第26話 おそろいのストラップ

 放課後、諒太郎は聖澤が駆け寄ってくる前に、急いで荷物をまとめて教室を出た。


 昼休み後も彼女はちらちらとこちらを見ていたので、話しかけるタイミングをうかがっていることは容易に想像できた。


 だからこそ、諒太郎は常に話しかけるなオーラを出しておいたのだが、放課後になれば、昨日のようにまた一緒に帰ろうと言われかねない気がした。


 廊下を突き進んでいる間に、体にまとわりついている砂が蠢くのを感じる。


 侵食が進んでいるみたいだ。


「……あー、しんど」


 諒太郎自身、聖澤が変わり始めていることに気がついていた。


 彼女は、自分の本当の居場所を、自分の本当のあり方を見つけようとしている。


 だからこそ、そんな彼女を邪魔してはいけない。


 もう自分の役目は終わった。


 彼女の砂化も治ろうとしているし。


 贖罪は、終わったのだ。


 後は彼女が不幸にならないよう、離れるだけ。


 これ以上一緒にいると、彼女の世界を、幸せを、破壊しかねない。


 彼女には彼女の生きる世界がある。


「これでいいんだ」


 砂化している場所が痛み始める。やっぱりこれはウヨの呪いだ。泰道諒太郎というクソみたいな人間が幸せを求めたばかりに、楽しいを求めたばかりに、ウヨが怒っているんだ。


 親友を死に追いやってしまうような人間は、幸せを求めてはいけなかった。


 ウタが「本当の俺を否定したじゃないか」と、心の中で言っている。


 聖澤のことを考えれば、このまま離れていくのが一番だ。


「どうしようもねぇな」


 昇降口から外へ出て、空を見上げる。分厚い灰色の雲からは今にも雨が落ちてきそうだ。校門を出たところで、後ろから声が飛んできた。


「ウタっ! ちょっと待ってよ」


 無視して歩くスピードを上げる。


 砂化した体が重くて走れない。


「だから、待ってって言ってるじゃん」


 荒い息遣いと足音はどんどん近づいてくる。


「いいから待ってよっ! ウタっ!」


 ついに肩を後ろから掴まれる。


 諒太郎は仕方なく足を止めた。


「どうして、逃げるの?」


「帰ってるだけだよ」


 振り返ると、今にも泣きそうな顔をした聖澤がいた。膝に手をついて、肩を苦しそうに上下させている。彼女の鞄についているクマのキーホルダーがゆらゆら揺れていた。


「昼休み、なにかあったんでしょ? 言ってよ。相談してよ」


「別に、なんもねぇ」


「うそ。だって授業中ポケットに手紙みたいなの忍ばせてたじゃん」


 見ていたのか、と思う。


 誰にも気づかれていないと思ったのにな。


「あれはただのメモだよ」


「どんな?」


「言う必要はない」


 諒太郎は冷たく言い放った。


 ああ、砂が蠢いている。


「どうして、そんな冷たいこと言うの」


「俺とお前が他人だからだ」


「私たちはもう他人じゃないよ」


「そう思ってるのはお前だけだ。もう離れろ。俺から」


「だからどうしてよっ!」


 聖澤が声を裏返らせながら叫ぶ。


 また、この言葉だ。


 どうして。


 どうしてどうしてどうして。


 俺の前で、その言葉を言うな。


 どうしてどうしてどうして。


 泣きそうな顔をするんじゃねぇ。


「どうしてって、そんなの決まってんだろ」


 諒太郎は聖澤に背を向ける。


 唇を噛みながら、なるべく残酷に聞こえるような声音を意識する。


「もう疲れたんだよ。お前といるの」


 心までもがざらざらし始めた。


 その言葉だけで充分だと思ったが、口が勝手に動き続ける。


「離れろよ。かかわりたくねぇ。近づくんじゃねぇ」


 どうして?


 自分で自分に問うていた。


 聖澤をこれ以上傷つける必要なんかないのに、どうして強い言葉を言ってしまうのか。


「無理なんだよ。もうやめてくれ。つきまとうな。消えろ」


 彼女が後ろで泣いているのがわかった。


 苦しいけど、もういいや。


 これでいいのだ。


 諒太郎はそのまま立ち去った。


 足音も泣き声もついてこない。


 諒太郎は角を曲がってから走った。




 ――離れろ。かかわるんじゃねぇ。近づくんじゃねぇ。




 ああ、俺は自分自身にその強い言葉を言い聞かせていたのだと、ようやく気がついた。




 ――無理なんだよ。もうやめてくれ。つきまとうな。消えろ。




 聖澤を傷つけるためじゃなく、自分自身が聖澤から離れる覚悟を固めるために、強い言葉を発していたのだ。


「俺は、俺なんかは……」


 呟きながら立ち止まると、笑いが込み上がってきた。


 ふと自分の手のひらを見ると――そこには手相がなかった。


「え」


 代わりにそこにあったのは、ざらざらとした細かな砂粒だった。


「……そうか」


 今流れているのは諦観の涙だろう。


 諒太郎は、聖澤からもらったストラップを握りしめ、グイッと引っ張って鞄から引きちぎった。


「くそぅ……」


 投げ捨てることだけは、どうしてもできなかった。


「こんなもの、こんな……こんな」


 そのストラップを胸に押し当てたまま、諒太郎は静かに泣いた。

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