8

「そうだね、材料が揃っているのは……」

と本を取り、ロファーがページをめくる。


「ポテト、ニンジン、タマネギ、それにベーコン。これなら切って煮込むだけだから簡単に作れる」

開いたまま本を魔導士に渡すと「判った」とにっこりする。


「包丁や俎板まないた、鍋はあるよね?」

ちょっと不安になってロファーが確認する。

「もちろん」

と、本と睨めっこしながら魔導士が頷く。

「じゃあ、材料持って来る」

とスキップしそうな勢いで食糧庫に向かった。


 それを見送りながら、それにしても遅い、とロファーは思っていた。粉屋のオーギュを待って、帰らずにいるのだ。


 時間を指定しなかったのは失敗だったな、と今更思う。小麦粉とパン種でパンを作る方法を教えたいと思っていたのだ。少なくともパン種の扱いはすぐに教えておきたいところだ。


 キッチンを見てみると、居間とは違って大きく窓がとってあり、さらに明るい。窓の反対側の壁が大きくり貫かれ、思った通り、ステンドグラスの部屋に通じているようだ。奥が明るいのは、窓が大きく取ってあるのだろう。入り口を入った右側奥に暖炉の端が見えている。


 包丁にピーラーに俎板、鍋は大中小が二つずつ、そのほかにも一通りの調理道具がそろっている。新品ではないようだが、どれもよく磨かれて充分使えるものばかりだ。食材を抱えてニコニコ帰ってきた魔導士に、自分で揃えたのか聞くと、ジェシカがくれたという。なるほどね、とロファーが笑む。品揃えがジェシカらしいと思った。


 魔導士は本を覗きこみながら、ポテトを水洗いし始める。魔導術で作るんじゃなかったのか? とロファーが訊くと、それではすぐに出来てしまって味気ない、と答える。味気ない料理じゃ困るよね、と笑うと、私が真剣なのが可笑しいか? と魔導士は気を悪くしたようだ。


 なんだ、駄洒落じゃないのか、本当に扱いにくい、と口にはしなかったがロファーは思った。


 包丁で皮を剥き始めた魔導士に、ピーラーを使うといい、最初はニンジンの皮を剥いてごらんよ、とロファーがアドバイスする。ピーラーって? と問う魔導士にこれだよ、と手渡し、ニンジンをこう持って、と魔導士の後ろに立ち、手を取って教える。


 こうするとロファーの鳩尾みぞおちよりは背が高いのが判る。が、あごには到底届かない。自然、ロファーは胸の内にすっぽり魔導士を包み込んだ形となり、魔導士の体温がロファーの腹を温める。


 こいつ、ちゃんと生きている、と自分でも呆れるが安心した。なんだか、現実離れしていたのが、しっかりとした現実と受け止められるようになった気がした。魔導士はここに存在し、息をしている……


 と、そのとき不意に居間のドアが開くと、「まいどありー」とオーギュが部屋に一歩足を踏み入れる。そしてカウンター越しにロファーと目が合った。


 しまった、と思ったが遅かった。一瞬で顔色を変えたオーギュは、踏み入れた足を引っ込めて、バタン! とドアを閉める。オーギュの立ち位置からだと、ロファーが魔導士を後ろから抱きすくめているようにしか見えなかったはずだ。


 慌てて、魔導士から離れ、オーギュが消えたドアに向かう。残された魔導士は、ロファーの後姿を見ながら少し小首を傾げたが、ふっと笑って作業を再開させた。


 案の定、オーギュはロバに牽かせた荷台に腕を突いて立ち、怖い顔をしてこちらをみらみ付けている。


「おまえがあんなことをするなんて、思ってもみなかった」

と怒気を含んだ声は、ロファーが案じた通りなのだろう。


 ロファーが魔導士に悪さしようとした……勘弁してくれよ、と言いたいところだが、

「誤解だって。ピーラーの使い方を教えていただけだよ」

魔導士様は料理したことがない、してみたいと仰るから、教えていただけだ。と、説明する。


「手を取って?」

「そうさ。後ろに立って、手を取って。そしたらおまえが見た通りになるだろ」

怪しいもんだ、と言いたそうな顔のオーギュだったが、

「脅かすなよぉ」

と急に脱力したように、ロファーの肩に腕を回し、ロファーを引き寄せる。


「悪い噂を信じたことはないが、そうだったのかと一瞬思ったぞ」

と、ロファーに苦笑いをさせた。


「逃げ回ってばかりいないで、さっさと誰かに決めちゃえばいいんだ」

と言うオーギュに

「おまえだってまだ独り者じゃないか」

とロファーが応戦する。


 実はこっそり隣街の粉屋の娘とオーギュが付きあっていることをロファーは知っていたが、知らないふりをしていた。グレインの店で隣り合わせた同業者がこっそり教えてくれた情報だ。


 代書屋が顧客の依頼内容を他に漏らしていいはずがない。その同業屋も迷いながらロファーに話したのだ。知っているなどと間違ってもオーギュに言えるはずがない。『ロファーに心配かけたくなかったんだよ』と同業者は言った。


