6
「小さい時から? 親御さんに甘えたり、一緒に食事したりとか、そんなことは?」
「親に甘えるって? 魔導士学校の食事は皆一堂に会して摂るから、父はかなり遠くにいて、厳密には一緒に食事をしたと言えるかどうか。それに私は食堂に出る許可を得て、三日で魔導士学校を出た。それまではずっと自分の部屋で食事していた」
魔導士の表情が曇ることもなくアッケラカンとしていることにロファーは驚いていた。
「ねぇ、寂しい、と思ったことはある?」
ロファーは恐る恐る魔導士にそう聞いた。すると、
「同じことを以前訊かれた」
と、かすかに魔導士が表情を動かした。
「魔導士学校の生徒の一人、誰も近寄ることのない私に、ずかずかと近づいて、私の心を揺さぶった。その人も私にそう尋ねたことがある」
と、ロファーの聞きたかったこととは方向が違ったが、
「それで?」
と
「会いたい人に会えない時に胸が締め付けられるように感じる、その感情を『寂しい』と呼ぶのだと、とその人は教えてくれた。その時は、そんなものか、と思っただけだったが、魔導士学校を離れ、しばらくの間はその人と、もう一人に会いたくて、心細くて、泣きたくなった。その時やっと、私は寂しいとはこれを言うのだな、と知った」
「そうか……その人は友達だった?」
ひょっとして『友達』とは、と聞かれないかとロファーは冷や冷やしていた。
「うん、今思えばね。私のただ一人の友人だ」
「もう一人の会いたい人は友達ではなかったんだ?」
「ん……友達とは別だと思う。向こうも私を友達とは見ていなかった」
友人が一人とは随分少ないな、と思ったがロファーは口に出さずにいた。
「どこに住んでいるか判らない母親とは会えず仕舞いなのか?」
さらにロファーは魔導士に尋ねた。
「んーーー、年に数度、母は用事があって魔導士学校を訪れていて、周囲が、あれが母だと教えてくれたから判ったのだけれど」
魔導士はまたさらりと言う。
「会う、というのとは違うかな。それにしてもロファー、なんで私の両親に興味を?」
「いや、魔導士様の両親じゃなくて、魔導士様のことを少し知りたいと思っただけだ」
「私のことを? で、魔導士様はやめてジゼルでいい」
それを無視してロファーは続けた。
「なぁ、おまえ、誰かに愛されていると感じたり、誰かを愛していると思ったことはあるのか?」
「愛?」
魔導士が
「愛しいと思ったことがあるかと聞いているのなら、魔導士学校の私の部屋によく来ていた小鳥たちや、そうだな、今、馬小屋にいる馬のサッフォ、とても可愛いし、大事だし、愛しい」
「人間に、そんな感情を持ったことはないということ? おまえを愛しいと思ってくれる人はいない?」
「ひょっとしたら先ほど言った友人には似たような感情を抱いていたかもしれない。その友人はひょっとしたら同じ気持ちでいてくれたかもしれない。もう一人の会いたい人は私を『愛している』と言ったが、今はきっと憎んでいる」
「そうか……」
「ロファー?」
魔導士がロファーの顔を覗き込む。
「私を質問攻めしておいて、なんであなたが浮かない顔をしている?」
「ん?」
ロファーは魔導士に微笑んだ。
「おまえは口達者で恐ろしく尊大で、どこか掴みどころがないけれど、可愛いヤツなんだって判ったよ」
「可愛い? 私が?」
そんなこと初めて言われた。
「あ、ジェシカもそんなこと言ってた。初めてじゃないや。でも、ジェシカはすぐ、可愛くない、と否定したけど」
「そうか、ジェシカならそう言いそうだ」
「やっと笑ってくれたね、ロファー。ずっと怖い顔だったけど」
「魔導士様とお近づきになったことなどないからね、緊張していたのかもしれないね」
そろそろ俺は行くよ、いろいろ手配しなきゃいけない、とロファーが立ち上がろうとしたとき、先に魔導士が立ち上がり、ロファーの首に腕を回して頬に口づけた。
「ありがとう、ロファー。あなたを頼っていいんだよね?」
いいとも、と、思わず抱き返したい衝動をロファーが抑えていたことに魔導士は気が付いただろうか?
