第24話 称号士は温泉に入る



「やって来ました温泉郷! さあアリウス様、温泉に入りましょう!」

「おいリア。ここに来たのはあくまで上級クエストの依頼を受けたからだからな。まず向かうのは依頼主の所だぞ?」


 まったくこの女神様は。

 俺は溜息をつきつつ、意気揚々と温泉地を闊歩し始めているリアを眺めた。


「ちょっとリア! 雪の上をそんなに走ると危ないです――、ってああ……。だから言わんこっちゃない」


 ルルカが制止しようとするも間に合わず、リアが盛大にコケていた。


「でもお兄ちゃん、こういうのも良いよね」

「……まあそうだな。ルコットはあの女神様がハメを外しすぎないように見ててくれ」

「ふふ。りょーかい」


 隣にいるルコットが優しく笑う。

 思えば呪いの件があってからというもの、ルコットをこういう場所には連れてきてやれなかったからな。

 もちろんこのタタラナ温泉郷に起きているという異常事態の調査はしっかりとやるが、兄としては妹にも楽しんで欲しい。


「しかしアリウスさん。なかなかに雪の量が多いですな。それにこのタタラナでこんなに観光客がいないのも珍しい」


 後ろから今回同行していたグロアーナ通信の記者、パーズがやって来る。


「パーズさんはタタラナ温泉郷に来たことがあるんですか?」

「ええ。これでも記者ですからな。タタラナには何度か足を運んでますが、こんなことは初めてです」

「そうですか……」

「もしこれに黒いローブの男が絡んでいるとしたら、ソイツは何者なんでしょうな……」


 このタタラナ温泉郷付近で目撃されたという黒いローブの男。


 以前ルコットに呪いをかけていた呪術師がその人物であるという可能性もある。

 正体も目的も不明だが、捨て置くことはできないだろう。


 今回の調査でそれが明らかになれば良いが……。


 俺はまたも雪に足を取られているリアを見て嘆息しつつ、依頼主のいる建物へと向かうことにした。


   ***


「これは皆様、よくお越しくださいました。私、このタタラナ温泉郷の地区を管理しているブラスと申します」

「初めまして。ギルド《白翼の女神》のアリウス・アルレインです。こちらで起こっているという異常事態の調査に参りました」


 依頼主であるブラス地区長に一礼し、挨拶を交わす。

 急に暖かい建物の中に入って眠気に誘われたのか、ギルドメンバーの女性陣は後ろでうつろな表情を浮かべていた。


「それで、ブラスさん。異常事態というのはこの雪のことなのでしょうか?」


 俺が尋ねるとブラス地区長は静かに頷く。


「ええ。ここのところ、異常な雪のせいで客足もすっかり途絶えてしまいまして。このようなことはここ数十年無かったことですから、ここタタラナに住まう者も困惑しておりましてな。何とか原因を究明したいと思っとるのですが」

「分かりました。俺たちにできることであれば可能な限り尽力させていただきます」

「ありがとうございます。今日のところは遅いですし詳しいことは明日お話しましょう。宿を準備させていただきましたのでゆっくりとお休み下さい。お連れの方々もお疲れのようですしな」


