07 英雄譚②
『ベアさん、先ほど見た物に関してベアさんの意見が聞きたいです』
カナリアの聖印に仕掛けられていた能力を確認した後、傍目には1人きりとなったクリスは、傍らのデザベアへそう問いかけた。
とは言っても
こうやって、表面上の態度を取り繕いながら、こっそり会話するのにも、すっかり慣れてしまったな、とクリスは思った。
『さっき見た物ねぇ。実に
『…………』
『名前も洒落が聞いていて、実に愉快だ。古今東西、あらゆる
『ベアさん』
このまま放っておくと、何時までも趣味の悪い言葉を吐き続けるであろうデザベアを、クリスは一言で制した。
『へーへー。真面目にやりますよ、っと。しかし、とは言っても大体は今言った事の表現を変えるだけだけどな。運命操作の力で、超えるべき
『やはり、そうですか……』
まあそこまでは、解析した情報を素直に受け取れば、順当にたどり着ける答えだ。
クリスは、こくり、と小さく頷いた。
『いくつか疑問があります』
『なんだ、言ってみろ?』
強力な力を持っていても、異能者として生きて来た経験はほぼ皆無のクリス。
よって幾ら正しい情報を解析出来たからと言って、それで全てが分かる訳でも無かった。
『運命を操作して悲劇を起こすと言いますが、それはつまり、ベアさんが私に掛けた呪いの様な物でしょうか?』
『ああ、そういやそれがあったな』
運命を操作する力など、
しかし幸運にも――いや、不運にも、クリスにはその体験があった。つい最近、話題にもしたばかりである。
それは、デザベアがクリスに掛けた呪いの1つ。
曰く、大きな騒動・事件に巻き込まれやすくなる呪い。
クリスが聖人で性人な所為で、不犯の加護に全部の話題を掻っ攫われて空気だが、普通であれば平穏に過ごすことが許されなくなる、極めて下衆で下劣な呪いだろう。
それはそれで置いておいて、その呪いと、聖印に掛けられている【英雄譚】なるものの相似が気になるクリスであった。
『そうさな…………。確かに目的や、結果と言う大きい括りにおいては似たようなもんだ。どちらも、運命を操作して悲劇に突っ込ませるのが目的だしな。だけど、方法って観点で見た場合は違う』
『方法、ですか?』
『ああ。運命操作、因果改竄、等と一口に言っても、その方法は多岐に渡る。まあ詳細に上げていくとキリがないが、非常に大雑把に分けたとしても2種類には分けられる。それが何かわかるか?』
『ちょっと分からないです』
『だったら考えてみろよ、そのご立派な頭は飾りか?』
『む、確かに私の怠慢でした、ごめんなさい』
分からないことを聞くのは悪い事では決して無い。
しかしだからと言って、自分で何も考える気が無く、ただ教わるがままにしているのは、駄目だろうと、クリスは己の態度を反省した。
その様子にデザベアは、煽り甲斐の無い……と、自分の意見が受け入れられたと言うのに微妙な顔をしていた。
『それにしても、方法の違いですか。うーん』
一生懸命に知恵を絞るクリス。
話の流れからするに、デザベアが掛けた呪いと、聖印に掛かっている術を比較すれば良い、とアタリを付けて思考を進めていく。
そうして程なく、彼女は自分なりの答えにたどり着いた。
『えっと、事件に向かうのか、事件を起こすのかの違いでしょうか?』
『正解だ。より正確に言うのなら、元からある流れを利用するのか、新しい流れを作るのかの違いだな、1つ例を挙げようか』
そうしてデザベアは、分かりやすい例を喋っていく。
『例えば、ある男に運命操作の力を使って、飛行機墜落事故に遭わせるとしよう。前者の元からある流れを利用する場合、最初から墜落する運命の飛行機に男を乗らせる訳だ。偶々、引いたくじ引きでその飛行機のチケットが手に入る、とかな』
『成程』
『逆に、後者の運命操作を使うなら、男の乗った飛行機を墜落させる訳だ。その日、偶々整備に問題があり。偶々、天候が悪く。偶々、パイロットが操縦ミスをした。って具合にな』
『周囲の運命を操るという訳ですね』
『ああ。この場合に重要なのは、前者の例の場合は、男が乗ろうが乗るまいが飛行機は墜ちるが、後者の場合は男が乗ったからこそ、墜ちるって訳だ。当人の運命を操るか、周囲の運命を操るか、って言い換えても良いな』
『この場合ですと、ベアさんが私に掛けた呪いが前者で、聖印が後者なんですね』
『大雑把に分ければ、な。ただ、聖印に仕掛けられていた術式は、極めて後者の面が強いが、一応前者の要素も併せ持った複合系ではある』
印の持ち主であるカナリア当人も操作していたり、一応極々僅かであろうとも発生し得る可能性の事件を発生させているからな、とデザベアは補足した。
『ふむふむ、因みに大体予想は付きますが、前者と後者ではどちらの方がより難しいのでしょうか?』
『お察しの通り、基本的には後者の方だよ。まあ、個人と、その周囲の世界とじゃ、簡単な算数な問題で後者に軍配が上がるのは当然だろう。ま、覚醒前ならともかく、覚醒後のお前みたいな単体で世界に匹敵するような化け物に掛ける場合は別だがな?』
『だから、化け物って…………。はぁ……、もう、いいです。ええと、つまり聖印に仕掛けられた術は、かなり凄い物って事ですね?』
