「はーい」


 素直に聞いたのか聞いてないのか分からないような返事をして、近くの友達と顔を合わせてにやにやとしていた。


「特に連絡事項もないし、これでHR終わり。一時間目の準備しとけよー」


 それだけ言い残すと、先生は教室を出ていった。それを見たクラスメイトたちは皆、がやがやと友達と談笑していた。

 これはいつも同じ、彼女らの日常なのだ。


◇◆◇◆


「あ、筒井先生、またまたこんにちは」


「戌亥先生こんにちは。さっき別れたばかりじゃないですか」


「あはは、そうですね。でも、挨拶はいくらしても悪い気にはならないじゃないですか」


「そうですね」


 香耶の教室から出た男性教師──筒井とうい竜斗りゅうとは、ほぼ同時に隣の教室から出てきた女性教師──戌亥いぬいめいに呼び止められていた。


「戌亥先生のクラスでは今日は何人休みがいましたか?」


「三人です。内二人はちょっと前から休んでるんですけど、連絡ない上に電話かけても家の人すら出ないんです」


「そうですね、僕のクラスでも同じようなことが起きてます。クラスの皆はあまり気にしてないようでしたが、少しおかしいですよね」


「そうですよねー。他の学年ではそんなことないんですけど……」


「流石に休みが一週間以上差し掛かったら、家に行ったほうがいいですね」


「そうですね。まあ、来てくれるのが一番ですけどね…」


 話していくうちに職員室に着いた。それぞれ一時の別れの挨拶を済ませ、各々の席へと戻る。

 これもまた、彼らの日常である。


◇◆◇◆


「ふうう、やっと午後よなぁ」


 午前中の授業が終わり、蓮花が心底疲れたように声を出して香耶の席に自分のお弁当を叩きつける。


「もー疲れたー!帰りたい〜」


 香耶も足を投げ出して、蓮花のお弁当に当たらないようにうつ伏せる。


「後二時限だけなんだから頑張りなさい」


 香耶の隣の席と伽耶の席をくっつけて瀬良が言う。


「酷いじゃん!今日の時間割ぃ」


 一時限目から、体育・現代文・英語・数学という、多くの人が音を上げそうな時間割に、三人中二人が白旗を挙げている。


「しかも五,六時限目は古典・日本史だよ!?しんどすぎ…」


 お弁当を食べながらも不平不満が絶え間なく溢れ出てくる。


「しかも日本史の先生、あれ変態さんじゃん。共学なのに女子しか当てないし、視線ヤラシイし、もう最悪ぅ」


「そうですなぁ。まあわたしは当てられたことないのでな」


「ええ!うらやまし…い?」


「複雑ですな」


 当てられるということは、そういう目で見られるというわけで、当てられないということは、つまりはそういうことだということに気づき、二人共微妙な顔をする。


「今日そいつ休みらしいよ」


 瀬良でさえあいつ呼ばわりする男が休みという事実に二人共驚きを隠せなかった。


「えっ!あのゴキブリみたいな生命力持つあの人が?」


「なんですと!無駄に元気なあの男が!?」


 それぞれの言葉で日本史教師を酷評する。実際、教師だから責任を持って、生徒のために学校来るといった崇高な理由ではなく、何か異様な執着で一度も休んだことがなかった。


「初めてなんじゃない?」


「だよねー」


「もしや、あの噂がホントかもしれんね」


 噂?と香耶と瀬良が声を重ねる。


「あるじゃないか、この学校には七不思議が。知らないのかい?」


「あ、あるある!この学校のってちょっと変わってるんでしょ?」


「そうなの?わたし聞いたことないんだけど」


「それではわたしが教えて進ぜよう」


 何処から取り出したのか、スチャと効果音がなりそうな動作で眼鏡をかけ、七不思議について話し始めた。


◆◇◆◇


一. 虚像の教師

 教師に扮していつの間にか仕事をしているのだという。一人増えているにも関わらず誰も気づかないことから、過去に調査した生徒がいたがおかしな部分はなかったという。


ニ. 屋上の墓場

 この学校は屋上への道が鉄格子で閉ざされていて誰も通れないようになっている。だが夜の学校に入った生徒たちが鉄格子が開いているのを見つけて、屋上に上がっていった。するとそこには無数のお墓とそこに佇む一人の少女がいたという。


三. 幻の五階

 この学校は四階建てになっていて、その上は屋上になっている。しかしある条件を満たすと、四階に上がってきたときに五階への階段が現れるという。


四. 差異

 学校の七不思議の一つ目、『虚像の教師』と似ていて、三学年のどれか一つだけ一人生徒が多いという。


五. なんでも屋さん

 夜中の学校の購買に、日中のキレイなお姉さんではなく、仮面をした少年が座っているという。台の上にはいつも売っている物の代わりに見たことのないような物も売っている。売っている物を買えば、頼んだことを何でもしてくれるという。


