04-2 至高のオカズ②


 ――そうして場面は再び現在へと戻る。

 デザベアと一緒に決めた案を数週間。

 それこそ、そろそろ1ヵ月も見え始めて来るくらいの期間、クリスは律義に行い続け、今日もまた行っていたと言う訳である。

 本日も、朝に物乞いを始めた時は明るかった空が夕焼けに染まり始め、道行く人々の種類も変わり始める頃合い。


「はふぅー。はひゅー」


 軽い芸を披露し続けだけとは言え、体力・健康、共に皆無のクリスからすれば途轍もない重労働で、大分疲れが見え始めていた。

 しかしながら、地面に置かれたボロボロの食器に入っている小銭は、先ほどから少しも増えていない――今日は運が悪かった様だ。


『おし、それじゃあそろそろ帰るぞ』


 クリス以外には見えないデザベアが、虚空に浮かび上がりながら、クリス以外には聞こえない声で持って語り掛けた。

 クリスはそれに、こくり、と軽く頷いた。

 僅かばかりの小銭と、壊れかけの食器を大事に持ちながら、路地裏――スラム街へと歩いて行く。

 そうして向かうのは自分の住まい――では無かった。


 暗く剣呑なスラム街を静々と歩いて向かったその先には、ボロボロの――しかしクリスの住まいに比べれば遥かにマシの、あばら家があった。

 ここに、クリスの待ち人が居るのである。

 元気な若者が思いっきり叩けば、それだけで壊れてしまいそうな木造のドアを、クリスは軽くノックした。


「こん、ばん、わ!」


「クリスか」


 気怠るげな足音が鳴り響き、ドアからにゅっ、と顔を出したのはスキンヘッドの強面の男だった。

 服の上からでも分かる鍛え上げられた筋肉と、片目が潰れて縦に大きく傷が入っている顔面は、いかにも・・・・と言った具合だ。

 見た目荒くれ者と、現在幼児と化しているクリスの間に、どんな関係が存在しているのか。


「アー、ノルド、さん。これ、今日の、お金、です」


「……おう。悪いな」


 強面の男――アーノルドと言うらしい――に会ったクリスだが、何と今日手に入れた僅かばかりのお金を、全てアーノルドに手渡してしまったではないか!?

 それにアーノルドが、クリスのその行動に何ら驚いていない事を鑑みるに、これが初めてではなく、幾度と行われている物だと判断出来る。

 本当に何をしていると言うのか?

 その答え。クリスの行動の行動の真意は、正確には異なるものの、所謂【ショバ代】という奴である。


 始まりは、やはりデザベアからの提案だった。

 スラム街と言う危険な環境で虚弱極まる存在であるクリスが、お金を持っていれば、それがどんなに少量であっても強引に奪い去られる可能性は高い。

 どうせ奪われ危険に晒される可能性が高いなら、最初からスラム街の中である程度の影響力が合って、多少はマシな人間に取り入って、安全を確保したほうがマシ!という考えであり、デザベアがその為に見繕った対象こそがアーノルドで合った。

 

「じゃあ何時も通り、全部こちらで貰った、って事にしておくぜ。それじゃあこれがそっちの取り分だ」


 そういう事にしておけば、それなりに腕っぷしのある者のツバ付き相手から、危険を犯してまで小銭を奪おうとする様な人間は少なくなる。

 そんな単純な損得計算すら行えず、尚も小銭を奪いかかろうとするような危険人物に関しては、クリスから離れられないと言っても、100m位は距離を取れるデザベアが、クリスと鉢合わせない様に周囲を警戒している。

 それなりに話の通じるアーノルドを見つけた事と言い、永い間人間と鎬を削って来たデザベアの、人間――特に悪人に対する嗅覚は、成程確かに自分が付いている事が長所である!と言うだけの事はあり、クリスの役にとても立っていた。