『………………まあ、それなりにやる、ってのは認めよう。だが、勘違いするなよ!俺様が、呪いに前者の運命操作を使ったのは、飽くまでその方が効率的だからだ。やろうと思えば、後者の術だって使えたし、その場合、よりドラマチックに!よりエンターテイメントに!人間を地獄に叩き落せる。それを覚えておけ』
『いや、そんな事で張り合わないでくださいよ……』
悪魔的には譲れなかった部分なのかもしれないが、クリスから言わせれば、そんなの何の自慢にもならない事である。
『ふっ、お前みたいな餓鬼にはまだ、分からない領域の話だ』
『一生分かりたくないです。それで、まだ少し疑問が残るのですが』
『あ?』
『そもそも私、実際に事件が起こるまで、カナリアの異常に気が付けなかったのですが、私の運命も操られていたんでしょうか?そう言う気配はしていなかったんですが。勿論、私の精進が足りなかった、と言われれば返す言葉もありませんが』
カナリアが孤立してしまっているので、何とかしようと動いてはいた。しかし。こんな大事になっているとは、実際に事件が起こるまでは気が付けなかったと、クリスは語った。
『ふむ。その答えは、Yesでもあり、Noでもあるな』
『?』
『さっきも言ったがな、今のお前に何らかの術を無理やり掛けるのは、容易な事じゃねぇし、例え掛けられたとしても、それに気が付けないってのは余程じゃない限りなない筈だ』
『はい』
『しかし、ちょいと工夫を凝らせば不可能って訳でも無い』
『そうなんですか?』
『ああ。例えば、お前の体を10m程前に何らかの術で移動させたいとする。しかしそんな程度の事でさえ、お前相手には容易な事じゃ無い。今の非常に弱体化している状態だとて、巨大な山脈を相手に同じことをするくらいの難易度はあるだろう』
しかし!とデザベアは声を大にする。
『だけど、俺様なら多少力を取り戻しただけで、
『同じ結果』
何となく、その言い回しに答えがある様に、クリスは感じた。
『簡単な話さ。お前が乗っている地面を移動させれば良い』
『そういう事ですか。周囲を動かせば結果的に私も動く場合がある、と』
『ああ。今回もそうだろうさ。お前自身の運命は操作されていないし、だからこそ異常に気が付けなかった。しかし、お前の周囲の運命が操られていたから、結局の所お前も誘導されている様な物だったんだ』
『成程、それで……』
納得した様子のクリスに、だけどな?とデザベアからの指摘が飛ぶ。
『しかしだ。先の例に合わせるなら、自分の乗っている地面が動けば、普通に気が付く。それが運命というあやふやなものだとて、周囲の異常に気が付くのは決して不可能では無かっただろう。というか、俺様がお前と同じ程度に力が戻っていたのなら、簡単に気が付いただろうし、対処も出来る』
『う、あの。つまり、それって……』
『まあ、色々と言ったけど、ぶっちゃけお前の経験不足。つい最近まで一般人だった奴に難しい話であるのも事実だがな』
『うぅ……。精進します……』
今更いう事でも無いが、クリスの能力は頭抜けている。
全力においては”神”と、そう呼んでも決して過言ではない程であるし、極めて弱体化している現状ですら、常人では影すら踏むことは出来ない。
しかしながら、そんなクリスとて、明確な弱点が存在する。
それが、経験不足。
つい先日まで(性欲を除けば)普通の高校生だったクリスに、異能を使ってドンパチする才能は皆無である。
いや、異能を使った戦いどころか――
『闘争の才能がある奴ならそこら辺を、経験なしでも感覚でこなせるもんだが……。お前、殴り合いの喧嘩の1つでもしたことあんの?』
『人を殴るのはいけない事ですし……』
根本的に、戦闘の才能という物がクリスには殆ど無い。
『ですよねー。まあぶっちゃけ、あの光る星ぶっぱとか、力の総量が多いから様になっているだけで、呆れた物だしな。あれじゃあ、100万の力使って1の戦果を出してる様なもんだ。相当甘く採点しても、な』
『うぐぅ…………』
デザベアの口撃が、クリスの心を滅多刺しにする。
当人としても自覚があるので、全く反論は出来なかった。
世に在る人間を、戦う者と作る者に二分するのなら、クリスは完全完璧に後者である。
力の量自体が高いため何とかなっているが、戦いのセンスと言う意味では、そこらのチンピラ以下である。
『ただ、しかし。善し悪しではある。反対に、他者を癒したり、命を与えたりすることに関しては逆に天才的ではあるからな』
『えへへ……。なんか、照れちゃいますね』
仮にクリスに戦いの才能があったのなら、その分他者を癒す才能などは低下していただろう。
そちら側に特化しているが故の結果で、 一概に欠点と言い切れるものでも無い。
『まあ、出来ないもんは出来ないと割り切って、気を付ける位にしておけ。お前レベルに適性が偏っていると、下手な対策では逆効果になりかねん』
『肝に銘じます』
幸いにも、応用力の高い力が手に入ったばかりだし、元より回復が大の得意だ。
キチンと気をつけておけば、一時的に出し抜かれる事は合っても、手遅れになる可能性は低いだろう。とクリスは思った。
『まあ、こんな所か』
『そうですね。ああ、そういえば』
『まだ、何かあったか?』
『いえ、この聖印を作った方は、ベアさんと気が合いそうだな、とふと、思いまして』
効果の性格の悪さが、特に。である。