六. 花壇の人喰い花

 中庭の広がる花壇に真っ赤に咲く花が一本だけある。それを摘もうとすると人間の身体を丸呑みし、潰されるときに周りに飛び散る血を周りの花が吸う。そうやって人が犠牲になった日の次の日では周りの花がまばらに赤く変色するという。


七. 神隠し

 夜中に学校に入ると一人の少女が学校内を徘徊しているという。彼女についていってしまうと別世界へ連れて行かれるという。


◆◇◆◇


「どうだい?怖いだろう?」


「う〜ん……まあ、ちょっとだけ?」


 お弁当を食べ終わって、三人がかたずける中、蓮花の得意げな表情と裏腹に、瀬良の反応はイマイチなものだった。


「な!なぜだい!?」


「確かに人喰い花とかはまあ怖いと思うよ?けどほとんど、『だから何?』って感じでしょ?」


 瀬楽の感想は実にもっともなことだった。七不思議のうち半分ほどは、それに遭遇した時にどうなるかというものが明言されていなかった。つまり七不思議として不完全なのだ。


「うーん、でも七不思議なんだしそんなものなんじゃない?」


「だからこそよ。七不思議なんだから人が適当に内容を誇張してることは多いの。『なんでも屋さん』とか『花壇の人喰い花』とか『神隠し』は割と七不思議として完成されているけど、『差異』に至っては一人増えてるだけよ?怖くもなんともないわよ」


「確かにそうですな」


「ねえねえ、これって一日に一遍に起こるの?大渋滞にならない?」


「それについてはある噂があるのですぞ」


「噂?」


 蓮花の一言に香耶と瀬楽の声がまた被る。


「『虚像の教師』と『差異』以外の五つの不思議は一週間で一つずつ現れるという噂ですぞ」


「なにそのシフト制みたいなの。しかもそれ八つ目にならないの?」


「ただの噂なのでセーフと思われる」


「なにそれ面白そう!毎日行っちゃいそう!」


「あんた何言ってんの……」


 香耶のキラキラとした目をした顔を瀬楽があきれたように見る。香耶の言葉を待っていたかのように蓮花がある提案を持ち掛けた。


「では、今日行ってみるかえ?」


「行かないわ――」


「行く行く!瀬楽も行くよね!」


「…う」


 瀬楽の言葉を遮り香耶が机から乗り出す。そしてそのまっすぐな瞳を向けられた瀬楽は断ることができずに口ごもってしまった。


「はあ、わかったわよ」


 いつも香耶の懇願には断れない瀬楽であった。やったー、と満面の笑みでハイタッチをする二人。


「何時集合しますかねって、おや」


 しかし弾んでいく話を尻目にチャイムが昼休みの終わりを告げる。


「それじゃ、集合時間と場所は放課後ね」


「はーい」


「了解よ」


 といい、瀬楽と蓮花はそれぞれの席へと戻っていった。


「んー楽しみ!」


 香耶は夜のイベントが楽しみすぎて、いつも授業中に寝ているのにめずらしく起きていることに授業の先生を驚かせた。しかし相変わらず話は聞いていなかったようだった。


◇◆◇◆


 夜、校門の近くの木に一人の少女が隠れるように立っていた。


「時間は…1時30分。そろそろ来るよね」


 誰よりも早く来て待機していたのは香耶だった。三人は放課後に、『午前1時30分に校門前の木に集合』ということにしていた。親に知られてはいけないことは、言うまでもないだろう。

