第二十九話 幼馴染にやりきれない

「とりあえずその鍵返せ」

「返すも何も、これ私の所有物なんですよぉ」

「こいつ……」


 挑発的な口調が絶妙にうざい。

 無断で作ったくせに何を偉そうに。マジで住居侵入罪で訴えてやろうか。


「とりあえず帰れ。ここに金目のものは無いからな」

「まーまーそんな事言わずに~」


 そう言って中へ入ってこようとしてくるので止める。NHKの集金より下手したらたちが悪いなこいつ。


「入ろうとするな」

「む、まーくんのいじわる」


 何故か責めるような視線を送りつけてくる綿貫。


「あのな……」


 怒りを通り越してただただ呆れるばかりだが、一方で普段と変わらないクズっぷりに少しだけ安堵してしまった。

 が、だからと言ってなんでもかんでも許すわけにはいかないだろう。


「意地悪も何もお前さ、普通に考えてどうにかしてるからな。無断で合鍵作るだけならいざ知らず、不法侵入までしたらもうそれは立派な犯罪だ」

「うっ……」


 少しきつく言うと、固まる綿貫だったがやがてぎこちなく視線を逸らす。


「嘘つくのやめてもらっていいですか?」

「嘘ではない」


 しっかり法律に基づいているんだよなぁ。


「で、でもほら! 何も盗んでないし、まだ部屋の奥にも入ってないんだよ⁉」


 綿貫が訴えるような眼差しで俺の服を掴んでくる。


「無断で入った時点でアウトだが」

「それは、まーくんを驚かせたくて……」


 恐怖させるようなサプライズはサプライズではないと思います。


「ねぇまーくん。やっぱり入ったらダメ……かな?」


 ふと、服を掴む力がより弱くなった。

 先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか、小さななで肩から力が失われていく。


「逆に聞くがなんでそこまで入りたがるんだ」

「それはだって……まーくんと二人きりで一緒に過ごすにはそれくらいしか思いつかなかったから……」


 綿貫が力なく項垂れると、声を震わせながら俺に問いかけてくる。


「ねぇどーして? どーしてまーくんの事好きじゃない白崎が一緒にいられて、まーくんの事好きな私が一緒にいられないの? あんまりだよそんなの」


 綿貫がぎゅっと自身の胸の辺りを握る。

 まぁ、綿貫の状況を鑑みれば、そう思ってしまうのは道理か。それでも俺の気持ちなどは考慮しようとしてない辺り綿貫らしいと言えば綿貫らしいのだが、まぁ俺とて独りよがりを誰かに非難できる立場ではない。何故なら、俺は近いうちに手前のためにとある人間に苦難を強いるつもりであるからだ。


