あたしは空白少年

ポテトマト

1.暗黒色から

……冷たいものを、握っていた。

瞼が重くて、缶の輪郭はボヤけて見えるけど。黒くて黄色い印象は、伝わってくる。ストロングゼロだ。それも、レモン味。喉に焼きつくあの感触が、舌に蘇っている。

……早く、家に帰りたい。

ボウッと。胃の中が燃え上がる、あの快感。それに身を任せれば、何もかもどうでも良くなるから。こんなBGMなど、煩わしいだけ。心の空白感はどうしようもなく、店内に流れるメロディに、何も抱けない。

……缶を、カゴに入れていた。

コンビニの、レジ前。列の最後尾。目の前の人のスーツはピシッとしていて、棚に並んだパッケージは、どれも色合いがしっかりとしている。

——私には、勿体ない。

履いてるパンプスだって、そうだ。洗練されている。ましてや、こんなスーツ……。




「——やめなよ」


また、この声だ……。


「みんなの、真似ばっかり……」


顔や名前は、思い出せないけれど。雰囲気は、ちゃんと覚えている。


「ありのままの、華菜かながいいの」


クラスに、全く馴染まないのに。居るだけで、その場が華やぐ女の子。


「他の子なんて、関係ないのに……」


私の、憧れだったから。


「やめてよ……」


だから、嬉しかった。


「捨てないで」


あの子が作った、物語。


「ノート、燃やさないでよ……」


私だけが、それをノートに写せたから。


「作ってきたもの、全部」


その感情は、例えようもなくて……。


「華菜がいなきゃ、生まれなかった……」


敢えて言うなら、絶滅危惧種で押し花図鑑を作っている気分。


「華菜じゃなきゃ、伝えなかったのに」


あの子の頭で、死んでいた筈の物語。


「なんで」


それらを沢山、収めていたら……。


「約束、なんで破ったの……」


いつの間にか、何かを抱えていた。


「華菜が喜べば、それで良かったのに」


あんなに、凄いもの……。


「ねえ……」


誰かに、見せてあげなきゃ。


((( これって、さあ…… )))


——けれど。


((((((( 結局、どういう意味……? ))))))))


誰からも、そう言われて。伝わらない事を、知って。心から、何かが消えて……。


「嫌だ……」


口が、走っていた。


「誰にも、伝わらないのに」「書き続けても、誰も喜ばない」「そんなの、嫌だ」


感情が、どんどん溢れて……。


「私、誰かに笑われちゃうから」「私たちにしか分からないなんて、嫌だ」「ごめんね」「まだ書き続けてるだなんて、思われたくないの」


あたまグルグルグルグル…………


「これ以上、書きたくないの」「あなたなんて、嫌い」「嫌、こっち来な嫌で」「私、嫌わ嫌たく嫌嫌いの」「だって、ふ嫌嫌嫌う嫌嫌嫌嫌じ嫌嫌嫌嫌嫌い嫌嫌嫌」「嫌だ嫌嫌嫌わ嫌嫌嫌嫌た嫌嫌嫌嫌嫌」「嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌いや嫌嫌嫌いや嫌いやいゃぃやぃやぃ、ゃ、、ぃ、。






——その時。


『        !』


昔写した台詞セリフが、浮かんできた。内容は、全く思い出せないけれど。確かに、伝わるものがある。


……まるで、春の風みたい。


うららかで、暖かくて、優しくて……。胸を吹き抜けた響きから、お日様の匂いがする。新緑の青さ、花の香りの柔らかさを感じる、春の空気。それが、胸一杯に広がったかのような、こんな気持ちの良さ。


……何で、忘れていたのだろう。


青空のように透き通った、感動。それが、花弁はなびらからこぼれた水滴みたいに、弾けて、弾けて……。


——花壇が、見えている。


濡れた花の輝きは、確か、公園の片隅にあったもので……。垣根の上に立つあの子は、幼くて、花の茂みが放つ煌めきを背にしていた。手にしたノートには、たった一行しかなかったけれど。それを見せた時の、あの子の……。

「華菜!」

——声が、届いた。

こじ開けた目には、その顔はボヤけて映るけど。その目つきはわかる。あの子だ。あの子が今、目のま…

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