クリスのその発言を聞いたデザベアが心外そうな顔をした。
『いや、そうでもねぇよ』
『それは、同族嫌悪……的な事ですか?』
『俺様には遠慮ねぇよな、お前。まあ確かに、俺様と同じ様な性格の奴が居たら、殺し合うだろうが』
『そこは否定して欲しい所でした』
『ただ、今回に関しては、そもそもの前提が違う。多分この聖印を作った奴、或いは奴らは、俺様と似たような性格じゃねぇよ』
『何故そんな事が言えるのですか?』
『お前と一緒に、掛けられた術を解析した。それだけで、十分だ』
『あの解析内容だと、どう考えてもベアさんみたいな性格にしか思えないんですが』
印の持ち主の心と体を極限まで追い詰める鬼畜の所業。
ストレートの考えれば、クリスの言う通り悪魔染みた性格の持ち主が作ったと思うだろう。
『違ぇ、違ぇ。見るのは術の効果じゃなく、それを作った時の感情だ』
『作った際の感情?そんな物を見る事が可能なのですか』
『技術としては、そう大したもんでもない。そうだな例えば、文字だ』
『文字って、普通の字の事ですか?』
『ああ。ただし手書きのな。例えば、色んな手書きの文字を見れば、それを書いた奴が、急いで適当に書いたのか、丁寧にしっかりと書いたのか、なんてのはある程度分かるだろう?』
『それは、確かに。はい』
個々人の字の上手い下手はあれども、その人が丁寧に書いたのか、適当に書いたのか、なんて事はなんとなく分かる物だ。
『それと同じことさ、魔術やらなんやらも、その構成を見れば作った奴がどんな思いを抱いていたのか、ってのがある程度は分かる。勿論、誤魔化す事も出来るから妄信は出来んがな』
『そういうものなんですね』
デザベアは簡単な技術だと言っているが、少なくともクリスにはただ見るだけでは出来そうに無かった。
流石の経験値、と言うべきだろう。
『例えば、あの聖印に仕掛けられた【英雄譚】なる術式を俺様が普通に作ったら、そこに籠められるのは、余裕や愉悦だ。如何に、相手を華麗に地獄に叩き落せるか、ワクワクしっぱなしだろう』
『控えめに言って屑ですね』
クリスは、無表情で毒舌を吐いた。
デザベア相手には割と容赦が無いのである。
『褒めるな。褒めるな』
『……ハァ。しかし、そういう風に前置きするという事は、実際に聖印から読み取れる感情は違うという事ですね?』
『その通り!とても分かり易かったぜ?件の文字の例で言えば、今にも猛獣に食われそうな人間に無理やり書かせた字みたいなもんだ。あの術の構成から読み取れた感情は――焦燥、そして怯え』
『焦燥と怯え……』
『端的に言って余裕が無い。まあ少なくとも、楽しんで作ったものでは無いのは確実だろう』
『そうなると――』
『ああ。術の効果も鑑みれば、作った奴の思いが見えて来る。つまり、
『…………』
『何かにどうしようも無いほどに怯えていて、それから自分たちを救ってくれる英雄を欲した。大体そんな感じだろう』
『――そもそも、聖印とは神の代理人たる神託王になれる証の筈です。そうしますと、より強い王を欲した、と。そういう事なんでしょうか』
『恐らく大枠としてはそれで間違いない。ただ、偉大なる王を育てるための誉有る仕事って風には見えんがな』
『ベアさんが読み取った感情が正しいのなら確かに』
聖印と、それに掛けられた術を作った者たちが欲した王とは、一体どのような存在だったのか。
彼らは一体
色々ときな臭い事が多すぎる。
『まあ、この場でこれ以上分かる事は無いだろうが、神パンタレイだ、神託王だなんだって辺りの話に、何かしらの裏があるってのは確かだろうな』
『そう、ですね。色々と気を付けて見ておこうと思います』
この世界に渦巻いている何かの影。
クリスとデザベアは、それの正体に、少しずつ、少しずつ近づいていた。
そして、ならばこそ。
事態の核心に更に近づける情報を持っているであろう人物。
確認しなければならない相手が、クリスには未だ残っている。
*****
――夜。ルヴィニ家にて。
こんこん、と控えめなノックの音が廊下に響く。
叩かれたドアは、アレンの部屋に通じる物で、音に反応したアレンがひょっこりと顔を覗かせた。
「――クリス、どうしたの?」
ドアの外に居たのはクリス。
寝巻に身を包んだ彼女が佇んでいた。
「こんばんは。先ほどぶりです。少しアレン君にお願いしたいことがありまして。少々、お時間よろしいでしょうか。あ!勿論、都合が悪ければ日を改めますし、場所も、私の部屋でも構いません」
「いや、今で良いよ。入って」
「ありがとうございます」
特に、忙しい訳でも、眠たい訳でも無かったアレンは、快くクリスを部屋の中に迎え入れた。
最も、クリスの頼みとあらば、非常に忙しくて3徹している状態であっても、一切の逡巡無く、笑顔で招き入れただろう。
年頃の少年の部屋だと思えない程に、整理整頓と清掃が行き届いた部屋に、クリスが足を踏み入れた。
この家の住人は皆、そこら辺はしっかりとしているので、掃除が楽。とはエレノアの談である。
「楽な所に座ってよ」
「はい。では、失礼しますね」
アレンに促されるまま、クリスがベッドの端にちょこん、と腰かける。
それを見届けたアレンは、備え付けの椅子をクリスと対面する様に移動した。
「長くなりそうな話だったら、飲み物とか持ってこようか?」