 それは兎も角、アーノルドの手からクリスに対して、最初に渡した小銭の凡そ半分ほどが戻された。

 それを見たクリスは、微かに驚いたような表情を顔に浮かべた。


「何時も、より、多い、です」


「何だかんだ、雨が降った時以外は、毎日律儀に来てくれてたからな。これからは半分持っていって良いぜ」


 元々の取り分は、驚くことにアーノルドが7のクリスが3で合った。

 大した額でも無いが、臨時収入という事に成る。

 クリスは薄く微笑んだ。


「ありがと、ござい、ます」


「いいって事よ」


 あまり長居をする場所でも無い。

 そんなやりとりを済ませた後、クリスは早々とアーノルドの家を後にした。

 そうして今度こそ向かうのは自らの住まい…………ではやはり無く、食事の調達であった。


「良い、人」


「馬鹿か、お前は」


 道を歩きながら、小さな幸運に対して呟きを放ったクリスに対して、上空から周囲を警戒していたデザベアが、態々クリスの近くまで降下してきた後に、突っ込みを入れた。


「な、に?」


「本当の善人だったら、そもそも餓鬼から金なんて受け取んねぇよ」


 いいか、クリス。とデザベアは得意げに話を続行する。


「そもそも、こんな場所スラム街にまともな人間なんて居ねぇんだよ!居るのは、唯の屑と、少しはマシな屑と、どうしようもない屑の3種類だけさ!」


「ベア、さん、口、悪い」


「何時だって正論ってのは、耳に痛い物さ」


 じゃれ合っているんだか、喧嘩しているんだか分からない会話を続けつつ、暗い道の中クリスの足は食料調達へと動く。

 

「ん、よし。今回はそこのカドだ」


「わかっ、た」


 クリスがたどり着いたのは、1軒の料理屋の裏手、そこにある生臭い臭いの漂うゴミ箱の前だった。

 そして、クリスはそのゴミ箱をそそくさと漁りだす。

 折角施された小銭を使わないのか?と思うかもしれないが、これもやはりデザベアからの提案だった。

 どれだけ巧妙に誤魔化し、警戒しようとも、人の目と耳はどこにでもある。

 食べ物の購入などを行っていれば、ひょんなことから、多少なりとも金がある事がバレかねない。と言うのがこの行動の理由だ。

 施されたお金はイザと言う時の貯金に回されて、クリスの食料は大体ゴミ漁りで賄われていた。


「そこら辺のが、多少はマシだな」


「これ、とか?」


「そうそう」


 これまでの行動を見て分かる様に、クリスのスラム街における生活方針は「命を大事に」だ。

 よってゴミ漁りですら、他の浮浪者とかち合わない様に慎重に行われており、必然的に旨味・・のある獲物は既に取り尽くされている。

 所謂、食べ残しなんて上等な物がクリスの手に渡ることは無く、彼女が入手するのは、デザベアの目利きによって辛うじて食べられ無いことも無い、ほぼ骨だけになった肉などと言った類の物が殆どだった。

 こんな物を食べ物と称するのは食に対する冒涜であり、ハッキリ言って【ちょっとだけ栄養の取れる生ゴミ】以外の何物でも無い。


「キチンと、片付け、します。ありが、とう」


「いいからとっととずらかるぞ」


 お店に余計な迷惑を掛けない様に、しっかりと後片付けをして。漸くクリスは自らの住まいへの帰路についた。

 危険な目に遭わないように、デザベアの先導に従いながらスラムをすいすいと進んで行き、見慣れたボロ小屋にまでたどり着く。


「ただ、いま」


「誰も居ないがな」


 寧ろ居たら大ピンチである。

 天井に穴が開いていてしかも床すら無いために、数日前に降った雨の影響で水たまりが出来ている家の中。

 辛うじて居住空間と言えなくも無い、地面に敷かれた藁の上に、クリスは腰を下ろした。

 僅かばかりの小銭を、決まった隠し場所に保管した後、漸く食事だ。


「それ、じゃあ、ベアさん、よろ、しく、お願い、します」


「……………………ああ」


「いた、だき、ます」


 こんな状況ですら食前の挨拶は忘れずに。クリスは手に入れた生ゴミに口を付ける。

 鼻孔と口内に酸っぱいような甘いような、吐き気を催す強烈な味と臭いが充満する。


「う、ぐっ」


 同じ浮浪者たちですら、余程切羽詰まっている状況でも無ければ、手を出さないような代物。

 現代日本の美食に慣れたクリスに、そんな物が受け付ける筈も無く、彼女の胃は生ゴミを外へと戻しかける。

 が!!大丈夫!!!!

 クリスにはこんな生ゴミでも、美味しく食べられる最高の魔法が存在しているのだ!!!


「……………………何、吐きかけてるんだ、この雌豚がぁ!!!!」


「――!!」


 ひっじょぉおおおおおに、嫌な表情をしたデザベアから、突如としてクリスに投げかけられる罵倒の言葉。

 それを聞いた瞬間。クリスは果て無い気力で、吐き気と生ごみを強引に胃に流し込んだ。


「テメェみたいな変態には、生ゴミがお似合いだろぉ!???」


「!!」


 繰り返される罵倒に、クリスは食事の手を動かし続ける。

 そう、これこそがクリスの秘策ッッ!!