 無論、本人の素質次第では断念するつもりだが、少なくとも俺にそういった考えがある時点で、結局綿貫と同じ穴の狢なのだろう。

 だがそれ故なのか、やはりこいつの事を放っておくことはできそうにない。


「まぁ、そうだよな。たまに来てもらう分には好きにしてもらえばいい」

「ほ、ほんとに?」


 綿貫が訴えかけるような目を向ける。


「ああ。ただむやみやたらに出入りするなよ。娘が付き合ってもいない男の部屋に頻繁に出入りしてたら親御さんが気にするだろうからな」


 ましてや相手が中学の時に問題を起こしたような奴であるなら尚更だ。当然その事はあちら側も把握しているだろう。


「大丈夫だとは思うけど、うん、まーくんだいすき~!」


 ぽしゃんと綿貫が俺の元へと抱き着いてくる。

 今こうしている間にも、俺は心臓が締め付けられるような気分になり、その感覚は自らの身体や心すべてを支配してやろうと隙を窺っていた。


 が、それが間違った感情である事はとうの昔に理解している。今はまだ理性の暴力で押さえつけているだけだが、いずれは必ず克服しなければならない。


 開きっぱなしだった扉を閉め中の部屋に招き入れると、綿貫が物珍しそうにきょろきょろ辺りを見渡す


「わぁ~ここにまーくん住んでるんだ~」


 感心したように言う綿貫だが、ベッドと座卓と簡易本棚とテレビが置いてあるだけで特に大した部屋ではない。


「ていうかそもそもお前もう入ってたよな?」


 指摘すると、綿貫はバツが悪そうに言葉を詰まらせる。


「ま、まだ玄関だけだったもん」


 玄関だけなら大丈夫とでも思っていたのだろうか。

 綿貫の弁に呆れつつも、部屋に入りフローリングへと腰を掛ける。


「別にお茶とかも出す気無いし、飲みたきゃ勝手に入れてくれよ」


 多少俺にとって大事な人間とは言え、所詮招かれざる客なので丁重に扱うようなことはしない。


「お構いなく~。わぁ、まーくんの匂いだぁ」


 そんな事を言いつつ、綿貫は無遠慮に俺のベッドで寝転がり始める。そのような珍妙な香り嗅いだところで毒にしかならんだろうに。

 特にやる事もないので本棚に手を伸ばすと、まだ読んでる途中のラノベを取り出す。


「え、待ってまーくん、どーして本なんて読むの⁉」

「いや俺が俺の部屋何しようと勝手だろ。入れてやっただけでもありがたく思え」


 むしろだいぶ優遇してる方だよな。普通なら勝手に合鍵作って不法侵入してくるような奴をまた家に招き入れようなんてまず思わないし。

「むむ……」


 不服そうな綿貫は無視して、文字へと目を落とす。


「えいっ」


 ふと掛け声が聞こえてくると、背中が温もりで覆われる。傍らへ目を向ければ、背後から腕が伸び来ていた。


「何してんだ」

「まーくんに抱き着いてみました」

「そうか。なら離れろ」

「どーして? このままでも本読めるよね?」


 そう言いながら、綿貫が後ろから顔を覗かせてくる。髪の毛が俺の頬へ触れると、バニラのような香りが鼻腔をくすぐった。


 無理やり引きはがすのもやぶさかではないかと綿貫の腕を取ろうとすると、不意に熱っぽい囁くような声が耳元を撫でる。


「私、やっぱりまーくんの事好き。えへ……」


 つい視線を向けると、綿貫は恥ずかしそうに頬を染めはにかんでいた。


「何を……」


 今更。そんな言葉が喉まで出かかるが、結局手前で引っかかり霧消していく。

 綿貫の腕を取ろうとして手を引っ込めると、より一層体温が強く伝わってくるような気がした。あるいはより一層綿貫が俺にくっついてきたのかもしれなない。だがそれに答える事はまだ今の俺にはできない。


 熱を冷ますべく、再び文字へと目を落とそうとするが、否が応でも感じさせられる綿貫の存在に、集中力が少し途切れてきた。それでもなんとか読書に没頭できるよう試みる。


「はむ」


 ふと、俺の首元に固い何かが触れ、読む手を完全に止めてしまった。


「……綿貫まさかお前、噛んだのか?」


 決して痛いわけではなかったが、確かに挟まれるような感触があった。ごくわずかにその部分だけより外気を濃く感じる事もできる。


「へっ?」


 本人も意外だったらしく、目を丸くするのが見える。

 綿貫は俺から少し離れると、自らの口元に手を添えた。


「ほ、ほんとだ。噛んでたね……」

「なんでまたそんな事を」


 理解不能な行動につい聞き返すと、綿貫が困惑気味な眼差しを向けてくる。


「な、なんでだろ……なんか気づいたら噛んでて」

「無意識、と」


 綿貫がこくりと頷く。


「……なんかごめん」


 恥ずかしそうに頬を染めると、綿貫は少し申し訳なさそうに目を伏せた。


「いやまぁ、単に気になっただけで怒ってるわけではないが……」

「う、うん」


 綿貫がちょこんとベッドの淵を背もたれにして座ると、束の間の沈黙が辺りを支配する。妙な空気が綿貫との間に流れているような気がした。

 何か気まずい。思えば綿貫相手にそんな感情を抱いたことがこれまであっただろうか。


「え、えと……」


 いかんともしがたい気分になっていると、綿貫がふと口を開く。


「お詫びと言ってはなんですが、まーくんも噛んでみる?」


 そう言って自らの髪をかき上げると、綿貫は少し恥ずかしそうにしながらも上目がちな視線をよこしてくる。


 露わになる首筋と肩に、胸の奥から溢れてくるの何かの衝動。ゆっくり接近すると、存外血色の良い肌が目に入る。

 俺の事をじっと見据えていた綿貫だったが、俺が傍まで来ると頬を朱に染め視線を逸らす。


「優しく、してね?」

「……」


 潤んだ瞳を覆い隠すかのように綿貫がぎゅっと目を瞑る。

 小さな黒点が視界に飛び込むと、そっと首筋へと指を走らせる。


「っ……」


 綿貫の口から時が漏れると、俺はそっと一つまみの黒点と共に綿貫から離れた。


「も、もう噛んだ?」


 目を閉じながら綿貫が言う。


「噛んでいた」

「え、ほんと? 気づかなかっ……」

「蚊が」

「へ、蚊⁉」


 綿貫が俺の言葉に目を開けるので、ほれと指に摘ままれ藻掻く蚊を見せる。

「う、うわほんとだ! 気持ち悪い!」


 そんな真っ向から否定されたら蚊も居た堪れなかろうと、部屋を出て流しの蛇口をひねる。


 流れ出てくる水にしばらく蚊を当て、やがて指を離せば排水溝へと黒点は吸い込まれていった。


「わわ、なんか意識したらかゆくなってきたよ~まーく~ん」

「ほれムヒ」


 部屋に戻ると綿貫が涙目で訴えかけてくるので、本棚の下側に置いていた液体ムヒを綿貫に投げてよこす。


「お~」


 受け取り目を輝かせると、綿貫はそそくさと自らの首筋にムヒを当てた。


「はへ~沁みますなぁ」


 幸せそうに目を細める姿に呆れ笑いが込み上げてくるのを感じていると、ふと綿貫俺の方を見やる。


「ありがとまーくん。蚊、いなかったら良かったね……えへへ」


 綿貫が困ったように笑うと、容器を返してくれる。


「別に蚊が居ようが居まいが、変わるのはお前が痒いか痒くないかだけだ」


 いずれにせよ、俺が綿貫を噛むことは無かっただろう。

 何せもし噛んでしまえば、せっかくここまで自らを律し形成してきたものが、全て台無しになりかねなかった。


「まーくんのいじわる~」


 そんな事を言いながら、綿貫は俺の身体へと抱き着いてくる。

 その姿に思わず返したくなっているのを自覚し、懸命に収める。やはりさっきのは良くなかったな。少し深入りしすぎた。

 まったく、つくづくやりきれない。

 

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