「いえ、そこまで長くなる予定では無いので、どうぞお構いなく。夜も遅いですしね。あ!でも折角、同じ家に住んでいるんですし、お友達同士泊まり合いっこなんて良いかもしれませんね!」
「――っ」
「アレン君?」
クリスからすれば何気ない発言に、アレンの心が大きく揺れ動く。
受けた恩を全身全霊で返す主人公マインドが、初恋の女の子を前にした男の子マインドに切り替わってしまう。
クリスから、何かしらのお願いと言う事で意気込んでいた為に気にしていなかったが、よくよく考えれば意中の相手と夜に自室で2人きりと言う状況が、アレンの心をかき乱す。
勝手知ったる我が部屋だと言うのに、何時もの3倍増しで良い匂いがするし。
お風呂から上がって間もないからか、クリスの肌が赤みを帯びているし。
そもそも寝巻だから普段着より薄着だ。
状況を意識した途端、そういった細かな点が気になりだしてしまったアレンである。
怖い映画なんかを見た後、なんて事は無い家鳴りなんかが気になるのと同じ現象である。
「そ、それは、また今度。うん、そう、はい。今は、ほら!何か話があるみたいだしさ、あはは……」
「はい。ではまた今度」
完全には断れなかったのを、心の弱さと言うのは流石に酷だろう。
クリスもクリスで、今回に関して言えば別に変な意味で言った訳ではなく、仲の良い友人の家に泊まって遊べたら~位の話であったので、特に何事も無く引いていた。
愛情も友情も性欲も底なしで、性別が面倒な事になりついでに天然が入っている所為で、大した事のない所で凄まじい変態思考をしている癖に、時々、誘ってるの?レベルの言動・行動を無垢な子供の様な思考でぶっぱなしてくるのがクリスである。
野球のバッティングで緩急を付けられると途端に難易度が上がるように、そういった態度の緩急がアレンの心を大きく揺れ動かす1つの要因となっていた。
「それで、その。話って何かな」
変な事を考えていると、どんどん変な気分になっていってしまう。
こういう時は、無理矢理にでも真面目な話をするのが一番だ、とアレンは己の頭の中のピンク色を強引に押し出した。
「はい。アレン君の手の聖印を
「聖印って、この聖印の事?見せるのは全く構わないけど、どうかしたの?」
聖印が刻まれている右手の甲をひらひらと揺らしながら、アレンはそう問いかけた。
「はい。実は――」
特に隠す事も無く、クリスは訳を語り始める。
自分が物を解析する事が出来る様になり、聖印を調べている事を。
そしてそれにより、アレンのプライバシーに踏み込むことになるので、許可を貰いに来たのだと。
「へぇ、解析。そんな事が出来る様になったんだ」
「はい。つい最近の事ですが」
アレンとしては、その事実には然程驚きを覚えなかった。
他の人間なら兎も角、クリスが出来ると言うのだから、出来るのだろうとしか思わない。
そして、質問の答えなど当に決まっている。
「うん。別にどれだけ見てくれても構わないよ。別に、俺の情報がどうだってのも気にしなくて良いし」
「ありがとうございます!」
元より見せびらかす物でも無いので隠してはいるが、異形になった左手と違って、見られたくない物でも無い。
解析云々に関して言えば、結局の所相手が信用できるかどうかの話で、ならばアレンの返答がこの形になったのは当然の事であった。
「それじゃあ、はい。どうぞ」
自室、それも寝る前に手袋なんて付けていないので、アレンは自分の右手の甲をクリスが見やすい様に突き出した。
そこに刻まれた聖なる印。
「では――【
「――っ」
解き放たれる【解析の魔眼】。
クリスの両の瞳が(意味も無く)紅く光り輝き、何時も優し気な表情が無機質で真剣な物になる。
真剣になるといっそ恐ろしい程美しいクリスの姿に、アレンが息を呑んだ。
そうこうしている間にも、アレンの情報が抜き取られていく。
「………………」
そして、クリスの脳内に浮き上がる情報の羅列。
○【アレン・ルヴィニ】
接続率:100%
まず分かったのはアレンと、神パンタレイの接続率。
飽くまで聖印と言う枠内における値であり、神の力をその比率で持ってこれる訳では無いだろうし、他のサンプルがカナリアしかいない為、平均値も分かっていないが、それでも尚、驚異的な100%と言う値。
クリスが関わらなければ発生していたであろう何かしらの事件において、アレンが主役とされたのは、まず間違いなくこの才が原因だろう。
○【アレン・ルヴィニ】
【
「………………」
何となく予想は付いていた。
クリスがカナリアの聖印による騒動を見逃した理由の1つに、アレンに見せて貰った聖印に不穏な物を感じていなかったと言う理由もあったのだ。
そして、俄かに浮かび上がった廃印なる物のアタリも凡そついている。
「……アレン君、すみません。もし宜しければ
「それ、は」
その言葉に、アレンの声が一瞬震えた。
彼にとって、右手の聖印の方は極論、見せるだけならクリス以外にだって快く見せる程度の物である。
しかし、左手の呪い憑きの方は話が別だ。
出来る限り触れて欲しくない部分であり、相手がクリスでも、いいや相手がクリス――好きな女の子だからこそ、醜い怪物の物となった自身の肉体を見られたく無いと言う思いがある。
無論、クリスがそんな事を思わないのは、百も承知ではあるが。