「あぁ、できる限りのことはさせて貰うよ」
ロファーは静かに魔導士の腕を外し、立ち上がった。
「明日また来る。できるだけ早い時間に」
まず、ロファーはジュードの宿屋に行った。ジュードとは生まれてすぐからの知り合いだ。ロファーの両親がこの街に来て住処を探す間、赤ん坊のロファーを連れて泊まったのがこの宿だ。ジュードの両親の親切に、この街で商売を始めるとロファーの親は決めたと言っていた。その時ジュードは生まれて一年足らず、ロファーは生まれたばかり、母親同士、子育ての相談相手となり、ロファーの親は宿のレストランの常客になった。自然、ロファーとジュードも仲がいい。
少し前にジュードの両親は新しくレストランを始め、ここをジュードとその妻に任せている。客を減らさないよう、俄然ジュードは張り切っていた。
「あぁ、あの魔導士様ね、何を出しても美味い美味いと食ってくれるから、こちらとしても作りがいがあった」
「ああ、ジュードの食事は素晴らしいと言っていたよ」
夜の分と、明日の朝の分も付けて届けてくれと頼むロファーに
「無理もないが魔導士の助手は気が進まないか? いつもの笑顔がないな。暗い顔をしている」
少し疲れて頭痛もする、とロファーは言い訳した。
次には市場にある、古馴染のゴジックの店に行った。雑多な食料を扱っている。
卵とベーコン、ポテトとタマネギにニンジン、ハーブを数種適当に、紅茶と砂糖と塩にバター、あればほうれん草と胡椒、そのほか野菜や果物を見繕って幾つか、それと何か簡単に料理できるものがあれば入れておいて。
「それにしてもロファー、ずいぶん疲れているようだね。沈んだ顔だ、いつもの笑顔はどうした? やっぱり魔導士の助手なんかしたかないよな」
「助手の件はともかく、疲れて頭痛がする。―― 三、四日ごとに見繕って届けてやって欲しい」
無理するなよ、とゴジックに見送られ、ロファーは次に粉屋のカミュの店に行き、店番をしていた息子のオーギュに小麦粉とパン種を頼んだ。
「おい、ロファー、ひどい顔だぞ。大丈夫なのか?」
ロファーの友人でもあるオーギュが真顔で心配する。
「家まで送るか?」
伝令屋の馬を借りてきてるから、大丈夫、とそれにはうっすらと笑顔を見せてロファーは断った。
「今日は親父が仕入れで留守なんだ。俺は店番がある。配達は明日でもいいか?」
もちろんだよ、とロファーは市場を後にした。
そのあと牛飼いのマルの家に行き、明日の朝から毎朝、大瓶で配達して欲しいと、頼んだ。
「配達はしていないが、ロファーの頼みなら断れないな、まして魔導士絡みじゃね」
とマルは言った。
「いや、いいのさ。マーシャがロバを扱えるようになった。これを機に配達を始めれば、客も増えるかもしれない」
それよりロファー、いつもの笑顔がないな。できることなら何でも手伝う、遠慮なく言えよ、というマルに、ここでもロファーは疲れただけだ、と言い訳した。
最後に馬を返しに伝令屋に寄った。
「その顔だと、やっぱり断り切れなかったか」
とシスが笑う。そうじゃないんだ、とロファーは言った。
「なあ、シス。父親はすぐ近くに住んでいるが、一緒に食事をしたことすらない。母親はどこにいるか判らないが年に何度か顔を見る。でも、顔を見るだけ。そんな育て方をされて、寂しいとも思わない。愛について聞けば、小鳥や馬が愛しいという」
「ちょっと待て」
シスがロファーの話を遮る。
「あの魔導士のことか? 魔導士がそう言ったのか?」
「うん……まともじゃないと思っていたけど、心に欠損があるんだと判った」
「うーーーん」
シスが腕を組む。
「それで、魔導士に同情したか?」
「いや、それがよく判らない。俺のこの気持ちは同情なんだろうか?」
「どんな気持ちなんだ?」
「それが……」
ロファーは返事を
「それが……
「そうか……」
シスはしばらく腕組をしたまま、何か考えているようだった。チラリと、
この夫婦は以心伝心が多い。子はいないが、仲の良い夫婦と評判だ。喧嘩どころか、意見が分かれたなんて話すら聞かない。
やがて、
「おまえがそうしたいなら、そうすればいいと俺は思う」
とシスが静かに言った。
「同情かどうかわからない、とおまえは言った。だったら同情とは違うものではないかと俺は思う」
同情だとしたら、可哀想に、と思うだけで、守ってやりたい、とは思わないんじゃなかろうか。
「おまえ、魔導士の中に自分を見たのではないのか?」
「自分を?」
「おまえは十三の時から一人で何とか生きてきた。寂しいとか心細いとかそんな気持ちを無理して抑え込んできた。違うか?」
魔導士の話を聞くうちに、あの頃の自分を思い出し、同情ではなく共鳴したのだろうとシスは言った。そして、あの頃の自分が欲していた事柄が、今の魔導士には必要だと感じた。
シスの言葉は的を射ているとロファーは思った。どうしようもないほど泣きたい気分だった。泣く代わりにロファーはひとつ深い溜息をついた。
「そうかもしれないね……ところで、どこか、鶏を譲ってくれるところはない?」
「鶏? 生きたままの鶏か、だったら丁度ルル婆さんが鶏の貰い手を探している。世話をするのがキツくなったんだと。結構大規模に養鶏しているからね、あの年じゃ辛くなっても仕方ない」
「雌鶏三、四羽に雄鶏一羽程度でいいが。あと鶏小屋の材料が欲しい」
「少しでも減れば婆さんも助かるはずだ。交渉してやるし、いいのを選んできてやるよ。小屋の材料も見繕って持って行く。明日でいいのか?」
明日も魔導士のところへ行くとロファーが言うと、ならば明日も馬を貸すとシスが言った。
明日はあちこち行くような用事はないだろうからそれは不要と断って、丁寧に今日の礼をする。
「根を詰めすぎるなよ、ロファー」
真面目なのはいい事だが、息抜きを忘れないように、時には手抜きすることも覚えろよ、そう言ってシスはロファーを見送った。
そしてその足で、ロファーはグレインの店に行き、酔っぱらった振りをしてぐだを巻き、酔っぱらっているのか、いないのか、自分でもわからない状態で、レオンに送られて家に帰った。
しばらくベッドに置きあがったままでいたが、やがてどさりと横になる。本当に俺はどうしちまったんだろう。涙が止まらない。
ロファーはただ、夜の闇を見詰めているだけだった。
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