 すると少し遠くで街頭に照らされれた黒い影が近づいてきていた。


「あ、蓮花ちゃんだ」


 香耶の存在に気付いたのか、影——蓮花は駆け足でよってきた。


「やあやあ香耶ちゃんや。おはようさん…じゃなくてこんばんは」


「こんばんわ~蓮花ちゃん」


「おや、瀬楽ちゃんはまだかね?」


「そーなの。多分来ると思うけど……って噂をすれば、だね」


 少し離れたところから駆け足で近づいてくる人がいた。それが近づいてくるにつれ、二人の顔は微妙な顔になっていった。その原因の正体は――


「二人とも、おまたせ」


「まあ、いいんだが……その服は?」


 その原因は瀬楽の服装だった。


「動きやすい服はこれしかなかったの!」


「外服、持ってないのでは?」


 学校指定のジャージで身を包んだ瀬楽が恥ずかしそうに視線を逸らす。二人の服装は、決してオシャレではないもののTシャツという動きやすくラフな格好だった。


「瀬楽ちゃん」


「な、なによ」


「今度服買いに行こ!」


「別にいらないわよ」


 動き回らないお嬢様は、動きやすい外服というものは持っていないし、必要のない代物だった。


「二人共、入りましょう」


「そうね」


「よ〜し、レッツゴー!」


 香耶の声の大きさに蓮花と瀬良が頭を叩くも、三人共どこかソワソワする高揚感を感じていた。


「……夏前とはいえ夜は少し気温も下がるわね」


 夜の校舎に足を踏み入れた三人は、途端に下がっていく気温に不気味さを感じながらも、寒さに理由付けしようとした。

 しかしこの異様な雰囲気だけはどうしても誤魔化しきれないものがあった。


「……ちょっと怖いね」


「…そうね」


「……ふ、二人共ビビりすぎですぞ…」


 入る前のテンションが嘘だったかのように口数が少なくなっていく。


「着きましたぞ」


 三人がまず目指していたのは七不思議その五、なんでも屋さんがいるという購買だった。理由は、一番近いからだった。


「いないというより、そもそも閉まってるわね」


 人のいない売店は当然、防犯のために鍵で扉を固く閉じる。開いているなんてことは起こり得ないことなのだ。


「なんでも屋さんは嘘、なのかな?」


「今日じゃないだけかもしれんの?他を探してみようぞ」


「そうだね!」


 三人が次に目指した場所は中庭だった。校舎に囲まれた中庭は大きな花壇を中心に周りには草木が空き放題生えている。

 その木々と花壇の間に道が敷かれている。庭師さんはここを通って花壇の手入れをしてくれるのだ。だからいつ見ても花壇の花々はキレイだった。


「う〜ん、赤い花だっけ。そもそもそんな色の花ないねー」


 種類を問わず様々な花が植えられている花壇でも、鮮血のような赤色の花は見つけられなかった。


「今日じゃないってことかしら?それとも嘘?」


「うむむ、判断しかねるっすな。仕方ない、次行きましょーかね」


「さんせーい」


 かなり危険な不思議であっただけ、緊張とは別の何かが心にあった彼女らは少し残念そうに中庭を後にした。


「次はどうする?」


「そうですな。あとここで確認できるものは、『幻の五階』と『屋上の墓場』ですな」


「どっちにしろ上に行かないといけないのね」


「じゃあ上に──」


 行こう、と香耶が言おうとしたその時、彼女の目の端にちらりと動く物体が入ったように見えた。


「どうしたの?」


「今なんか動いたような気がして……」


「不思議かもしれん!追いかけよう!」


「だ、大丈夫なの!?って、待ってよ!」


 瀬良が心配する反面、二人はとっくに走り出していた。二人が曲がった角を曲がると、遠くの黒い人影のようなものと対面するように二人が立っていた。


「これ、どういう状況?」


「さ、さあ。これ以上近づけない雰囲気で近づけんのよ」


「あれは何?神、隠し…?」


 七不思議の一つ、『神隠し』を思い浮かべるも、影のせいか、少女どころか人間のように見える程度にしか認識できなかった。


「とにかく、あれに近づくのは危険に思われる」


「……そ、そう、ね」


「瀬良ちゃん?」


「う、うん……そう、よね…あぶない、わよね」


「どうしたんであるか?」


「ううん、何でもない」


 その言葉とは裏腹に、彼女の言葉は弱々しく聞こえた。そのうえ蓮花の目には瀬楽の足が少しだけに進んでいるようにも見えた。


「っ!瀬楽ちゃん!香耶ちゃんも何か言って!」


「……」


 二人の異常が疑念から確信に変わった蓮花は、二人の肩を掴み前に進めないように引っ張った。


「あ!」


 しかし二人の力は普段よりも強く、生半可な力では簡単に離されてしまった。二人はそのままゆっくりと、それでいて確実に影のほうへと歩みを進めていた。


「——ちょっ!」


 咄嗟に腕を掴むも、まるで操られてるかのような強さで手が振り払われる。蓮花はその勢いで体勢が崩れそのまま尻餅をつく。

 イタタ、と打ち付けたところを擦るも状況は変わらず、二人は着実に影の方へと近づいていた。


「早くしないと」


 早くしなければ、二人はそのまま帰らぬ人となってしまうのは間違いない。しかし普通に止めても力負けしてしまう。

 どうしようかと考える間も二人の歩みは止まらない。唯一の救いは、歩くスピードが恐ろしく遅いことだろうか。


