第99話『熊鍋にしようとウキウキで頭の中をいっぱいにした』




 次の日になった。


 村はすぐ近くで熊どもによる地上侵攻が行なわれかけていたことなどなかったかのように穏やかである。


 誰一人として侵略される危機があったことなど知らずに今日も日常を始めていた。

 だが、巨大化した紅鎧の姿はやはり目撃者がいたみたいで……。

 地方新聞の片隅に『体長200mの熊が目撃される』としっかり書かれていた。


 まあ、幸いなことに写真は撮られていなかったようで記事は文字だけだった。

 証拠もなければ200メートルの熊なんぞ到底信じられる存在ではない。

 俺の家族は『すごい誤植だなぁ』とみんな暢気に笑っていた。




◇◇◇◇◇




『ハアッ……ハアッ……』



 苦悶の声を上げながら身を引き摺って山の中を歩く一匹の熊がいた。


 特徴的な赤いタテガミを持つその熊は怜央に討たれたはずの紅鎧だった。


 蒸発させられたように全身を吹き飛ばされた紅鎧だったが、彼のコアは奇跡的にも全壊を免れ一命を取り留めていた。


 熊人族はどれほどバラバラにされようとコアさえ破壊されなければ何度でも復活する。


 その特性に則ってどうにか肉体を再生することはできたものの、彼の受けたダメージはあまりにも大きく、短い時間では体長1メートルほどの一般的な熊と同じサイズを成形することしかできなかった。


 肉体を塵のように消された一撃である。

 このペースでは完全復活するまでにどれほどの時間がかかるのか想像もできない。

 紅鎧は地下都市で最強だった面影が皆無となった小さな姿で木にもたれかかる。



『なんだったんだあのヤローは……。オレ様は何をされた……? あの大いなる力を手に入れた肉体が殴られただけで消え失せるなど……』



 紅鎧は最後の最後で神話にも匹敵する強大な力に目覚めた。


 すでにメリタの創設時期すら神話級の過去になっているが、そのメリタ創設の時代にも神話として語られていたお伽噺のような姿への覚醒。


 あの巨体は間違いなく原初の熊人族の領域に届いていたはずだった。


 にも関わらず、その力を得た紅鎧は一撃で吹き飛ばされた。


 かつて地上を襲った災厄すらも撥ねのける力を手に入れたと思ったのに、あの無毛の猿人族は紅鎧を拳の一発で屠った。


 最強の力を手に入れたと思ったのはうぬぼれだったのか……。

 いや、恐らく、あの男さえいなければ紅鎧は地上でも最強だったはずだ。

 紅鎧の野望を二度も阻んだあの男は一体何者だったのだろう。


 グラスとは偶然出会ったと言っていたが、紅鎧が地上で行動を起こそうとするたびに都合よく現れて道を妨げたのは偶然とは思えない。



『クソ……オレ様はこんなところでは終われねえ……先祖の無念を晴らすまでは……悲願を成し遂げるまでくたばるわけには――』



 ともかく、今は養生して力を蓄えなくては。

 今の状態でグラスフェッドたちに見つかればひとたまりもない。

 当てもなく山を彷徨っていた紅鎧はふと近くに生命体の反応を感じた。



『滋養強壮には肉を食らうべきだな……』



 紅鎧は茂みを掻き分けて気配のした方向に進んでいく。


 そして草陰から覗き込み、野営をしている無毛の猿人族の姿を目に映した。




◇◇◇◇◇




「もう二日目か……」


 月光雷鳳は遭難していた。


 新庄怜央の祖父に途中まで車で送ってもらい、予約していたキャンプ場までは一本道だったはずなのだが……。


 月光はなぜか目的地に辿り着くことができず山の中で迷ってしまっていた。


「よし、今日はここをキャンプ地とする!」


 予約が無駄になったのはもったいないが、間に合わなかったものは仕方がない。メンタルを切り替えた月光は人里を目指しつつ、山の中でサバイバルキャンプを楽しんでいた。本当は洒落にならない本物の遭難なのだが、彼はあまり理解していなかった。



 道中で拾った野草やキノコを刻んで鍋にぶち込み夕飯の支度をしていると、何やらガサガサと物々しい気配がした。


 月光が振り返ると、



『グオオオオオオオオオオ――ッ!』



 草木を掻き分け咆哮を上げながら赤いタテガミをした熊が一直線に突撃してきていた。



「ほう、熊か! 日本で熊とやり合うのは久しぶりだぜ!」

 


 月光はファイティングポーズを取って迎え撃つ姿勢を取る。

 右の脇腹がなんとなく急所である気がした月光はそこを狙ってアッパーをかます。

 腹部に拳がめり込むと、何かがバリンッと砕けた感覚があった。


 骨……とはまた違う手応えに月光は違和感を覚える。


『ぐ、ぐああああっ……なぜだっ、なぜコアを的確に狙って破壊できたのだぁああああっ』


 断末魔のような声を上げて熊は仰向けにひっくり返った。


「ありゃ? こいつ今喋ったか? 幻聴……?」


 熊を一撃で仕留めた月光は不思議な現象に首を捻る。


 だが、細かいことを気にしない彼は一瞬でそのことを脳内から弾き出し、


「まあいいや、貴重なタンパク質ゲットだぜ!」


 熊鍋にしようとウキウキで頭の中をいっぱいにした。


 しかし――





「ない……消えている……! どうして……!?」


 血抜きの解体用意をしようとしている間に熊の身体は忽然となくなっていた。


 熊人族はコアを破壊されるとその肉体ごと消失する性質を持っていたのだ。


 月光は落ち込みながら、もともと用意していたキノコと野菜だけの鍋をもしょもしょと口に運んで食事を済ませたのだった。


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