第21話 鎖
コスプレ衣装が入ったキャリーケースを玄関ポーチに置くと、翼は小さく息を吐いた。
今朝はどうごまかしてきたんだっけ。
そんなことを考える自分に幻滅する。ああ、私は今、聖澤翼を生きているんだ。親に見せている私、学校のみんなに見せている聖澤翼に戻ってしまったんだ、と。体に鎖が巻きついている感じがする。いや、誰かが用意した鎖を自分で体に巻きつけているだけだ。
「ほんと楽しかったなぁ」
思い出すだけで幸せが止まらない。
リサになった瞬間、これまで自分で自分に巻きつけ続けてきた鎖から解き放たれた気がした。鳥の雛が卵の殻を打ち破って産まれるように、闇に包まれていた世界にカラフルな景色が広がった。きっとその殻の正体は、ウタの言葉を借りるなら【聖澤翼】という名前なのだろう。
でも、そんな色鮮やかな世界は幻想だったのかもしれない。
家に帰ってきただけで、取っ払ったはずの鎖がガチャガチャとまた音を立てている。
「ただいまー」
家の中に入るとすぐにお母さんがやってきた。
「おかえり。どうだった? 喜んでくれた?」
喜ぶって? と一瞬聞き返しかけたが、友達に服をあげるからキャリーケースを持っているんだよ、と言って出かけたことをすぐに思い出した。着なくなった服をコスプレの生地として再利用もしているから、それも併せてごまかせる画期的なアイデアである。
「もちろん。また持ってきてほしいって」
「そ、ご飯できてるから早く下りてきなさい」
「はーい」
翼はそそくさと二階に上がり、自分の部屋に入ってから扉に背中を押しつけた。
お母さんにうそをついている理由はただひとつ。
コスプレという趣味を反対されるに決まっているから。
以前、お母さんはコミケの特集映像を見た時に、「こんなおかしなものが流行ってるなんて……」と呟いていた。そもそもコスプレがそういう偏見の対象だということも理解している。
公務員の父と元中学教師の母。
現実主義者の二人には決して明かせない。
だからこそ、この家はとても息苦しい。
「なんで私は、聖澤翼でいなきゃいけないんだろう」
目から零れそうになった涙を拭った瞬間、スマホがぶるるっと震えた。
一時間ほど前に送ったメッセージに対する、ウタからの返信だった。
《リサが楽しかったならなによりだ》
全身が粟立つ。
胸の高鳴りを感じ、女の子の部分が反応していると確信した。
ああ、リサとして生きたい。
彼からメッセージが届いたスマホを、翼は優しく抱きしめた。
「ウタって、呼べたよぉ」
カナタさんに泰道諒太郎という人間の過去を聞いた。聞いているだけの翼も苦しくなるような辛い過去だった。あそこまでしわくちゃになっていた写真を、あの大剣女子戦記に挟んでいた理由がようやくわかった。
「私にも……」
あの笑顔を向けてほしいというわずかばかりの嫉妬が、心の片隅にある。あの写真に写っていたような満面の笑みが見たい、引き出せてあげたいという思いであふれている。
ただ翼は、聖澤翼ではそれができないと知っている。
聖澤翼の時は、彼に話しかけることすらできないのだから。
「私は……」
帰宅途中の電車内で、スマホをぽちぽちしていた時に感じた寂しさや切なさが心によみがえってくる。
「どうしたいんだろう」
自分自身に問いかける。
思い出すのは、やはりあのしわくちゃの写真。
あの中に閉じ込められていた、ウタの満面の笑み。
今の彼がふとした瞬間に見せる寂しそうな顔。
――リサが楽しかったならなによりだ。
彼が送ってくれたメッセージを読み返してから、翼は「よしっ」と自分の頬を叩いた。明日こそは、やってやる。着替えようと服をずぼっとぬいで下着姿になった時、ふと気がつく。
「……え、うそ?」
姿見に近づいて、自分の体をまざまざと見つめる。
目線を下げて、そこを自分の目でもたしかめる。
「小さく、なってる?」
昨日よりも砂化している場所が小さくなっている。
というより、もうおへそ周りのわずかな場所しか、砂になっていない。
「や、やったぁ」
思わず叫び、すぐ写メを取る。《ウタ! 砂化! 治り始めてる!》とメッセージを添えて写真を送ろうとしたが、自分が下着姿だったことを思い出し、慌てて写真を消した。
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