 そういうプレイ・・・・・・・であると言う妄想をすれば、イケる……!ギリギリ……!生ゴミッッッ…………!!

 寧ろご褒美ッッ…………!!

 罵倒こそが最高のオカズ……!!色んな意味でッッ…………!! 

 

「おら、返事はどうした雌豚ぁぁあああッッ!!」


「は、い!」


「どぅぁあああれが、人間様ヒトサマの言葉を喋って良いって言ったぁ!??」


「!!!!ぶ、ひぃ!!」


 何故か、罵倒している側のデザベアがとっても疲れた表情をしているが、些細な問題だ!!!

 兎に角、普通であれば嘔吐確実な食品でも、こうやればクリスは食べられるのである。

 

「ごち、そう、さま、でした」


 ――色んな意味で。

 まあ、そんなこんなが、異世界転生したクリスの現状であった。























*****


「糞、糞ッ、糞がッッ!!ありえねぇぞ、オイ」


 夜も深夜。

 寝心地の悪い藁の上で、クリスがすぅすぅと寝息を立てて寝ているその横で、デザベアが感情を激しく荒げている。

 クリスの変態趣味に付き合わされたからだろうか?いいや、違う。

 …………いや、それはそれで、デザベアの気力や正気度を大いに削っているのではあるが。

 だがしかし、現在、彼の頭を悩ませている問題はそれでは無いという話だ。


「糞っ。予想外だ……」


 デザベアが嘆いているのはクリスの異世界生活。それその物であった。

 ――だか、それは可笑しくないだろうか?

 何故なら、クリスはデザベアが提案した行動方針に従って行動している。

 諸々の問題の解決策に、ちょっと変態的な手段を使いをしたが。

 ……ちょっと?……ちょっと!????

 まあ取った手段の事は一旦脇に置いておくとして、今日1日を見て分かるように、クリスはデザベアが提案した、普通の人なら直ぐに限界が来そうな生活を、必死にこなしている。それは間違いない事だ。

 だと言うのに不満を持つという事は、そもそもの前提条件に何らかの虚偽や、欺瞞があったという事か?

 それは、半分正解で、半分外れだ。



 悪魔が人の感情を受け取る事によりパワーアップ出来、かつ今、クリスとデザベアの間に大きな繋がりがある為、クリスに向けられた感情によってデザベアの力が上がる。

 よって物乞いをして哀れみを受ける事により、デザベアの力を多少なりとも取り戻す。

 その説明自体に嘘は存在しない。

 ……が、その行動がデザベアの真意であるかと言われれば否だった。

 デザベアには、クリスに説明していない本当の目論見、行動指針が存在していた。


 順を追って説明しよう。

 まず、繰り返すようだが、今日1日のクリスの行動を見れば、それが現代人にとってとても辛く耐え難い物である、と感じたのでは無いだろうか?

 その意見はデザベアも同じだ。

 彼の目論見では、クリスはそう時間の経たない内に、今の生活に音を上げる筈だったのだ。

 そしてその時こそが、デザベアの本当の行動方針――人を傷つける悪徳に満ちた行動をクリスに取らせてより効率的に自身の力を取り戻す――を伝える時間ときである筈であった。

 それにしては、最初クリスに局部爆発強盗殺人を断られた時に、アッサリ引いたな?と疑問に思うやも知れないが、それも簡単なこと。

 デザベアとしても、良く言えば平和主義、悪く言えば日和見の現代人、それも日本人に行き成り殺人何て意見が受け入れられる、等とは欠片も思っていなかった。

 最初に受け入れがたい大きな提案をしておいて、その次にそれに比べれば小さな提案を行う――要は詐欺の常套手段である。

 


 極めて厳しい生活に苦しむクリスに対して、デザベアはいくつもの甘言を伝えた。

 お前は、こんなに厳しい状況にあるのだから、少しずる賢い事をするくらい仕方が無いのではないか?