「――構わないよ。これで良い?」
「ごめんなさい。そしてありがとう」
だと言うのに、アレンはそれ以上の躊躇を見せなかった。
左腕に巻かれた包帯をアッサリと取り外す。
鋭い爪に、爬虫類染みた鱗。異形の腕が空気に直接晒される。
やはりこれも信頼が故だ。
クリスが単なる好奇心やちょっとした確認程度で、他者の傷を抉る事は無いとアレンは確信している。
だから、そんな彼女が自身の左手を確認したいと言ったのなら、それは彼女にとって極めて重要な事であり、ならばこそ見せる事への躊躇いは無かった。
――ありがとう。アレン君。
そんなアレンの想いはクリスにもしっかりと届いている。
その想いに報いるべく、クリスは解析の魔眼より送られてくる情報に更なる集中を行う。
そして、此処にアレンの左手の情報が晒される。
○【廃印】
『■■■停■■■。
【呪い憑き】とは
その接続率若しくは同調率は、聖印のそれと等しい。
『■■■停■■■。
○【呪怨身代】
廃印を通じ『■■■停■■■。
明らかに厄いアレンの左腕に、クリスはおろか、アレン当人ですら危機感を覚えなかった理由が明かされる。
なんて事は無い単純な話だ。
アレンに危害が行かない様になっていると言うだけの事。
「…………」
そして恐らく。この次に見る事になる情報こそが。
アレン・ルヴィニという少年の物語において、最も重要となる情報だ。
クリスはそう予想した。
○【アレン・ルヴィニ】
【呪怨身代】:ニフト(――――
*****
「えっ。く、クリス!?」
その瞬間、アレンの胸は未だ嘗てない程に高鳴った。
何故なら突然、クリスが己の腕の中に飛び込み、抱きしめて来たからだ。
全身に感じる柔らかい感触。思わず理性が飛んでしまいそうな程の良い匂い。
それらの刺激が、好いた相手から齎された物である事を考えれば、正しく桃源郷に昇るが如しだ。
しかしながら、そんな風に浮ついたアレンの心は一瞬で収まる事になった。
ある事に気が付いたのである。
――クリスが泣いていた。
大量の血を吐くほどの、
「……っ!……ぅ!」
「クリス、大丈夫。無理しなくて良いから」
声を押し殺して、表面上だけは平静に見せようとしているクリスの背を、アレンは優しく撫でた。
今だけは、胸に秘めた恋情もどうでも良かった。
辛い事、悲しい事は我慢せずに吐き出して欲しい。
クリスには、そうして心の底からの笑顔で、ずっと幸せで居て貰いたいと言うのが、アレンの願いだ。
どうして泣き出したのか、無理に聞き出すことも無く、アレンはずっとクリスを慰め続けた。
――酷い。こんなの酷過ぎる。
そうやって、アレンに慰められているクリスの心中は、大雨で満たされていた。
アレンを心配させまいと、何とか感情を落ち着かせようとするも、溢れ出す悲哀はまるで止まる気配を見せない。
解析の魔眼により、知った重大なアレンの情報。
実は、他の理由にて何となくそうでは無いか、と予想は付いていた。
しかしそれでも、沸き上がる悲しみは僅かも減じてはくれなかった。
クリスは思う。
今知った情報を元に、原作――いいや、己が関わらなかった場合、アレンがどんな道筋を歩むのかを。
受けた恩を忘れずに、人に優しくあれる彼の性質は、とても素晴らしい物であるが、同時に修羅の素質でもある。
そんな彼だからこそ、大切な人が無惨な目に遭ったのならその恨みを時間で風化させる事は無い。
彼は、ニフトと名乗る女に対する復讐鬼に変じるのだ。
そして、恐らく。いいや、間違いなく。
その復讐の刃は届く。
何故ならアレンには、才能があり、意思があり、特別な力がある。
そして何より――
だから、彼の復讐の炎はニフトの命を燃やし尽くしてしまって、そうなれば後はもう。
――そんなのあんまりでは無いか。アレン君が一体何をしたと言うのか。
自分ならばどれだけ傷ついたって良い。
嫌ではあるが、そんな程度のことなら幾らだって我慢して見せよう。
しかし、大切な人が傷つくことは、クリスにとってまるで我慢ならなかった。
己が居る限りそんな未来は絶対に起こさせない。
というより、ほぼ間違いなく既に悲劇の根本は折れている。
だから今、クリスが想像しているのは、飽くまでも
有り得たかもしれない、しかしこの世界においてはもう起きないお話。
けれどもだからこそ、涙は止まらないのだ。
最早、綴られることは無い物語。発生しない悲劇。
それは良い事だが、しかし発生しないが故に、それが起こり得た可能性を知れるのもクリスだけなのだ。
今も自分を元気づけようとしてくれる、とても良い子。
そんな子に起きるかも知れなかった理不尽な悲劇を、もう本人ですら悲しめない。
だから代わりに、己が悲しむのだ。クリスはそう思った。
その悲劇を誰も嘆かないなんて、嘘だと感じるのだ。
「アレン君……っ。アレン君……っ」
「クリス、大丈夫。大丈夫だから」
クリスは情が極めて深い。
だから人の為に悲しんだ場合、それが大きくなり過ぎてしまいがちであった。
基本的にまずは相手の状況を、自分の力で少しでも良く出来ないかに奔走する為、悲しむ前に原因が無くなることも珍しくは無いのだが――死者すら蘇らせられるようになった今なら尚の事。
しかし、いよいよどうしようも無いとなれば、こんな風に悲哀に沈んでしまうのだ。
今回もそう。
