1-2 本当の姿

 ひまわりを見つめ返すだけで精一杯で、自然と透き通った瞳に吸い込まれそうになる。ひまわりの表情は真剣そのもので、さっきまでの明るいテンションとは大違いの姿に息を吞む。

 彼女の言うアンドロイドは、いったいどういう意味なのか。

 表情からは察することができそうなのに、上手く繋がらない。

 だから透利は、へらりと笑ってみせた。


「ええっと、機種を変えたいってことか? お兄ちゃんなんか未だにガラケーなんだぞ」


 ガラケー、つまりは二つ折りのフィーチャーフォンを取り出しながら、透利はひまわりを励ますように笑う。


「~~~~っ」


 ――おかしい。


 ひまわりの肩が怒りに震えているように見える。

 というより、急に視線が刺々しくなった。さっきまでのザ・妹キャラとはかけ離れた姿に驚き、透利は慌てて視線を逸らす。


「お兄ちゃん。今、シリアスなシーンなの。だからちょっと黙ってて?」

「……ひまわりだって、さっき嬉しみの舞を……」

「え、なぁに? 何だって?」


 小首を傾げて微笑むひまわりの周りに、暗いオーラが漂っている。まるで、お願いだからもう喋るなと顔に書いてあるようだった。

 透利が素直に黙ると、ひまわりは満足げに頷く。

 そして、


「人間じゃない。って言ったら通じるのかな」


 と、さっきと同じように何の躊躇いもなく言い放った。


「アンドロイド……ロボットなんだよ。だから顔が似てないんだ、私達」


 人間じゃない。アンドロイド。ロボット。

 そんな非現実的な言葉を、ひまわりはさも当然のように放っている。


「いや、だって」


 思わず、否定的な言葉を零しそうになった。

 確かに透利には記憶がない。そんな中で、なんとかひまわりと兄妹であることは受け入れようとした。これから少しずつ知れたら良いと思ったし、ひまわりと記憶探しの旅を始めるのだと思ったら何だか楽しくなってきたところだった。

 でも、記憶がないのは透利だけだ。ひまわりは透利の知らないことをまだまだたくさん持っている。少しずつとか、そういう問題ではないのだ。

 アンドロイドだとか、人間じゃないとか。早くも常識からかけ離れたことを言われて混乱しない訳がない。正直、すでにキャパオーバーだった。

 なのに、ひまわりは畳みかけてくる。


「お兄ちゃんにとって私は、唯一の家族なの。両親を亡くしたお兄ちゃんの家族になって三年くらい……かな。血は繋がってなくても大事な家族なんだよ」


 だとか。


「お兄ちゃんが私から逃げ出したのは半年前だった。すぐに帰ってくると思ったのに全然帰ってこないどころか探しても見つからなかったのは、記憶喪失だったからなんだね」


 だとか。


「お兄ちゃんが逃げた理由は、私の寿命を知ってしまったから。あの時が一年半で、今が一年。それが私の残された時間だよ」


 だとか。


 最終的には、


「え、お兄ちゃんの名前? ……ミズキ、だけど。そっか、そうだよね。記憶喪失だからそれすらわからないか」


 と弱々しい笑顔で言われてしまい、透利の頭は大混乱だ。

 ミズキとは何なのか。

 自分は須堂透利ではないのか。

 家族だって普通に父親と母親がいて、祖父や祖母も離れて暮らしている。何の変哲もない一般家庭のはずだ。それに、記憶喪失になったのはついさっきの話ではないのか。仮に自分が元々ミズキだったとしても、須堂透利としての記憶が強すぎるような気がする。


「ごめん。俺、ちょっと混乱して」

「うん、わかってるよ。でも、全部事実だか…………らぁっ」


 ひまわりが突然、素っ頓狂な声を上げる。

 悪いとは思った。妹とは言え初対面みたいなものだから抵抗感もあった。でも、アンドロイドにしては人間的すぎると思ったのだ。


「ふぁにふぃてんのっ」


 多分、ひまわりは「何してんの」と言ったのだろう。ひまわりにしては棘のある口調だ。透利は慌てて柔らかな頬から手を放した。


「いやぁ、最近のアンドロイドは凄いんだなぁと思って」

「……許さない」

「え?」

「んーん、何でもないよお兄ちゃんっ。私、お兄ちゃんと久しぶりに触れ合えて嬉しいなっ」


 一瞬だけ凄まじい形相で睨まれた気がしたが、きっと勘違いだろう。

 こんなにもキラキラと眩しくて明るい妹があんな顔をするはずがない。今はもうすっかりいつも通りで、兄に甘えるように上目遣いを向けて――。


「…………ひまわり?」


 こなかった。

 ひまわりと再会してからずっと、この子は表情がころころと変わる子だなとは思っていた。明るかったり、真面目に事情を説明してくれたり、怒る時は怒ったり。

 でも、こればっかりは想定外だった。


「ごっ、ごめん。お兄ちゃん」


 ひまわりの赤らんだ瞳から、ポロポロと涙が溢れ出した。ひまわりはそんな自分に驚いたように目を瞬かせている。慌てて顔を俯かせ、表情を隠した。


「いや、謝るのは俺の方だよ。俺の混乱以上に、ひまわりの方が困ってるんだから」


 だからごめん、と透利は頭を下げる。

 ひまわりはすぐに顔を上げて、ブンブンと激しく顔を横に振った。


「お兄ちゃんは悪くないよ。悪くないっ、けど……。やっと会えたお兄ちゃんが、まさか何もかも忘れちゃってるなんて知らなかった、から……」


 その声は震えていた。

 膝を抱えて縮こまるひまわりの姿を、透利は直視できない。

 何だこの気持ちは、と思った。意味のわからないことの連続で、アンドロイドだの記憶喪失だの普通は受け入れられないことだらけなのに、ぶっちゃけそんなことはどうでも良いと思ってしまう。