 自分の命が掛かっているのだ、多少他人を害してもしょうがないだろう。

 殺人や傷害が嫌ならば、それら以外の悪徳を考えよう。

 相手が悪人であれば構わないだろう。


 そんな風にクリスが、いいや、仮に他の人間が見ていたとしても「それなら仕方が無いよね」と言うような言い訳が出来る程に、デザベアは様々な案を提供してやった。

 一度でも道を踏み外せば、後はどんどん堕ちていくだけだ、と彼は知っていたから。

 それは正しく悪魔の囁き。

 だが、ここでデザベアにとって予想外な事が起きる。

 

 ――クリスが、自分の甘言に全く耳を貸さない。

 誰かを傷つけて自分の生活を楽にする。そんな意見には全く乗らないのだ。

 可笑しい。絶対に可笑しい。

 クリスは客観的に見て凄まじいまでに可哀想な被害者であり、デザベアの出した意見の中には普通の人間であれば「まあ、それくらいなら……」といった具合になる、軽い物だってあったのだ。

 だけど、乗らない。


 悪意によって、家族や、友人と引き離されて天涯孤独の身にさせられた。

 健康だった元の体を失って、少し動いただけで息が切れるような、虚弱な体に成った。

 見世物の如く無様な物乞いをして、それでも尚、数百円しか稼げないし、その稼ぎも殆ど他人に持っていかれる。

 人間の食い物とはとても言えない様な生ゴミを食して、何度も嘔吐した。

 それでも尚、クリスは一度たりとも人を傷つける案に乗らず、そして迷いすらしなかった。

 

 それどころか!である。

 例え悪魔の囁きに耳を貸さずとも、こんな状況に叩き込まれれば、普通、デザベアに対して莫大な怨嗟を持つことだろう。

 それは、僅かにも可笑しいことでも無ければ、恥ずかしい事でも無い。寧ろ正当なる怒りであるとすら言える。

 だと言うのに、クリスにはそれすら無かった。

 ここまで来ると、【頑固】や【人が良い】なんて言葉では到底言い表せない。その域に無い。

 これは、【異常】だった。


「チッ。だが、それにしては狂人特有の雰囲気が無ェ……」 


 永い時間ときを、悪魔と契約をして願いを叶えようとする人間と過ごしてきたデザベアは、所謂狂人と呼ばれる類の人間を幾度も見たことがある。

 だが、それによって鍛えられた嗅覚に、クリスは引っかかっていなかった……いや、色欲はヤバいが。



 自分という物の価値が低すぎて、他人を尊重しすぎる?――いいや、特に自らを卑下するような行動を見せてはいない。

 元の世界が大嫌いで、異世界に来れた喜びに溢れている?――いいや、家族などを思い出して寂しそうにしているのを、幾度となく目撃している。

 実は感情を失っていて、怒りを感じない?――いいや、デザベアが他者を馬鹿にしたときは普通に怒る。 


 変態性と言う表面上の事以外にも、クリスは何かが可笑しい。ボタンが掛け違っている。重大な見落としがある。

 だがしかし、その正体が掴めない。


  

「それに、可笑しい事はまだ有る」


 デザベアから見て、クリスには性格の事以外にも、予想外の事があった。


「アイツ、何でこんなに、元気なんだ・・・・・?」


 それは、クリスの体調であった。

 少し動いただけで、息切れをおこして、2日に1度は高熱を発しているクリス。

 そんな状態で元気?と思うだろうが、デザベアの目算では、それよりも更に悪い体調である筈なのだ。

 それこそ、こんな生活をしていれば、命など直ぐに消えてしまう程に。 

 だと言うのに、クリスは曲がりなりにも、この生活を1ヵ月近く続けている。それがそもそもデザベアからして有り得ない事だった。

 だから、精神的にも身体的にも限界が来て悪の道へと踏み外すだろう。という目算が外れたと言うのもある。


「糞っ。せめて大きく体調を崩せば、それを理由に別の生き方を提案できるってのによ」


 それよりも問題なのは、クリスを悪の道に走らせると言うのを一旦置いておくとしても、自分の提案が表面上は上手く行ってしまっている現状、別の日和った提案を行えない事だった。

 謎に体調がもっているクリスだが、それが何時まで続くかは分からないのだ。 

 ある日突然、アッサリと死んでしまうかもしれず、そうすれば自分も道連れだ。

 そんな風に不安に思いながらの生活は、正しく真綿で首を締められている様で、死へと少しずつ近づいている踊りを踊っている様でもあった。


 ――何とかしなければならない。

 だが、その方法が思いつかない。

 クリスの妙な倫理観の高さと、妙な体調の良さの所為で、デザベアの思惑は滅茶苦茶であった。







 ……だがしかし、この時の彼の不安は、良くも悪くも解消されることになる。

 それは、クリスが大きな、とても大きな事件の波に飲まれ始めたからである。

 その始まり。予兆は僅か数日後。クリスがとある人物と邂逅したことであった。


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