第43話 大切な繋がりを失って


「サラー、大人しくしてた?」

 

 夕方、窓から外を覗いていたサラは、ヒイロが小舟で向こう岸から帰って来るのが見えた。

 指輪を返してもらうまで、決して逃げる事は出来ないサラは大人しくその日を過ごしていた。


「指輪……返して」

「やだね。これ返したらサラは泣かないでしょ? そうだ、今日旦那を見たよ。すっごく焦った顔で街中を馬で走ってた」

「ユーゴが?」

「サラのこと、探してるんだろうなぁ……。ここにいるのにね」


 そう言って、ヒイロはサラの方へと近付いて、その額につけたはずの血の所有印が消えていることに舌打ちする。


「何で消したの? 俺のって印だったのに」

「私はユーゴのだから」

「助けには来ないよ? ここは誰にも知られてない」


 サラはキッとヒイロの方を睨んだ。

 他人を睨むことなどなかったサラは、それでもヒイロの事が許せなくて、その赤い瞳を睨みつける。


「だからぁ、俺を睨むのは良くないな。可愛くて綺麗なサラは泣いてないと、ね」


 スタスタと近づき、とうとうサラを壁際に追い詰めたヒイロは、グッと顔を近づける。


「ねえ、サラ。ここに居るのは辛い? 苦しい? それなら泣いたらいいよ?」


 涙を堪えると返事が出来ずに苦しくて、眉間に皺を寄せて泣くのを我慢していたサラは、とうとうポロリと涙を零す。


「ああ……、いいねぇ。サラの泣き顔はゾクゾクするなぁ」


 長い指で涙を掬い取ったヒイロは、パッとサラから離れた。

 そして、離れた位置から涙を流すサラを愛おしそうに見つめる。


「サラぁ、どうやったら俺の事好きになってくれる? もうさ、サラの旦那を殺そうか?」

「や、やめて……っ! なんで? どうしてそんな事言うの?」


 サラには分からない。

 こんなにもひどいことをしておきながら、それでも愛おしそうに名を呼んで、熱い視線で見つめて来る人間の気持ちなど。


「こんなに涙の似合うサラが俺のことを好きになってくれたら、きっと俺幸せになれると思うんだよね。あの仏頂面の騎士団長だって、サラには幸せそうな視線を向けるんだからさ」

「やだ……。じゃあ、もう絶対泣かないから」

「ほんとに? じゃあこれ、もう捨てちゃおう」


 そう言ってヒイロがポケットから出したのは、サラの指に嵌められていたユーゴがくれた指輪で。


「や、やめて……っ!」


 サラが止める間も無く、ヒイロは指輪を思いっきり窓から外へと投げた。

 それならきっと、家の周りを囲む湖に落ちてしまっただろう。


 そう思ったサラは我慢できずにその場に泣き崩れた。


「ああ……、いいね。サラ、悲しいねぇ。可哀想に」

 

 恍惚とした声音のヒイロは、サラを抱きすくめた。

 そして何度も薄紅色の髪を撫でてやるのだ。


 ユーゴとの大切な繋がりを永遠に絶たれた気がして、サラはもう抗う気力も失われた。


 しゃくり上げながら、紫色の瞳から止めどなく溢れる涙を、ヒイロは何度も指で掬い取った。


「いいなぁ、指輪捨てただけでこんなに泣いてくれる騎士団長はさ。俺もサラに俺のことで泣いて欲しいなぁ」


 床に座ったままで泣き続けるサラを腕の中に囲ったヒイロは、そのまま自分のことを語り始めた。


「あのさぁ、俺だって元々こんなに変な性癖があったわけじゃないよ? この瞳が赤かったせいで、幼い頃に酔った母親に殺されかけたんだよ。『血の色で気味が悪い』って」


 サラに話しかけるというよりは、勝手に独り言を言っているようなヒイロの話に、サラは反応しなかった。


「俺は場末の娼婦の息子でさ、父親は誰か分かんないし。娼館で残飯貰って何とか生きていたんだよ。それなのに実の母親に殺されかけてさ、傷ついたよねぇ」

 

 言葉とは裏腹に、優しい手つきでサラの髪を、背を撫でるヒイロだったが、未だにサラが泣き止む事がないことに喜びを感じているようだ。


「だから逆に、好きな女を泣かせたいんだよなぁ。愛しいのに、泣かせたい。だから意地悪しちゃうんだよ。ごめんな?」

 

 指輪という大切な物を失って、心を閉ざす直前のサラは答えない。

 もう涙もいつの間にか止まってしまった。


「ほら、着替えと食べ物買ってきたからさ。ちゃんと食べなよ。後で身体を拭くお湯も持って来てやるから、これに着替えな」


 優しい声音で話すヒイロは、持って帰った袋から真っ白なワンピースを取り出して、黙って俯くサラに手渡した。

 

 その後何処からか部屋にお湯を持ってきたヒイロは、声を掛けても動かないサラにため息を一つ吐いて、特に何もすることなく部屋を出て行った。


「ユーゴ……、逢いたいよ……」


 ポツリと零したサラの言葉を、窓際に止まった白い鳥が聞いていた。

 やがてその鳥は家の周りをぴょこぴょこと跳ねて、月明かりを頼りにどこかへ飛び立った。


 


 









 


 

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