さしものクリスだとて、もう起こらない悲劇を解決することは出来ない。
だってもう起こらないのだから。
よって沸き上がる悲しみを止める術が無いのである。
最も、こうして人の痛みを自分の痛みの様に感じられるのは、他者に好かれる要因の1つであったので欠点であるとは決して言えないが。
ただ、1つの事実として、結局クリスの涙が止まったのは、かなり深夜になってからの事であった。
*****
翌朝。
それで、何がどうなったかと言えば、同衾からの朝チュンである。
因みにワイセツは無い。ただ普通に慰めていた結果こうなっただけだ。
何かあったらアレン君の局部が爆発しているので、本当である。
「…………ん?」
「んぅ、んんっ?」
まるで図ったかのように同じタイミングで起床したアレンとクリスの2人は、自分たちが同じベッドで仲睦まじく寝ていた事に気が付いた。
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙の後。
顔を真っ赤に染め上げて、大慌てでベッドから跳ね起きた――――――
「あ、あのっ!ごめんなさいっ」
「あはは、元気になってくれたなら、良かったよ」
「その、あの……。色々とありがとうございましたではあるんですが、昨晩の事は忘れて頂けると……」
お前は一体誰だ???と問いたくなるような、まるで主人公とムフフイベントを共にした純情なヒロインの様な態度で、クリスがまくし立てる。
演技でもなんでもなく、普通に照れているのである。
別に、仮に裸で抱きあって寝ていようが、一夜(意味深)を共にしようが、そんな事では全く恥ずかしがらないクリスなのだが、精神年齢的に1回り近く下の子を相手に、一晩中泣いているのを慰められるのは、普通に恥ずかしかった。
顔から火が出そうとは、これこの事である。
アレンの方も、アレンの方で、心臓が飛び出しそうなくらいではあるのだが、相手がそれ以上に焦っていると言うのと、クリスの元気が戻ってくれて良かったと言う気持ちの方が大きかったので、耐える事が出来ていた。
後、照れるクリスの様子が可愛らしくて、そちらに意識を割かれたと言うのもあった。
「そうだね……。辛いと来た悲しい時に、またこうやって我慢せずに吐き出してくれるなら、忘れても良いかな」
「ぅぅ……、アレン君が何時もと違って意地悪さんです」
珍しく正当なラブコメの波動を感じる。
基本、クリスに脳味噌を破壊されっぱなしだった、アレンがこれとは珍しい話で、なんだかんだ成長しているんだと分かる物である。
「それで、気分はもう大丈夫?」
「はい!お陰様で落ち着きました」
「うん。それなら良かったよ」
「……何も聞かないんですか?」
状況的に、クリスが何か尋常ならざる情報を得たのは瞭然だ。
しかしそれを問い詰める気は、アレンには無かった。
クリスが隠すのなら、それ相応の理由があると言う考えが故である。
「クリスが話したくなければ、無理に聞き出す気は無いよ。勿論、俺の力が役立ちそうな事なら、幾らでも言ってくれて良いし、言って欲しいけどね」
「アレン君」
向けられる信用が心地よくて、クリスは思わず笑みを浮かべた。
「では、1つだけ聞いて貰っても良いですか?」
「うん」
「詳細はまだ伝えられません。今言っても証拠が無くて、要らぬ混乱を色んな人に与えるだけになってしまいますから」
クリスとて、このような勿体ぶった情報の出し方は行いたくない。
しかしながら今この情報を出しても、本当に、ただ人の仲を無意味に悪くさせるだけなのだ。
「分かったよ。君がそう言うのなら」
「ありがとうございます。では、話とはニフト――彼女についてです」
「――っ」
クリスの口から飛び出した名前に、アレンが息を呑んだ。
忘れていない。忘れられる筈が無い。
己に、呪いを掛けた相手。己の母を一度は殺した相手。
「……彼女に何かあるのかい?」
「ええ。ニフト、彼女は必ずもう一度アレン君の目の前に現れます。直ぐになのか、10年近く後――神託祭の時なのか、それは分かりませんが、その時は必ず来ます。そうであればこそ、私と1つ約束をして欲しいのです」
「それは、一体?」
「彼女と雌雄を決する前に、もう一度私の話を聞いて欲しいのです。その時こそ、全てをお話しします。そして、それを聞くまでは彼女の事を不必要に傷つけないで欲しいのです」
「………………」
クリスの頼み事にアレンは黙る。
アレンはニフトの事を許してはいないし、許す気も無かった。
クリスが居たお陰で結果的には事なきを得たとは言え、彼女のしたことは、結果良ければ全て良しで済ませてよい事では無いだろう。
それは別に、アレンの目が憎しみで曇っているからではなく、極々一般的な意見である。
だからこそ、彼女の事を許して、と言われたのなら、例えそれがクリスからの願いであったとしても、アレンは首を縦には振れなかっただろう。
しかし、クリスはそんな事を言わなかった。
ただ、話を聞いて欲しいと。
聞いた上で、どう思うかは自分の自由であると。
意見の押し付けではなく、寄り添ってくれた様に、アレンは感じたのだ。
……それに。
一見、ニフトの事を心配している様に見える、クリスの言動だが、実際は、その心配が己にも向けられてもいる事に、アレンは気が付いていた。