「やるしか、ない」


 蓮花は意を決して走り出し、二人の前へと出る。そのまま振り返り、握りしめた拳を開ける。


「ごめんよな」


 蓮花は振り上げた掌を左右両側から振り下ろし、パァーンと乾いた音を響かせる。


「ごめんよな!」


 二人の頬にできた赤い掌型の跡を見てまた謝り、ようやく動きの止まった二人の手を取り影とは反対方向へと引っ張っていった。


「くぬぬぬうううう!はああああっ!」


 無気力状態の人間二人を運ぶには、か弱い女の子一人の力では骨の折れる行動だった。しかしそれを成し得たのは、友情という言葉が一番しっくりときていた。


 蓮花が必死に二人を運んでいる間、影はじっとその様子を見つめていた。三人の姿が角を曲がり見えなくなると、影も追いかけることなく別の場所へ移動した。


 影は真っ暗な廊下から離れ、月明かりに照らされた場所に移動する。その影が月に照らされるとその姿はみるみるうちに削れて消滅──することなく少女の姿が浮かび上がる。


「あ、こんばんは。今日は久々に人が来たのに逃げられてしまいました」


 そう話しかけられるのは少女に正面から近づいてきた男性だった。


「それは残念だったね。けど追いかけられたんじゃないかい?」


 少女は浮かべていた笑みを消し、怒気を含んだ表情で、そうですね、と言葉を続けた。


「彼女がいて驚いたんです。それに近づくのも少々憚れまして」


「そっか。ま、次の機会を待とうか。逃げられたのも何かと都合がいいからね」


「あなたのお家柄のことですよね。大変ですね」


「そうでもないさ。噂に興味を持って逃げ惑うのも、犠牲になるのも見てて面白いからね」


「そうですか」


 変わってるな、と少女は心の中で呟き、男性の横を通り過ぎる。


「どこに行くんだい?」


「今日はもう終わります。どうせもう誰も来ないでしょうし。あなたがもっと学校中に広めたらいいじゃないですか。互いに利益があるじゃないですか」


「立場上難しいものさ。それにその役目なら他にいるじゃないか」


「当の彼女ができてないから人間が来ないんですよ」


「心配いらないよ。きっとこれから来るようになるから」


 そう言い残すと男性は少女に背を向け歩いていった。そのあまりにもの様子に嫌気が差す。


「人間のくせに生意気」


 殺したいが、殺しておけない事情がある。その事実に顔を歪め少女もその場を後にする。


◇◆◇◆


「香耶ちゃん!瀬良ちゃん!目を開けるのだ!」


 学校から出たその場で香耶と瀬良を座らせた蓮花は二人の肩を揺らして起こそうとしていた。しかし二人の目は閉じたままで起きる気配がなかった。


「早く起きとくれ!」


 今度は躊躇なくそれぞれの赤くひりついていない方の頬を叩く。二回、乾いた音が夜の学校に響き、二人の表情が微かに動いた気がした。


「香耶ちゃん!瀬良ちゃん!」


 二人の肩をさっきよりも大きく揺らす。首は安定せずに頭が前後に振り抜き、その勢いで歯がカチカチと鳴るが気にしていられない。

 むしろそれで起きてほしいと言わんばかりに力いっぱいに揺らす。


「……ふ……ぁ……あが!」


 香耶から声が漏れた。意識を取り戻すも揺らした勢いで自分の舌を噛んだらしい。変な声の後に、血が少し出てくる。


「香耶ちゃんっ!」


「い、痛い……ぶはっ!」


 蓮花は揺らすのを止め、勢いよく香耶に抱きつく。そのまま香耶の背中が地面に叩きつけられる。


「いったぁ……って蓮花ちゃん?」


「よかった…よかったですぞ、目を覚ましてくれて……」


「もう、心配性なんだから。よしよし」


 香耶の地面についた右手の逆の左手で蓮花の頭を優しくなでる。すると、ふいに隣から声が聞こえた。


「何してるのよ、まったく」


「はっ!瀬楽ちゃん!!」


「え?ちょ…きゃあ」


 蓮花は瀬楽の声が聞こえるやいなや香耶のそばから離れ、瀬楽に抱き着く。顔を胸に強く押し付け瀬楽の服にシミを作る。


「もう、なんなのよ」


「なんともないのかえ?」


「なんにもないわよ。心配しすぎよ。ね、香耶」


「そうだね!」


 瀬楽は苦笑を、香耶は満面の笑みを、蓮花は泣き笑いを、各々の笑みを浮かべてしばらくその場で静かに笑いあった。


◇◆◇◆


 次の日、蓮花は一人で机でうずくまっていた。今学校には香耶と瀬楽の姿はなく、彼女たちの机は空っぽだった。


 学校を後にした次の日の朝、香耶と瀬楽は高熱を出していた。まともに動ける状態ではなく、今はベッドで寝ているか病院に行っているかだろう。症状は酷いものではなく、ただしんどいというだけだそうだ。咳が出るとか、頭が痛いとか、お腹が痛いとか、そういうことではないらしい。

 原因はおそらく夜の学校での二人の異常事態だ、と蓮花は推測を立てているが真相はわからないことには変わりなかった。


「あ、あの、河西さん」


 二人のことを考えていた矢先、頭の上から声が聞こえてきた。机から顔を離すと一人の男子生徒が目の前にいた。


「河西さん、聞きたいことがあるんですけど」


 男子生徒は真剣な表情でそういった。

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