 苦笑しながら言ったブラス地区長の言葉に後ろを振り返ると、女性陣はもう限界のようだ。

 特にリアなどは立ったまま船を漕いでいる。


「はは……。どうやらそうみたいですね。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」


 打ち合わせはまた明日に行う約束を取り交わし、俺たちはブラス地区長が用意してくれた宿へと向かうことになった。


   ***


「はぁー、極楽極楽ですなぁ」

「ええ、本当に」


 俺はパーズと共に屋内に備え付けの湯船に浸かりながら手足を伸ばす。

 当然だが混浴ではない。


 ブラス地区長に案内してもらった宿に着くと、やはり雪の影響もあってか客は俺たちを除いておらず、まさに貸し切り状態だった。


 部屋にも余裕があるので一人一部屋が割り当てられることになり、「えー! アリウス様と一緒のお部屋じゃないんですか!?」とかリアが嘆いていたのを思い出す。


「でも、温泉というのはこんな感じなんですね。初めて入りました」

「そりゃあ良かった。外の露天風呂なんかに行くと雪景色が綺麗で尚のこと癒やされますぜ。湯に酒を混ぜた酒風呂さかぶろなんてのもありますからな」

「へぇ。面白そうですね。後で行ってみようかな」


 ルコットなんかは酒の匂いだけで酔っちゃうくらいだから気をつけて欲しいけど。


 と、そんなことを考えながらくつろいでいたところ、唐突に隣の女湯から声が聞こえてきた。


『おおー! これが温泉! 素晴らしいです!』

『リアさん、今度はあまりはしゃぎすぎないでね?』

『ふふ、分かってますよルコットさん。この私がそう何度も――、ふぎゅう……!』

『ちょっとリア、大丈夫ですか?』

『あっははー。けっこうツルツルしてるんですねぇ、この床。でも、ルコットさんがおっぱいで受け止めてくれたので平気でした!』

『も、もう。リアさんったら』


 どうやらまた転んだらしい。

 何をやってるんだか……。

 まあ、それでも喜んでくれているようなので良しとしよう。


 それにしても温泉というのは気持ちいいものなんだな。

 鉱石の成分が染み込んだ温かい湯に方まで浸かっていると、まるでギルド《黒影の賢狼》で激務に追われていた頃の疲れまでも剥がれ落ちていくような錯覚を覚える。


『呪いの治療の時にも思いましたが、ルコットさんって意外とおっぱい大きいんですねぇ。これは鍛えがいがあります』

『ひゃっ! ちょっとリアさん……。揉まないでぇ!』

『おお……、まるで手が吸い込まれるような柔らかさ。癖になりそうです。おっと、逃しませんよぉ? それそれー』

『あっはは! やめてぇ、くすぐったい!』

『むぅ……』


「……」


 何てことをしとるんだあの女神様は。


 最後に恨めしそうな声が聞こえたがルルカだろうか。

 何となくだがリアとルコットのやり取りを見て自分の大きさを確認しているルルカが目に浮かぶ。

 その二人と比較するのは酷かもしれないぞ、ルルカ。


『そういえば、ルルカさんに聞いてみたいことがあったの』

『何です? ルコット』

『何で魔法使いの格好をしてるのに杖じゃなくてほうきなの?』

『あー、それ私も気になります!』

『ふふふ。よくぞ聞いてくれましたね、お二人とも。それは魔女といえば箒だからです!』

『えー、そうかなぁ?』

『小さい頃に絵本で読んだのです。大昔の魔女というのは箒にまたがり空を自由に飛んでいたと。だから自分もいつかそうなりたいと思ってですね――』


 へぇ。そんな理由があったのか、アレ。

 ルルカがいつも風魔法を使っているのもゆくゆくは空を飛びたいとか考えているからなのかもしれない。

 確か風魔法の中にそんな魔法があったなと、そんなことを思い出す。


『でもルルカさんならその内できるよ、きっと! お兄ちゃんと毎日修行頑張ってるしね』

『そうそう。こうして温泉に入れるのもルルカさんがあのオバサンに勝ったからですし。鍛えてくれたアリウス様に感謝、ですね』

『ありがとうございます。……でもそうですね。本当に師匠のおかげです。師匠と出会えなければきっと自分は野垂れ死んでましたよ。本当に、感謝してます……』

『あー、ルルカさん顔赤―い』

『なっ……! ち、違います! これは温泉に浸かっているせいで――』

『またまたぁ、そんなに隠さなくて良いんですよぉ』

『な、何を隠しているというのですかリア!』


「モテモテですなぁ」

「よ、よしてくださいパーズさん」


 隣を見るとニヤニヤ笑うオジサンがいた。


 というかあいつら、会話の内容が聞こえてるって気づいてないのか……。


 それから少しして、隣の女性陣は湯船から上がったらしく、パタパタと足音が聞こえてきた。


 隣ではまだパーズが俺の反応を楽しんでいるような笑みを浮かべており、俺は逃れるように湯船から立ち上がる。


「ち、ちょっと外の方にも行ってみますね」


 さっきパーズが外に露天風呂があると言っていた。

 雪景色が綺麗だと言うし、行ってみようかと歩を進める。


「ええ、ごゆっくり……」


 そう言って何故かまだ悪戯な笑みを浮かべているパーズだった。


   ***


「へぇ。確かにこれは綺麗だ」


 外に出ると一面雪景色の中、風呂があるらしき場所から湯気が立ち上っている。

 温度差が激しいのか、湯気の量が屋内のそれよりも多い。


「っと、早く湯に入らないと体が冷めてしまうな」


 俺は足早に露天風呂の場所まで進み、湯に足を踏み入れる。

 そして、風呂の中央辺りまで進んだ時だった。


「ん……?」


 トン、っと何かに当たる感触に思わず顔を上げる。


 そして――、


「なっ……! お前ら、どうしてここに!?」


 見るとルルカにリア、ルコットの女性陣がいた。

 もちろん裸である。


「ご、ごめんっ!」


 何で男湯から出てきたはずなのにみんながいるんだ!?