ニフトには何かしらの真実があり、それを知らないまま決着を付けたのなら、己が必ず後悔することになる。そう心配してくれているが為の言葉である事は、今までのクリスを見ていれば、アレンにとって簡単に分かる事実だった。
ならば、アレンが出す答えは、やはり今回も決まっている。
「――分かった。約束するよ。俺も、疑問が残ったまま決着を付けたくは無いしね。……ただ、そうだな。代わりという訳では無いけど、俺の方からもクリスに1つ頼み事をしても良いかな」
クリスは、ほっ。としたような表情を浮かべた後に、それを困惑に変えた。
「お願い、ですか?私に出来る事でしたら何でもお手伝いしますが」
「それなら頼みたい。クリス、君が俺に因縁のある物も、そうで無い物も含めて、この世界で起きている何かの事件を解決しようとしているのは分かってる。――どうか、俺も一緒に戦わせて欲しい。烏滸がましい話だけど、君の事を守らせて欲しいんだ」
「それ、は……」
アレンの言葉に、クリスが息を呑んだ。
……本音を言うのなら、クリスはその言葉を受け入れたくない。
争いも不幸も、自分1人で動いて解決してしまいたいし、己ならばそれが出来る。
アレンに限らず、誰にも辛い思いなんてして欲しくなく、みんな箱の中に閉じ込めて、幸福の揺り籠の中で安らいでいて欲しい。ずっと、ずっと、永遠に。
それが、まごう事なき本心で、しかしそれでは駄目だという思いも確かにあった。
それは超越者だ、神だなんて超然とした物ではなく、親子なんてあり触れたものでも言えるだろう。
幾ら自分の子供の事が可愛いからと言って、子供が大人になって死ぬまでずっと自分が何でもやって上げる親なんて、そうは居ないし、居たとしてもダメ親と言われる部類だろう、それは。
例え、それを可能とする財力と権力を持っていたとしても、だ。
それと、全く同じこと。
アレンの身に降りかかる火の粉を、全部取り除く事がクリスには出来る。
そうすれば、彼の命は守られる。肉体的には完全無欠の安全だろう。
だが、精神は別だ。
「全て私が解決するのでは、嫌ですか……?」
「うん、嫌だ。君にだけ全てを背負わせる、自分の弱さに吐き気がする。ましてや自分の因縁が含まれているのだから、尚更に」
その気持ちはクリスとて理解できる。
仮に力が足らずとも、女の子の前に立って、相手を守りたいと言う男心は、クリスとて分かるのだ。
それに、自分の事を守りたいと言ってくれる気持ちそのものは、純粋に嬉しい。
「わかり、ました。少なくとも、アレン君の因縁を勝手に解決したりはしないと、誓います。ただ、本当に危ない時は、絶対に私を頼ってください」
「――ありがとう。そして、意固地にはならないと、約束するよ」
ただ、やっぱり心配ではあるのか、クリスはちょっとだけむくれた顔をした。
だから少しだけ意地悪を。
「ですが、少しだけ――手を。祈りを捧げさせて貰うのと、誓いを立てて貰っても良いですか」
「その栄誉を許してもらえるのならば、有難く。クリス――貴方を守り、貴方の元に必ず無事で帰ると誓います」
「――――っ」
珍しく出した年齢相応の稚気を大真面目に返されて、クリスの頬が僅かながら紅く染まった。
まるで、どこかのお姫様に誓いを捧げる騎士の如く、アレンの右手がクリスに差し出されている。
「――【
差し出された手。そこに刻まれた聖印の上に、そっ。と軽く唇を触れさせる。
機能停止しているとは言え、残しておく必要が全く無い【
口づけをする必要なんて欠片も無いが、心配させられるのと、びっくりさせられた仕返しに、この程度の事は許して欲しいとクリスは思った。
いや、嫌がりそうだったら、やらなかったが。
「じゃあ、色々と約束、ですっ!」
「うん。約束」
こうして、クリスとアレン。
2人の間で約束が結ばれた。
それはとても小さな、しかしとても重要な約束だった。
*****
最後に1つだけ。念のために確認しておかねばならないことが有る。
クリスは、アレンの部屋から出た後に、また別の相手の部屋の前に来ていた。
控えめに、そのドアをノックする。
少しの
「はーい、ってクリスちゃん?どうかしたの。まだ朝食の準備には早いから、寝てても大丈夫よ?」
出て来たのはエレノアだ。
クリスはエレノアに教わりながら、共にルヴィニ家の食事を作っており、それに早くやってき過ぎただけだとエレノアは思った様だ。
「おはようございます。エレノアさん。いえ、少し質問したいことがありまして。ご飯の前に、お時間宜しいでしょうか」
「ええ。勿論。そういう事なら、入って」
その言葉を快く受け入れて、エレノアは自室にクリスを迎え入れた。
仲良く部屋に入っていく2人。
こう見ていると、仲の良い姉妹の様にも見えた。
「ニフトと言う女性に対して知っている事……ね」
「ええ。前も聞いたのに重ね重ねすみません。何か僅かでも構いません。心当たりなどは無いでしょうか」
世間話もそこそこに、エレノアの部屋に入ったクリスは、本題を切り出していた。
内容はズバリ、ニフトに関する事。彼女の事で何か知っている事が無いかという話である。
「うーん」
質問を受けたエレノアは、困り顔だ。
別に不機嫌になっている訳では無く、純粋に申し訳なさと困惑を感じている。