 隣街の粉屋の娘への恋文、だけど誰にも漏らせない、娘もオーギュもそれぞれの跡取りだ。


「俺はいいのさ、俺は」

と勝手なことをオーギュが言う。

「適当に遊んでいるからね。ところがどうだ、おまえは?」

「うるさいなぁ」


「どんな女が言い寄ってものらりくらり、リルと別れてからというもの、誰とも付き合ってないじゃないか」

言われたくないことを平気で言ってくる。


「だから、いまだにリルに気があるんじゃないかとか、あー、なんだ、男が好きなんじゃないかとか、なんだかんだ言われるんだ」

「はいはい、気を付けるよ……って、リルとは付き合ってなんかいないし」


「リルはその気満々だったけどねぇ……役にたた ――」

みなまで言わせず、ロファーがオーギュの背を叩く。


「無駄話はやめて、粉を運ぶぞ」

そろそろやめなきゃ本気でロファーを怒らせる、オーギュは笑いながら荷台の幌を外しにかかった。


 オーギュは荷台に五袋積んでいた。欲しい数を聞いていなかったから、多めに持ってきた。不要は持って帰るから、好きな分だけ言ってくれ、と言う。


「二袋と思っていたが、魔導士様は大食らいのようだ。昨夜ジュードが持ってきた二食分を一度に平らげたらしい。三袋貰おう」

あいよ、っとオーギュは二袋 かつぎ上げて、どこへ運べばいい? と問う。もう一袋をロファーが担いで、こっちだと勝手口に向かった。


 勝手口からキッチンに入ると、魔導士はポテトを相手に奮闘中だった。凸凹に苦戦しているようだ。


「大まかに剥いて、でこぼこは後で、ピーラーの横についた出っ張りで刳り貫くんだよ」

と声を掛けて、食糧庫に向かう。まいどありー、とオーギュがそれに続く。


 キッチンの壁の開口部の中には、右手に曲がって地下に降りる階段があり、食糧庫に続いている。正確には半地下のようで、ここにも天窓があり地下とは言え明るい。


 壁に立てかけてロファーが小麦粉の袋を置くと、それに続いてオーギュも袋を置く。


「噂には聞いていたけれど、魔導士さん、間近で見ると可愛い顔してるねぇ」

と、オーギュが天井を見上げる。そこに立っているであろう魔導士を想像しているのだろう。


「それに、思っていたほどチビでもない」

「馬鹿なこと言ってんじゃないよ。さっき、あんな子どもに、って自分で言ったばかりだ」


「いやいや、あと二年もすれば別嬪べっぴんさんになる。待てるかどうかが問題だな」

「別嬪さん? 男だぞ」

「女だろ?」

「女なのか?」

オーギュと顔を見合わせ、ロファーも天井を見やった。


「そう言えば、どっちなんだ?」

 気持ち的に恐る恐る階段を上って、キッチンに戻ると、魔導士はポテトを目の前まで持ってきて、ピーラーで芽取りしている。


「おい、近眼なのか? もうちょっと離さないと、自分の顔の皮を剥くぞ」

声を掛けると、きょとんとした様子でロファーとポテトを見比べてから、魔導士は軽く肘を伸ばして作業を再開させた。


 まったく世話が焼けると思いながら、勝手口から出て行ったオーギュを追いかける。


 ロファーが追いつくと、荷台に幌を掛け直していた手を止めて

「助手と言うより子守だな」

とオーギュが笑う。


 あぁ、その通りだよ、愚痴るロファーに、

「ほい、パン種」

と包みを手渡してきた。代金は? と訊くと

「おまけして三十シリンでいいよ」

判った、とパン種を持って一旦キッチンに戻る。


 金を持って戻ると、幌を掛け終わったオーギュがニコニコとロファーを迎えた。

「魔導士様はまだポテトと奮戦してた?」

笑い転げそうなオーギュに

「いいや、今度はタマネギの皮をピーラーで剥こうとしていた」

顔をしかめてロファーが言えば、たまらずオーギュは爆笑した。


「手で剥けと言ってきたさ。剥くのは茶色い皮だけだ、ともね」

と、面白くもないとばかりにロファーが言い捨てると、オーギュは、

「確かに! それ言っとかなきゃ、芯まで剥いてるぞ」

と更に大笑いだ。


「なんだか、楽しそうな仕事だな」

 笑いの発作の中でオーギュが言う。

「俺だったら一日中笑い転げていられそうだ」

「だったら、交代するかい?」

その気もないのにロファーが言う。


「俺はなんだか気疲ればかりする」

「おまえは真面目過ぎるんだよ ―― 魔導士様のご指名は、ひと目で顔が気に入ったロファーだからな、難しく考えないで普段通りのロファーでいいと思うぞ」

笑っているがオーギュが、自分を心配しているとロファーはすぐに判った。


「そうだね、そうするよ」

とロファーは答えた。


 うん、と頷きながらオーギュはロファーを見たが、少しだけ真面目な顔で

「でもな、魔導士様の性別がはっきりするまでは間違っても惚れるなよ」

と言い、ロファーが何か言い返そうとする前に、

「冗談だよ」

と笑った。


「まぁ、あとはあれだな、あんまり親切にし過ぎないことだな」

とオーギュは言った。

「おまえにもその気があるならいいけれど、なけりゃ魔導士さんが女だった場合、惚れられたら厄介だぞ」

「魔導士がたかが代書屋に興味は持たないだろうさ」

ロファーが受け流すと

「顔が気に入ったって言われたんだぞ? 下手すりゃすでに惚れられている」

と恐ろしい事をオーギュが言う。


「あんな子どもに惚れられてもね」

とピンと来ない様子のロファーに

「そう言ったことに興味を持つ年頃だ、ませてりゃ有り得る」

真顔でオーギュが忠告する。


「ほんと、ロファーは色恋沙汰にはさっぱりだな。博識でみんなに尊敬されているのに」

それじゃあ、帰るよ、近いうちにグレインの所で呑もう、最後にそう言うとオーギュは帰って行った。

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