昨日の君の物語〜また会えたら、なにを伝えようか
カイ艦長
第一章 怒声の日々
第1話 いつもの朝
ベッド脇のアラームが鳴り、夜明けを告げる。
昨日知り合ったばかりの女子社員が、寄り添って眠っていた。
しかし俺が起きたのを察したのか「おはよう」とあいさつしてきた。
なにも着ていないままで黙ってバスルームへ向かい、シャワーのコックをひねる。
一度として同じ女とは夜を過ごさない。今ベッドにいる女も、しょせんはひと夜の間柄だ。女もそれをわかっていて部屋へ付いてきた。
液体ソープを泡立てて手早く全身を包み、シャワーで洗い流していく。
そこに女がやってきたが、かまわず流し終えてバスタオルで水気を拭きとると、バスルームを出て脱衣所に収納してある真新しい下着へと足を通した。
女は入れ違いでシャワーを浴びている。
その間にヘアドライヤーで髪を乾かし、ティーシャツ、ワイシャツ、スラックスと身に着けていく。
「ねえ、バスタオル貸してよ」
素肌にシャワーを浴びた裸身が露わだった。
なにごともなかったかのように、脱衣所に備えてある白いバスタオルを手渡す。
「ありがと。ねえ、ドライヤーも借りるわよ」
その声には答えず、寝室に散乱しているふたりの着衣を拾い集める。
その中でふたりの下着はドラム式洗濯機に放り込んで柔軟剤入り洗剤を入れて時短コースで運転させ、女のスーツとブラウスのしわをとるためスチームアイロンに当て始めた。
自分のスーツは一週間まとめてクリーニング店に任せている。
「あなたって、横暴なのか親切なのか、わからない人ね」
またもや無視してタイトスカートに除菌消臭スプレーを吹きかけてスチームアイロンを滑らせていく。
「ゆうべはあんなに激しかったのに、今はあんなことができる人にはまるで見えないわよ」
「それより、脱衣所にかけてあるバスローブでも着てくれないか。裸で言われても説得力がないんでね」
ありがとと一声かかるとまだ乾いていない髪をバスタオルで拭いながら、女もののバスローブを羽織って脱衣所から出てきた。
「下着は今洗濯している。時短コースだからあと五分もあれば終わると思うよ。だがそのまま着るわけにもいかないだろうから、それもこれで乾燥させるけどいいかな」
とスチームアイロンを掲げる。
「かまわないわよ。オーダーメイドだから、なんなら記念にあげてもいいけど」
「残念だけど女装の趣味はないんでね。なんなら女ものの下着も脱衣所にいくつかしまってあるから、好きなのをはいていていいよ」
ずいぶんと手慣れてるのね。
嫌みなのか褒め言葉なのかわからない声が返ってくる。
「ショーツはともかくブラは特注だから、乾燥させるのならそれを待つわ」
これで女のスーツのジャケットとタイトスカートが仕上がった。しわひとつ残さない完璧な出来栄えだ。
続いて女のブラウスにとりかかる。素早く脱がしたスーツと異なり、ブラウスにはさまざまなものが染みついているだろう。
除菌消臭剤を念入りにスプレーしてリズムよくスチームアイロンを滑らせた。
「今のあなた、クリーニング屋にしか見えないわよ」
そのままブラウスを仕上げると同時に洗濯機のブザーが鳴った。
脱衣所の洗濯機からふたりの下着を取り出し、自分のものは洗濯ハンガーに吊るしていく。
女の下着はブラのワイヤーを直接熱しないよう、タオルで挟んで当て布とし、アイロンのドライモードにして乾かしていく。
毎日のように同じことをしているので、もはや手慣れたものである。
「君も早くドライヤーで髪をセットしておいてくれ。いちおう女ものの整髪料もいくつか用意してあるから」
なんでも準備がよいことで。
また嫌みなのか褒め言葉なのかわからない声があがる。
「ホットカーラーまであるのね。クリーニング屋というよりまるで美容院だわ」
タオルを乾いたものに交換しながらブラジャーの水気を手際よく飛ばしていく。
「よし、これで終わりっと」
ショーツとブラジャーを女に渡すと、そのまま台所へ向かう。
食パンを二枚取り出してオーブンレンジで焼き始めた。
その間にIHコンロでスクランブルエッグを作っていく。
朝はコーヒーかオレンジジュースを飲んでいる。今日はオレンジジュースを選び、冷蔵庫から取り出してふたつのグラスに注いだ。