「ゴメンなさいね。やっぱり、心当たりは無いわ。前にも言ったけど、私がまだ伯爵家に居た頃から調べていたのだけれど、全く情報が出なかったのよ。だから、そうね。あえて言えるとしたら、貴族の家の警備を抜けて、その家の嫡男に危害を加えられる実力と、貴族の調査力から逃れ得る裏を持っているってくらいかしら」
「そう、ですか」
「せめて直接この目で姿を見れれば、何か分かったのかもしれないのだけれど……」
残念な事に、ずっと意識を失っていて、挙句の果てに命まで失っていたから確認出来ていないのだ、とエレノアは言った。
「辛い事を思い出させてごめんなさい」
「ううん。アレンの為に調べてくれているのでしょう?寧ろ私の方こそ何も力になれなくてゴメンなさいね。もし何か思い出したら、どんな小さな事でもクリスちゃんに教えるわ」
「ありがとうございます」
そう伝えるエレノアの言葉に、一切の嘘偽りは感じられない。
彼女はニフトに心当たりが全く無い。
――分かっていた事だ。とクリスは思う。
故に、これは唯の最後の確認。
石橋を叩いただけの事。
「聞きたかったことは、それだけです。でも、折角ならエレノアさんともっとお話ししていっても良いですか」
「ええ、当然よ。少しだけど、女子会しましょうか」
「ふふっ。はい」
エレノアと和やかに談笑しながらも、クリスは頭の片隅で考えを纏めていた。
ニフトと名乗る女が
あれには幾つもの不可解な点があった。
それは、クリスで無くとも分かる物や、クリスだからこそ分かった物などがある。
まず1つ、これはクリスでなくとも分かる不可解な点だ。
実力伯仲の筈のルークをニフトが圧倒した点。
ルークの癖と戦い方を完全に見切っていたそれは、ニフトがルークの事をかなり深く知っていた事を意味する。
そして、ここからはクリスだからこそ気が付けた不可解な点。
2つ。ニフトがアレンに向けていた感情である。
クリスは、デザベアとは正反対で、人の善意を理解することに優れている。
そんな、彼女から見て、ニフトと言う女性は、ずっとアレンの事を気に掛けていたのだ。
それも、病んだ人間の歪んだ愛情では無く、真っ当で温かな物を。
彼女がアレンにした許されざる仕打ちを考えれば、全く意味の分からない話だろう。
3つ。あの時のエレノアの状態である。
知っての通り、クリスは死したエレノアを蘇生した訳だが、その時に幾つか不可解な点があったのだ。
まず、その肉体と魂が、不自然なまでに強い呪詛に毒されていた。
それはクリスから見れば吐息一つで吹き飛ばせるレベルで、デザベアのいっそ見事ですらある知恵の輪みたいに複雑な、悪意に満ちた呪いに比べれば些か力押し感が拭えない物ではあるが、一般的な視点から見ればとんでもないレベルの代物である。
常人であれば、100度狂死しても尚足りず、エレノア程の傑物でもそう長くは持たないであろうと、そんなレベル。
そんな呪いに、エレノアは侵されていたのだ。
更に不可解な点はまだある。
そんな呪いに侵されたエレノアの魂だが、その量が明らかに足りていなかったのだ。
体をぐちゃぐちゃにされた上で、燃やし尽くされて殺されれば、当然では?と思うかもしれないが――違う。
それが原因での損傷であるのならば、その魂は無造作にバラバラとなっている筈なのだ。
しかし、クリスが見たエレノアの魂の状態は違った。
それはまるで、ナイフか何かで切り分けられたかのように、綺麗な切り口で半分になっていたのだ。
自然にこうは決してならない。
エレノアの体調が事件以前から悪かったのも、恐らくこれが原因で、事実クリスが魂の欠損を治療して以降、エレノアの体調はあっさりと快癒した。
そして最後の4つ。今度はニフトの魂である。
クリスから見たニフトの魂は、エレノアと
同じ呪いに同じ欠損。そしてその魂の切り口は、重ね合わせれば、恐らくエレノアの魂とピッタリ合うであろう断面。
オマケに、クリスがエレノアの魂を治療した際、
これは、エレノアとニフト。両者の魂の間に、極めて深い繋がりがある事を示している。
「あら、もうこんな時間。それじゃあ、そろそろ朝食の準備に行きましょうか?」
「はい。今日も、ご指導お願いします!」
「アレンったら、すっかりクリスちゃんのご飯を食べるの楽しみにしちゃってるもの。だから、出来れば頑張ってね?」
「あはは。はい、勿論。出来る限り美味しい物を食べて貰える様に、頑張りますね!」
クリスは最後に、先ほどアレンの部屋で得た情報を思い返した。
○【アレン・ルヴィニ】
【呪怨身代】:ニフト(エレノア・ルヴィニ)
――ああ、つまり。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
○クリスが関わらずに運命が進んだ場合。
復讐者になったアレン君は、自分の母親を殺した癖に、時々母みたいな言葉を言って煽ってくるクソ女(しかもムカつくことにかなり似てる)を見事ぶっ殺せるんだ!!
しかも、親切な黒幕さんがそのクソ女が息絶える直前に、彼女の正体を明らかにしてくれるから、いろんな疑問もスッキリ解決しちまうんだ!!
良かったね、アレン君(*´ω`*)
クリスは泣いた。
デザベアは大爆笑した。
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