 俺は混乱しながらも湯から飛び出て、屋内に入るための扉に向かう。


 が――、


「え、嘘? 閉まってる?」


 扉はガッチリと施錠されていて開くことができなかった。

 ますます混乱していると、扉の向こう側からパーズの声が聞こえる。


「ああ、アリウスさん。言い忘れてました。ここの温泉、露天風呂は混浴なんですわ」

「言うの遅いです! それに、何で鍵を閉めてるんですか!」

「いやぁ、リアさんに協力しろって頼まれちまいましてね。ほら、ウチの通信社は例の記事で借りがありますから」


 リアに協力しろって頼まれた?

 まさかタタラナに着く前に二人で話してたのはそれか?

 というか、借りなら俺にもあるはずなんだが。


「ほらほら、アリウス様。観念してお風呂に入らないと体が冷めちゃいますよぉ? それとも、私の体で暖まるのをご希望です? やぁん、アリウス様ったら、だ・い・た・ん♪」


 背後から何か柔らかいものが押し当てられるのを感じ、俺は更に慌てふためく。


「くそ、こうなったら《豪傑》の称号付与で扉を壊して――」

「駄目ですよぉ、宿のものを壊しちゃあ」

「くっ……!」


 そうだ、ルコットとルルカならこの暴走女神様を止めてくれるはず……!

 俺はそう考え二人の方に助けを求めるが、その希望はあっけなく崩れ落ちる。


「お兄ちゃーん。一緒にお風呂入ろーよー」

「師匠……、その……、自分と一緒に入るのはイヤですか……?」


 二人はリアを止めるどころか、トロンとした顔をこちらに向けていた。


「な、なんで……」

「いやー、あの温泉、どうやらお酒が入ってるみたいで。お二人ともイイ気分、みたいな?」

「なん……だと……」


 そういえばさっきパーズが露天風呂は酒を湯に混ぜた酒風呂もあると言っていた。

 二人はその風呂に入ったのだろう。

 ルコットは知っていたが、ルルカまで酒には弱いらしい。


 くそ……。

 確かにリアの言うとおりじゃないが、このままでは凍えてしまう。

 俺は半ば観念し、女性陣3人と一緒の湯に浸かることになった。


   ***


「ちょっと待てリア。何でお前、タオルすら巻いてないんだ?」

「あれ? 知らないんですかアリウス様。温泉にタオルを付けて入っちゃいけないんですよ?」


 恥じらいというものは無いのか、この女神様には……。


「誤解しないでくださいね? アリウス様だけですよ?」

「考えを先読みされた!?」


 ちらりと見やるとリアに説き伏せられたのか、ルルカとルコットの二人もタオルを身に着けず湯に浸かっていた。


 幸いにも、と言って良いのか湯気ではっきりとは見えない。

 が、リアなどは湯気の向こうで肌白い肢体を晒しているのが分かる。


 それで先程抱きつかれた際に感じた胸の膨らみを思い出し――、


 ――って、何を考えてるんだ俺は……。


 俺は必死で理性を保ちつつ、背を向ける。


「し、師匠の体、たくましいですね」

「ねー。お兄ちゃん、前に見た時より筋肉が付いてるみたい」

「ま、前に見た時!? まさか、まだ一緒にお風呂入ってるんですか!?」

「やだなぁルルカさん。小さい頃の話だよ」

「それでも羨ましいです。私はいつでもウェルカムなんですけどねぇ」


 後ろでそんな女性陣の声が聞こえる。


 ……ちょっと待て、人の背中をペタペタ触るな。


「ねーお兄ちゃーん。そういえばまだ体洗ってないのー。洗ってー」

「い、妹だからってズルいですよ、ルコット! それなら自分も洗って下さい、師匠!」

「んっふっふー。それなら私もお願いします、アリウス様♪」


 そんな言葉の後、酒に酔った3人が背中に抱きついてきて、大小様々な胸が押し付けられる。


「――ああもう、めちゃくちゃだ!!」


 俺の叫び声は雪景色の中に虚しく吸い込まれていくのだった。

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