女はバスローブを脱いでショーツをはき、特注のブラジャーを手際よく装着している。
「クリーニング屋に美容院に今度は軽食屋。あなたって本当にゆうべと同じ人?」
「嫌なら食べなくてもかまわないんだけど」
出来たての食パンを皿に乗せ、スクランブルエッグを脇に添える。
「嫌とは言ってないんだけどな」
「まぁその前にシャツとスーツくらい着ようか。下着姿のままで食事なんて生々しいだろう? それに、その姿でうろつかれるともう一戦交えたくなるからな」
「私はそれでもかまわないけど」
「こう見えて商社の課長で無遅刻無欠勤男だぞ。その評価を下げるわけにはいかないな」
作り顔した女は、すぐにタイトなスーツをまとっていく。
「こうもあなたにお膳立てされると、本当昨日のあなたが別人に見えてくるわね」
食卓に向かい合って座った。
「なぜ夜だけあんなに飢えた目でガツガツした態度だったのかしら? まあワイルドで私好みだったけど」
「なぜだろうな。まあ男に生まれたからには、日ごと女を変えて寝るのも悪くないだろう?」
「あらあら、その自信はどこからくるのかしら」
いただきますと言って朝食を頬張っている。
どんな女も食べている間は黙ってくれるからありがたい。
「食べ終わったら早々で悪いがうちから出ていってくれないか。こっちはまだ用事が残っているからな。それに同じ時間に出社でもしようものなら注目を引きすぎる」
肯定の言葉が返ってきた。
うるさい女が部屋から出ていき、今日の仕事に必要な書類を大急ぎでまとめていく。
手帳のスケジュールによると予定は三件。部課長会議の進行と新人研修の立ち会い、そのあと取引先との顔合わせである。
とくに今日会う取引先は夜の人脈で得たたいせつなお得意様だ。
仲立ちをしてくれた女はあれからも何度となく誘いをかけてくる。
しかしこれまで『同じ女とは二度と寝ない』主義を貫いてきた。
相手もそれはわかっているはずなのだが、それでもモーションをかけられてくるのには、なにか別の期待でもしているからだろうか。
玄関のチャイムが鳴る。
またあの女か。
ドアを叩く音が響いてくる。
ドアスコープを覗くと案の定だ。あきらめてドアを開く。
「あのねぇ、高石さん、私の言うことが理解できないのかしら?」
「理解していますよ。ですがこのマンションは防音設計なので声が響くと言われましても──」
この女、
「聞こえるものは聞こえるの! 女の喘ぎ声が大きくて満足に眠れやしないし、ヤッてるときの振動が伝わってくるのよ。このマンション、寝室が隣合わせになっているんだから!」
と万事この調子である。
「しかも毎晩別の女を連れ込んでない? ヤッてるときの会話も漏れてくるのよ」
「誰と寝ようが私の自由では?」
「そう、あなたの自由。でもね、隣人が迷惑だって毎日言っているのに毎晩ヤッてるわよね? 私への嫌がらせとしか思えないわ!」
だが、実際このマンションは防音になっていて、隣の音さえ聞こえてこないのだ。
たとえ真夜中に洗濯機を動かしても誰も気づかないはずである。
それが、この女は喘ぎ声が聞こえるとか揺れがひどいとか、言いたい放題だ。
「ですがあなたの部屋の声や洗濯機の揺れなどは感じないんですけど」
「言い訳するつもり?」
「いえ、事実を申し上げているだけで──」
「じゃあなんであんなに激しく
そんなやりとりをしていると、スマートウォッチのアラームが鳴った。出社十分前の合図だ。
「すみません。すぐに資料を揃えて出社しないと間に合いませんので、今日はこのへんで──」
「なんでもかんでもあなたの事情優先。たまにはこっちの都合を優先してくれなくて?」
「時間のある日でよければ、いくらでも相談に乗りますから……」
「そうやって今晩も別の女を
「決まっているわけではないですよ」
「もういいわ、勝手にしなさい!」
ドアを力ずくで閉められて額をしたたかに打ち据えてしまった。
本当なんなんだ、あの女は。言いがかりにもほどがあるだろう。
だが、どうして毎晩別の女を連れ込んでいると気づいたのだろうか。
本当にやりとりがすべて筒抜けになっているとか?
おっと、いけない。すぐに出ないと電車に間に合わないな。
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