第36話『健康で文化的な最低限の生活を左右するもの』





 丸出さんと結城優紗は若干訝しそうにしながら部室を出て行った。

 酒井先輩は外周のランニングに行ってくれた。

 今、室内にいるのは俺と江入さんの二人だけ。


 俺だけ残したってことは、きっと正体が絡んだ理由があるんだろうなと予測する。


「で、なんか最近、勉強とか身だしなみが不調らしいじゃないか」


「そう、あなたのせいで近頃は不便を強いられている」


「俺のせいだって?」


 俺を見据える江入さんの瞳には疎ましいものを見る感情が浮かんでいた。

 いや、無表情なんだけどさ。

 微妙にそういう感じなのよ。


「あなたはあの日、私のタグを破壊した。あのタグは私の銀河惑星連盟大帝国での身分を証明するものであり権限の行使に必要なものだった」


「タグ……ああ、あの君に埋まっていたやつか」


 結城優紗から時期を聞いたときに嫌な予感がしたんだよ……。


 それって俺が江入さんを撃退した頃じゃんって。


「あれは地球で例えるなら会員証や鍵に相当するもの。あなたにタグを破壊されたせいで私は本星が管理するクラウドシステムのデータにアクセスできなくなり、この星で拠点としていた探査船に出入りする権限も失った」


「…………?」


「簡単に言えば、クラウドに溜めておいた地球の学問のデータを引用できなくなって家に入ることができなくなった」


 なんか、俺が軽い気持ちで壊した物品は彼女の健康で文化的な最低限の生活を左右するものだったらしい。


 いや、だがちょっと待てよ。


「学問のデータを引用ってどういうことだ?」


 ここ、すごい引っかかるんですけど!


「そのままの意味。クラウドに保存していた知識のデータを必要時に取り出して閲覧すること」


「もしかして、授業中に当てられたときとかテストでもそれ使ってたんじゃ……」


 俺が恐る恐る訊ねると、


「当然のこと。ただし、テストに関してはあまり目立ってはいけないのでわざと誤解答を混ぜて満点を避けるようにしていた」


「おまっ! それカンニングじゃん! ズルしていい点取ろうとしてたのかクソ野郎!」


「カンニングではない。クラウドデータから検索引用していただけ」


 江入さんはムスっとした顔で異論を唱えてきた。


 心外だと言わんばかりである。


「それをカンニングっていうんだろうが……。いや、宇宙じゃカンニングにならないのかもしれないけど。地球じゃ自分の脳味噌に記憶してないとズル扱いなんだよ」


「非合理的すぎる……これだから未開の惑星は……」


 江入さんはブツブツと文句を垂れていた。


 成績が落ちたんじゃなくて赤点が本来の実力だったってことか……。


 体育のほうも同じらしく、クラウドに集めたデータから一流選手のモーションをトレースして身体を動かしていたそうだ。


 将棋がAIみたいに強かったのも宇宙規模の国家が作ったAIに学習させ、そのAIが示した手を指していたのだから当然だった。





「ところで家に入れないって言ってたけど、じゃあ今はどこで暮らしてるんだ……?」


「ここ」


 江入さんは部室の床を指さした。


「地下?」


「違う」


 もしかして、いや、まさか……。


「この部室に居住している」


「やっぱり!」


 最近、帰りに江入さんが最後の一人になる率が高いと思ってたんだよ。


 残ってるんじゃなくて、帰ってなかったんだ……!

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