 きっと、自分は大馬鹿野郎だ。

 正しくは「ミズキの記憶があった頃の自分」とでも言うべきだろうか。

 本当の家族じゃないからって。アンドロイドの妹の寿命が残り少ないと知ったからって。大事な家族であることは変わらないのに、自分は逃げ出した。

 ひまわりに寂しい思いをさせたどころの問題ではない。どれだけ悲しくて辛い思いをさせたのか。考えるだけで心が苦しい。


 苦しくてたまらなくて、感情が決壊する音が聞こえた。目頭が熱くなり、やがて頬を伝っていく。ああ、自分はこんなに弱い人間だったのかと悟った。


「ひまわり」


 ひまわりと同じように声が震える。こんな時くらい力強く言い放ってみせろよと心が叫んだ。気を引き締めて、透利はひまわりをじっと見つめる。


「俺はもう逃げないから。……これからは、二人でちゃんと想い出を作っていこう」


 例え、ミズキとしての記憶が戻っていなくても。

 例え、ひまわりと過ごせる時間が残り少ないとわかっていても。

 ここで自分には関係ないと立ち去るほど、透利は馬鹿ではなかった。確かにミズキは馬鹿だったのかも知れない。でも、この状況になっても逃げるような最低人間ではないと信じたい。


 もしも、それでも逃げるようなやつだったら自分が乗っ取ってやる。

 そんな覚悟すら、透利の中には芽生えていた。


「ありがとう、お兄ちゃん。ありがとうね」


 目元を拭いながら、ひまわりは小さく微笑む。


「作ろうね、想い出。たっくさん!」

「……そうだな。たくさん作ろうな」


 ようやく明るい表情を見せてくれたのが嬉しくて、透利も必死に笑いかける。ひまわりは元気良く「うんっ」と頷き、しばらく二人で見つめ合う。

 せっかくの再会なのだ。記憶がない身だと戸惑うが、ここは抱き締めた方が良いのだろうか。沈黙の中でそんなことを考えていると、



「…………よし。今回はこんなもんかな」



 唐突にひまわりは透利から離れ、背を向けた。

 何をしているのかと思ったらスマートフォンを弄っていて、透利は妙な違和感を覚える。


「どうしたの? ほら、あなたも消して」


 先ほどとは大違いの冷静な声色だった。手首に装着しているバングルライトを消灯しながら、こちらに視線を向けてくる。


「あ、うん……」


 一瞬だけ唖然としてから、透利もひまわりの真似をして消灯する。

 バングルライトは即興シネマパークの入場口でもらったもので、透利はなんとなく自分の好きな赤色にしていた。確か、ひまわりも最初は赤色にしていたが、途中から緑色に変えていた覚えがある。


「というか、今から時間ある? 早速次の打ち合わせをしたいんだけど」

「……?」


 口調も違う。

 声色も違う。

 言っていることも意味がわからない。

 ただ、透利も透利でさっきまでの訳のわからない状況を乗り越えてきた人間だ。訊ねる前に頭を働かせる。自分は記憶喪失でひまわりはアンドロイド。もう何が起きても不思議ではない。


「あ、もしかして多重人格……?」

「…………はぁ?」


 思い切り睨まれてしまった。

 それなりに良い線をいっていると思ったのだが、どうやら的外れだったようだ。しかし透利は首を捻る。性格すらもまるっきり変わってしまったのだ。多重人格以外の何があるというのだろう。

 透利は必死に考えて、


「じゃあ、二重人格だったり……?」


 という答えに辿り着く。

 多重人格は流石に言いすぎだった。きっとこれが正解だろう。


「…………」


 しかし、ひまわりの視線はますます鋭くなる。

 眉間のしわも相まって、まるでウジ虫を見るような顔をしていた。「お兄ちゃんっ」と言っていた時の面影すらない。


「な、なぁ、ひまわり。いったいどうしたんだよ」

「ちょっと。お願いだからいい加減にしてくれない? 演技はもう終わったんだけど」


 気だるげに放たれた言葉は、本気に呆れているようなため息混じりだった。やっぱり妹感増し増しだった時と比べるとめまいがしてしまう。

 でも、本当に驚いたのはそこではない。


「…………えん、ぎ……?」


 確かにひまわりは今、演技と言った。

 しかもひまわり自身は「当然のことを言っている」という態度だ。


「嘘でしょ」


 ぼそり、とひまわりが呟く。

 多分きっと、透利は相当アホみたいな顔をしているのだろう。そしてひまわりは、そんな透利に対して驚愕している。


「あなた、もしかして……」


 わなわなと身を震わせながら、ひまわりは透利を指差してくる。



「何も知らずにここに来たの…………?」

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